碧き舞い花
398:想いの力
セラから離れた神は少しばかりだが、心拍を早めていた。それをセラはしっかりと感じ取っていた。
焦って回避した。
ズィーが立ち上がりながら言う。「セラの剣は避けんだな、あの神様」
「セラ。一人で、やれるか」ケン・セイが真剣な眼差しで問い掛ける。「俺とズィプ、上へ行く」
一度、空に視線を向けるセラ。未だに求血姫と八羽の激しい追いかけっこが繰り広げられていた。
「うん」ケン・セイに視線を戻し、力強く頷くセラ。「お願い。こっちはなんとか止めておく」
ケン・セイは黙って頷き、天馬を用い空へと翔け上がった。それを見て、ズィーは腿の行商人のカバンから鍵を取り出し、回した。
「落孔蓋、施錠」
いざ足下に塞がった扉を足場に翔け上がろうとして、足を止めた。セラを見下ろす。
「スヴァニ……使う、よな?」
「え? あ、ううん、ズィーが使って」
「いや、でも」
「大丈夫だから、はい」
セラは有無を言わさず、スヴァニの柄をズィーに向けた。
「ほんとに、大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。今のわたしなら」
「……わかった」ズィーは剣を受け取った。そして厳かとも取れる顔で続ける。「三対一だし、ケン・セイもいる。すぐ終わらせる。だから……死ぬなよ」
「本気で言ってる?」
エメラルドを宿したサファイアが冗談っぽく訝る。
「あー……いや、今のお前なら大丈夫だと思ってる」
『紅蓮騎士』はそう言って肩をすくめて笑い、姫を一人残し空を目指していった。
視線をリーラに向けるセラ。自身の纏わるヴェールを示し、訊く。
「わたしのときに避けたのは、この力が関係してるの?」
「想いが滾っていたからです。想いの力は侮れません」
「想い……」
セラは自身の胸の前で優しく拳を握った。しかし、すぐに意識をリーラに向けさせられた。神に懐を許してしまった。会話の時間はないのだ。
リーラの掌底が碧きヴェールをかすめる。セラはすんでのところでバク転していた。集中は全く途切れていなかった。蹴り上がる足のまま、神の顎を狙う。
彼女の蹴りを躱すと同時に、リーラは砂を蹴り上げた。狙ったのはバク転から戻ろうと前を向きはじめたセラの顔だ。
白砂が迫る刹那、セラはナパードで回避した。現れたのはリーラの真上。敵の肩に手を置き、回転の余力で降ろされる脚を畳み、膝を顔面に差し向けた。
これが見事に直撃。
リーラは後方へよろめき、止まる。上げた顔、鼻からはつーっと血が垂れた。だが、セラはそこには目を向けていなかった。サファイアが見たのは神の白い目だ。
理屈は今でもわからないうえ、勘の域ではあったが、セラにはあの吹き飛ばす力が来るか来ないかがなんとなくわかっていた。今がその時だということも。
そして甘んじて受ける。
身体が揺れるような感覚を味わった直後、飛ぶ。
跳ぶ。
「っんあっ!」
「ぐぁっ!?」
時機を見計らい、セラはリーラの背後に再び花を散らしたのだ。これはリーラも予期していなかったようで、驚愕の表情で背を反らした。
二人はこんがらがりながら砂の海を転がり、砂まみれになり、小高い砂丘に受け止められた。砂をパラパラと落としながら、二人して頭を振ったり、目を瞬かせたりして立ち上がる。
と、セラがふらつき、頭から地面に倒れた。リーラの背中に頭を強くぶつけていたのだ。
砂丘を滑り転がり落ち、窪地で止まった。頬が水に浸る。潮が満ちはじめていた。
「今のは驚きました。ですが、これで終わりのようですね」
砂丘の上から降る神の声、視界の中央にリーラの姿を映すセラ。その視線の移動中、自身からヴェールが消えていたのを知る。転がってきた直後までは残っていた力が、倒れたことで消失したのだろう。
力なく、視線をリーラから外した。
このわずかな時間にも温湿漠原の温湿たる形になろうと、増える水かさをぼんやりと眺める。海と砂が主役を交代していく。
もっと早く、水が増してくれないかと彼女の頭にふと過った。そうすれば、戦いの時は一度終わる。挟撃に出た『夜霧』も深追い的に攻めてくることはないはずだ。そもそも船を用意していなければ、多くの兵が溺れ死にかけない。いや、『夜霧』ならそれくらいするかもしれない。
そんなことは、考えても無駄だった。空気が湿り気を帯びてきてから、両軍の撤退の報せが鳴り響くまでの時間は前回でわかっている。まだ時期が早い。
夜のひんやりとした水が、セラの頭を冷やす。無駄な考えが彼女の中から排除されていく。
残ったのは……。
――これじゃあ、本当に終わり……。
歯を食いしばった。
――違う。今のわたしなら。
腕に、脚に、力を込める。
――大丈夫、なんだよね。
濡れた髪が、頬に張り付く。
――ズィー。
立ち上がったセラ。
湿り気を帯びた涼しい風に、碧きヴェールが揺蕩った。
「想いの力はやはり、侮れませんね」
焦って回避した。
ズィーが立ち上がりながら言う。「セラの剣は避けんだな、あの神様」
「セラ。一人で、やれるか」ケン・セイが真剣な眼差しで問い掛ける。「俺とズィプ、上へ行く」
一度、空に視線を向けるセラ。未だに求血姫と八羽の激しい追いかけっこが繰り広げられていた。
「うん」ケン・セイに視線を戻し、力強く頷くセラ。「お願い。こっちはなんとか止めておく」
ケン・セイは黙って頷き、天馬を用い空へと翔け上がった。それを見て、ズィーは腿の行商人のカバンから鍵を取り出し、回した。
「落孔蓋、施錠」
いざ足下に塞がった扉を足場に翔け上がろうとして、足を止めた。セラを見下ろす。
「スヴァニ……使う、よな?」
「え? あ、ううん、ズィーが使って」
「いや、でも」
「大丈夫だから、はい」
セラは有無を言わさず、スヴァニの柄をズィーに向けた。
「ほんとに、大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。今のわたしなら」
「……わかった」ズィーは剣を受け取った。そして厳かとも取れる顔で続ける。「三対一だし、ケン・セイもいる。すぐ終わらせる。だから……死ぬなよ」
「本気で言ってる?」
エメラルドを宿したサファイアが冗談っぽく訝る。
「あー……いや、今のお前なら大丈夫だと思ってる」
『紅蓮騎士』はそう言って肩をすくめて笑い、姫を一人残し空を目指していった。
視線をリーラに向けるセラ。自身の纏わるヴェールを示し、訊く。
「わたしのときに避けたのは、この力が関係してるの?」
「想いが滾っていたからです。想いの力は侮れません」
「想い……」
セラは自身の胸の前で優しく拳を握った。しかし、すぐに意識をリーラに向けさせられた。神に懐を許してしまった。会話の時間はないのだ。
リーラの掌底が碧きヴェールをかすめる。セラはすんでのところでバク転していた。集中は全く途切れていなかった。蹴り上がる足のまま、神の顎を狙う。
彼女の蹴りを躱すと同時に、リーラは砂を蹴り上げた。狙ったのはバク転から戻ろうと前を向きはじめたセラの顔だ。
白砂が迫る刹那、セラはナパードで回避した。現れたのはリーラの真上。敵の肩に手を置き、回転の余力で降ろされる脚を畳み、膝を顔面に差し向けた。
これが見事に直撃。
リーラは後方へよろめき、止まる。上げた顔、鼻からはつーっと血が垂れた。だが、セラはそこには目を向けていなかった。サファイアが見たのは神の白い目だ。
理屈は今でもわからないうえ、勘の域ではあったが、セラにはあの吹き飛ばす力が来るか来ないかがなんとなくわかっていた。今がその時だということも。
そして甘んじて受ける。
身体が揺れるような感覚を味わった直後、飛ぶ。
跳ぶ。
「っんあっ!」
「ぐぁっ!?」
時機を見計らい、セラはリーラの背後に再び花を散らしたのだ。これはリーラも予期していなかったようで、驚愕の表情で背を反らした。
二人はこんがらがりながら砂の海を転がり、砂まみれになり、小高い砂丘に受け止められた。砂をパラパラと落としながら、二人して頭を振ったり、目を瞬かせたりして立ち上がる。
と、セラがふらつき、頭から地面に倒れた。リーラの背中に頭を強くぶつけていたのだ。
砂丘を滑り転がり落ち、窪地で止まった。頬が水に浸る。潮が満ちはじめていた。
「今のは驚きました。ですが、これで終わりのようですね」
砂丘の上から降る神の声、視界の中央にリーラの姿を映すセラ。その視線の移動中、自身からヴェールが消えていたのを知る。転がってきた直後までは残っていた力が、倒れたことで消失したのだろう。
力なく、視線をリーラから外した。
このわずかな時間にも温湿漠原の温湿たる形になろうと、増える水かさをぼんやりと眺める。海と砂が主役を交代していく。
もっと早く、水が増してくれないかと彼女の頭にふと過った。そうすれば、戦いの時は一度終わる。挟撃に出た『夜霧』も深追い的に攻めてくることはないはずだ。そもそも船を用意していなければ、多くの兵が溺れ死にかけない。いや、『夜霧』ならそれくらいするかもしれない。
そんなことは、考えても無駄だった。空気が湿り気を帯びてきてから、両軍の撤退の報せが鳴り響くまでの時間は前回でわかっている。まだ時期が早い。
夜のひんやりとした水が、セラの頭を冷やす。無駄な考えが彼女の中から排除されていく。
残ったのは……。
――これじゃあ、本当に終わり……。
歯を食いしばった。
――違う。今のわたしなら。
腕に、脚に、力を込める。
――大丈夫、なんだよね。
濡れた髪が、頬に張り付く。
――ズィー。
立ち上がったセラ。
湿り気を帯びた涼しい風に、碧きヴェールが揺蕩った。
「想いの力はやはり、侮れませんね」
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