碧き舞い花

御島いる

271:成功

「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁああああ゛ぁああぁ゛………………」
 後にも先にもドルンシャ帝の声でこれほどまでに苦痛に満ちた悲鳴が世に放たれることはないだろう。そんな、断末魔ともとれる声だった。
 もがき苦しむ様があまりにも激しく、セラが弾かれるように飛ばされたのは数刻前。今はズィーと並んで、ドルンシャ帝と液状人間ヌーミャルの行く末を見つめている。
「だいぶ粘るな……葉っぱそのもの飲ますか?」
「馬鹿言わないで、それじゃドルンシャ帝が死んじゃうでしょ」
「分かってんだけどよ。どうにも見てられねぇじゃん、これ」
「まだ出てこないんだから、ちゃんと見張ってないと。もしかしたらってこともある」
「んー、まあな」と相づちを打ちつつも、暇を持て余したズィーが問う。「みんなの救助は進んでるか?」
 セラの超感覚を頼りにしているのだろう。
「外在力で空気感じられるでしょ?」
「空気がシケてると鈍るんだよ」
「ほんと?」
「ほんと。疑うならあとでンベリカに聞いてもいいぜ」
「はぁ……ドルンシャ帝から意識逸らしてる場合じゃな――」
「俺がすっごく見とくから、一瞬。なっ。セラなら一瞬だろ?」
「もう……」
 不承不承な態度を見せたが、セラ自身も実は救助の進行具合を知りたいというのが本心だった。感覚を外に向け研ぎ澄ませる。
 止まぬ雨と濁流の騒音の中、多くの人の気配を感じ取る。液状人間から解放された人々と救助をする人々。その差は計るまでもなく大差で、前者が圧倒的に多い。救助活動をするには適さない環境も相まって、時間がかかりそうだった。
 声に耳を傾ける。
「ここにも流れ着いてるぞ!」
「一人として見逃すな!」
「一般人も忘れるなよ!」
「家の下敷きになってる! 俺が隙間つくる、引き出してくれ!」
「息してない人を優先しろ!」
「休んでる暇はないですよ!」
 最後に珍しく他人に強く出て指示しているヒュエリ司書の声を聴いて、セラは意識を帝に戻した。
「ここは時間かかりそう。他の場所は分からないけど」
「まあ、こんな状況じゃな」
 ズィーが雨空、濁流を順に見やった。
「っぁあ゛ぁあっっくっそ……がぁああああ」
 今までと違った叫びに二人はドルンシャに注目する。すると彼の輪郭がぼやけ出し、次第にその理由が全身から滲み出す水のせいだと分かる。
「セラ、これって」
「うん……成功、だけど」
「だけど? だけどって――」
 ズィーの声を掻き消すように、ドルンシャから滲み出した水が四方八方に弾けた。それにはセラも反応できず、渡界人二人は水煙を伴う飛沫の中に消えた。


 激しく体が打ち付けられる。何度も、何度も。
 気を失っていた。
 気付けば藻屑のように濁流に弄ばれていた。
 よく水を飲まなかったものだと頭に過ると、どういうわけか水中だというのに呼吸ができていた。変態術で常人より長いこと息を止めていられる彼女だが、ビュソノータスの海原族のように水中で酸素を取り入れることは不可能だ。
 ではなぜ――。
 口と鼻を覆うように空気が顔に張り付いていた。
「?」彼女も知らない事象に首を傾げる。
 しかし今は水から上がることが先決と、水中を転がりながら辺りを見る。濁流で視界が悪いが、ちょうど建物の柱と思われるものが目に入った。彼女はそれを掴む。
 が。
「っ!」
 流れのままに手が滑ってしまった。反対の手を伸ばすが届かない。彼女は咄嗟に身体に力を入れ、なんとか身体を回し、脚を伸ばした。
 つま先が柱を捉える。
 そのまま腹に力を入れて柱に近付くセラ。ドルンシャの剣によって裂かれた脇腹が痛んだが、力が入らないほどではない。中ほどまで来たところで、突然顔に張り付いていた空気が散り散りとなってなくなった。
「!?……」
 唐突過ぎたその出来事に彼女は水を吸い込んでしまい、大きく息を吐き出す。気泡が濁った流れの中に消えていく。
「っ……」
 それでも何とか体勢を留めようと、柱に身体を寄せようと再び力を入れたその時。
 柱が折れた。

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