碧き舞い花
304:爽やかに笑む男
酒場にいた全員が、セラが彼の名を口にした途端に驚いた。顔は知らずとも、番付で名前を知っているのだろう。
それは彼がこの世界でどれ程の地位にいる人物かを知っているということだ。
彼の近くにいた客たちは席を立ち、酒を零しながら彼から離れて行く。そんな客たちを一瞥した後、コクスーリャはセラとハリテのいる舞台へと歩み寄ってくる。
「なにぶん、不正を許せない性質でね。他の上の人たちには、階数も分からないようなところのことなんて放って置け、なんて止められたんだけど……来ちゃった」
不正を許せない。彼のその言葉にセラは嫌悪を覚えた。彼を睨みつける。
「え? なんで睨むのさ。君に協力するつもりなんだけど」
「……いや、目が悪くて」
「さっきまで、普通だったのに? 面白い嘘だな。まあいい。今はそこの彼と――」
コクスーリャはハリテを冷めた目で見ながらも、カウンターへ向けて腕を振った。
「ぐぁっ……」
店主の悲鳴が聴こえ、人が床を転げる音が数度。セラが目を向けると、店主がカウンターの中でじたばたと暴れていた。彼の頭の先には扉がある。裏口のようだった。
両腕と両脚がそれぞれ、同時に動いている店主。手首、足首を縛られているようだ。目には見えないが、ロープのマカのようなものか。コクスーリャが自身の知らない技術を使ったということだけは、セラにも理解できた。
「君も同罪だから。逃げるなんて許されないよ」
「いやだぁ! 最下層には、行きたくないっ! 俺はあいつに頼まれて、断れなかっただけなんだ! おいっ、みんな分かるだろっ! 強い奴には逆らえないっ! 頼む! 俺は、強要され――」
「違う!」ハリテだ。ガクリと項垂れていた。「話を持ちかけてきたのはそいつだ。ある時から負け続けた俺は、自分に限界を感じて、もうどうにでもなれと思ってた。その時だった」
「嘘だ! 強いから適当なこと言ってるっ!」
「確かに、上手くいってたから、俺も調子に乗ってた節はある。だが、これは強さ頼った言い訳じゃない。本当のことだ。コクスーリャさんがいる前で、嘘は言わない。そこの兄さんにもだ」
「ちがぁうっ! 俺は、脅されて! コクスーリャさん! 信じてくれよぉ!」
「俺は、落とされることを拒まない。そもそも落ちるような実力だったんだ」
店主とハリテの温度差、それからコクスーリャが目の前にいるという事実。セラの感情は昂りを抑え、冷静にこの場を理解しようとする。
「まあ、俺は悪事を暴くだけだ。あとの判断は紫たちに任せるさ。さぁ二人とも、上に連れてってやる」
笑うコクスーリャ。その爽やかな笑みからは冷たさしか感じない。
反抗を見せずに従うハリテと抗う店主。コクスーリャは二人を連行し、店を出て行こうとする。セラはそれを黙って見送ることにした。
このような特殊な状況下で近付くべきではない。そう考えた。目的が目の前に現れたことで意欲も戻って来た。また地道に上を目指そう。
そんな折だった。
「おっと。そうだ、君にも話あるから、ついて来て」
入口で立ち止まり、爽やかな顔が振り向いた。先程とは打って変わって、温かみのある笑みを湛えていた。
「どうせ、上、行くだろ」
俵の階段を昇る。
前を歩くコクスーリャは、話があると言ったが一向に声をかけてくる気配はない。そもそも、その背中は無防備。ここで制圧して情報を聞き出すことが得策なのではと、彼の背を見つめながらセラは思う。
「後ろを取ってるわけだけど、攻撃してこないのか?」
「ぇ?」まるで考えを読んでの質問。セラは警戒する。
「まあ、そうだよな。こいつらみたいに不正働いてまで上に行くなんてしないか。外から来た人間は」
コクスーリャは握った片手をひょいと上げた。前を歩かせている捕まえた二人が、見えないロープで繋がれているらしく、二人の身体がわずかに引かれた。今ではすでに暴れることを諦めたらしく、店主も黙ってコクスーリャに従っている。
「自分の強さ、測りに来てるわけだし……普通は」
どこか尋問じみた言い方だった。セラは平静を保ちながら、会話に臨む。「何が言いたいんだ?」
「何って、だから、こんなチャンスないって言ってんだ」
「さっきあんた自分で言ったろ。俺は自分の実力を試しに来てるんだ。ここでお前を負かしても、強さの証明にはならない。俺はあんたが思ってる普通通りだ」
「ま、話は上についてからだ」
要領を得ない。コクスーリャはすでにセラの正体に気付いているのではと思えてしまう。仮に見抜かれていたとしたらどうするべきか、彼女は弱気にもそんなことを考えていた。勘が、彼女にそんな考えを浮かばせていた。
セラは階段を昇る。勘が当たらないことを願いながら。
それは彼がこの世界でどれ程の地位にいる人物かを知っているということだ。
彼の近くにいた客たちは席を立ち、酒を零しながら彼から離れて行く。そんな客たちを一瞥した後、コクスーリャはセラとハリテのいる舞台へと歩み寄ってくる。
「なにぶん、不正を許せない性質でね。他の上の人たちには、階数も分からないようなところのことなんて放って置け、なんて止められたんだけど……来ちゃった」
不正を許せない。彼のその言葉にセラは嫌悪を覚えた。彼を睨みつける。
「え? なんで睨むのさ。君に協力するつもりなんだけど」
「……いや、目が悪くて」
「さっきまで、普通だったのに? 面白い嘘だな。まあいい。今はそこの彼と――」
コクスーリャはハリテを冷めた目で見ながらも、カウンターへ向けて腕を振った。
「ぐぁっ……」
店主の悲鳴が聴こえ、人が床を転げる音が数度。セラが目を向けると、店主がカウンターの中でじたばたと暴れていた。彼の頭の先には扉がある。裏口のようだった。
両腕と両脚がそれぞれ、同時に動いている店主。手首、足首を縛られているようだ。目には見えないが、ロープのマカのようなものか。コクスーリャが自身の知らない技術を使ったということだけは、セラにも理解できた。
「君も同罪だから。逃げるなんて許されないよ」
「いやだぁ! 最下層には、行きたくないっ! 俺はあいつに頼まれて、断れなかっただけなんだ! おいっ、みんな分かるだろっ! 強い奴には逆らえないっ! 頼む! 俺は、強要され――」
「違う!」ハリテだ。ガクリと項垂れていた。「話を持ちかけてきたのはそいつだ。ある時から負け続けた俺は、自分に限界を感じて、もうどうにでもなれと思ってた。その時だった」
「嘘だ! 強いから適当なこと言ってるっ!」
「確かに、上手くいってたから、俺も調子に乗ってた節はある。だが、これは強さ頼った言い訳じゃない。本当のことだ。コクスーリャさんがいる前で、嘘は言わない。そこの兄さんにもだ」
「ちがぁうっ! 俺は、脅されて! コクスーリャさん! 信じてくれよぉ!」
「俺は、落とされることを拒まない。そもそも落ちるような実力だったんだ」
店主とハリテの温度差、それからコクスーリャが目の前にいるという事実。セラの感情は昂りを抑え、冷静にこの場を理解しようとする。
「まあ、俺は悪事を暴くだけだ。あとの判断は紫たちに任せるさ。さぁ二人とも、上に連れてってやる」
笑うコクスーリャ。その爽やかな笑みからは冷たさしか感じない。
反抗を見せずに従うハリテと抗う店主。コクスーリャは二人を連行し、店を出て行こうとする。セラはそれを黙って見送ることにした。
このような特殊な状況下で近付くべきではない。そう考えた。目的が目の前に現れたことで意欲も戻って来た。また地道に上を目指そう。
そんな折だった。
「おっと。そうだ、君にも話あるから、ついて来て」
入口で立ち止まり、爽やかな顔が振り向いた。先程とは打って変わって、温かみのある笑みを湛えていた。
「どうせ、上、行くだろ」
俵の階段を昇る。
前を歩くコクスーリャは、話があると言ったが一向に声をかけてくる気配はない。そもそも、その背中は無防備。ここで制圧して情報を聞き出すことが得策なのではと、彼の背を見つめながらセラは思う。
「後ろを取ってるわけだけど、攻撃してこないのか?」
「ぇ?」まるで考えを読んでの質問。セラは警戒する。
「まあ、そうだよな。こいつらみたいに不正働いてまで上に行くなんてしないか。外から来た人間は」
コクスーリャは握った片手をひょいと上げた。前を歩かせている捕まえた二人が、見えないロープで繋がれているらしく、二人の身体がわずかに引かれた。今ではすでに暴れることを諦めたらしく、店主も黙ってコクスーリャに従っている。
「自分の強さ、測りに来てるわけだし……普通は」
どこか尋問じみた言い方だった。セラは平静を保ちながら、会話に臨む。「何が言いたいんだ?」
「何って、だから、こんなチャンスないって言ってんだ」
「さっきあんた自分で言ったろ。俺は自分の実力を試しに来てるんだ。ここでお前を負かしても、強さの証明にはならない。俺はあんたが思ってる普通通りだ」
「ま、話は上についてからだ」
要領を得ない。コクスーリャはすでにセラの正体に気付いているのではと思えてしまう。仮に見抜かれていたとしたらどうするべきか、彼女は弱気にもそんなことを考えていた。勘が、彼女にそんな考えを浮かばせていた。
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