碧き舞い花

御島いる

355:その瞬間

「んなっ!?」
「さすがにナパード酔いはないか。でもよかった。これだけは賭けだった。お前がナパードを一人用の移動術だと思ってるってこと」
「……っ」
 セラとガルオンは原色の空に再び、さきほどよりさらにさらに高く舞っていた。
「わたしたちはお前の前で二人揃って跳ぶところを見せてないし、最近のロープスは大勢を移動させることができるからもしかしたらって思った。フェースが何人かで跳ぶところを見てたり、今までにナパスの民と関わって来てたらとも考えたけど、お前はわたしが伸ばした手を避けなかった。勘が危険だと教えなかったから」
 迫るガルオンに対し、セラはそっと手を触れただけだった。それだけでナパードで共に跳ぶには充分だ。
「……んがはは、それで同じことを繰り返すわけか。だがそれじゃあ、さらに血を流した俺がますます強くなるだけだぜ」
 ガルオンの身体が落ちていく。セラは碧き花舞うガラスの上に凛と佇み、警戒させないようにと地上では納めなかったオーウィンを背に納め、落ちていく敵に言葉を降らす。
「ルルフォーラがお前に与えたのは流血による向上の能力だけ。空中を浮遊する力はない」
 先ほどの落下でガルオンは受け身もなく着地した。仮にルルフォーラの力がすべて与えられていたとなれば、落下に逆らい宙を漂うことができたはずだった。
「それが分かってれば充分」
「なに?」
「息の根止める。血を流させるだけじゃない。そうケン・セイは教えてくれた」
「知ってるか? この高さから落ちようとも、ググルォル人はどうともないんだぜ。加えて地面は砂。これで死ぬことはないと! 俺の勘は言っている!!」
「そ。でもわたしがケン・セイの教えから学んだことは、落とすことじゃない」
 セラは冷めた口調でいいながら、薬カバンに手を伸ばす。
「血を流させないってことだから」
 取り出したのは薄褐色の液体が入った瓶一つと四本の注射器。瓶の液体はポポタンポポの痩果そうかから採取した油を主な成分とした薬品。
 治療目的であれば薄め、局所的に使う止血剤、全身への血液凝固促進剤とすることができる。だが薄めずに使えば毒的な血液凝固促進剤となる代物。血管内の血液が凝固するまでには至らないが、傷はできたそばから、血が滲む間もなく塞がるようになる。
 いつの日かルルフォーラと相対するときに、血を流させない方法を探るなか、秘策として製薬したものだった。治療目的への転用は副産物だった。
 アルポス・ノノンジュでは使う前に逃してしまったが、まさか別人に使う機会が来るとは。そう思いながら、セラは四本の注射器に薬品を吸入していく。
 四本全てを終わらせると、瓶をしまい、注射器を片方の手の指と指の間に挟んで持つ。針を手の平側にして。
 あのとき結果的には外れたが、ケン・セイがルルフォーラに向けて放ったのも掌底だった。だからか、セラもその形を自然と倣う。
 跳躍し、宙で回転すると、天にガラスの床を作り出す。それを足場に下に跳ぶと、落ちてゆくガルオンに追い付き、腹部めがけて力強い掌底を放った。
「ぐぬっん……!」
 耐えられた。掌底自体は野獣の強靭な肉体にはほとんど威力を発揮しなかった。彼女の目一杯の闘気の放出でもだ。
 それでも、セラの目的は果たされた。
 注射器からガルオンの体内、血中へと血液凝固促進剤が注入されていく。
 野獣の心拍に乗り、体中を一巡りでもすれば、傷口をすぐに塞ぐ血液が完成するだろう。それを確認するために、セラはオーウィンを抜き、ガルオンに一太刀を食らわせた。
「っく」
「よし」
 血は噴き出なかった。すぐにカサブタに塞がれる。
 確認を終えたセラは、自由落下に成すすべ無しの野獣の先をゆくようにナパードで跳んだ。敵の落下に合わせ、時期を見計らうように軽やかにステップを踏む。
 そうしてガルオンが頭のわずか上まで差し掛かったところで、足を振り上げ、闘気の放出に加え衝撃波のマカを交えた、華麗な蹴り落としを披露する。
「はっ!」
「ふんぐっ!」
 きれいに腹部に入った彼女の蹴りに、ガルオンは筋力を持って耐える。が、流血が止まり力が弱まったか、セラから放たれた二種類の力に弾かれるように急降下がはじまった。
 ガラスの床に着地し、下を覗くセラ。
 遥か上空から見下ろす野獣の姿は砂の大地に吸い込まれているかのように小さくなっていた。常人ならば落ちて助かる高さではない。それに加え、セラが加速をさせた。
 それでもあのままでは、野獣本人も言っていたように命を落とすことはないのだろう。ググルォル人を知らないセラであったが、彼女の勘はそう訴えている。
 しかしこれも、彼女も言った通り、セラがケン・セイから学んだのは落とすことではない。
 セラは目視と超感覚で確認しながら地上へと跳び戻った。


 碧き花と砂が舞う。
 重みで砂の大地が歪みへこむ。
 セラは大きな影の中。片膝をつき、背を丸め、オーウィンを身体の脇から切っ先を真っ直ぐと空に向けていた。
 大きな影。セラに背負われる形となったガルオンはその背から鋭利に輝く剣の切っ先を出し、絶命していた。
 野獣の心臓を一突き。
「んっぁ……!」
 重量のある獣人を大地に降ろし、セラはオーウィンをその身体から抜く。血は刀身にわずかに付着した体内のもののみ。
 セラはそれを軽く払い飛ばし、今一度野獣の骸に目をやった。
 彼女が『夜霧』現役部隊長を初めて討ち取った瞬間だった。

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