碧き舞い花
269:最終局面
ホワッグマーラ奪還作戦はこうだった。
セラとズィーがスウィン・クレ・メージュで譲り受けた『竜宿し』をヒュエリの霊体たちがホワッグマーラの水源という水源に流す。準霊体はものに触れることができ、姿を消すことができる。そのうえヒュエリは瞬間移動のマカを使える。つまり、一気に毒薬を流し込むのにうってつけだったわけだ。
しかし姿を消せるといえども、水に異物が入ればすぐに気づかれてしまう恐れがあった。そこで浸透操作に耐え得るセラ、ズィー、ドードが液状人間の気を引くためにマグリアに立ったのだ。これは、支配下に置いているとはいえ全てに常に意識を向けることは不可能だろうという考えのもとに立てられた案だ。……実は作戦の中で唯一、不確実な部分だったと、会議に参加していた者として付け加えておこう。
そして、液状人間が人々から出ていくとともに、正常な魔闘士たちが駆け付け竜毒に侵された人々の解毒を行い、その間に再度被害者を出さないよう渡界人二人と剣の精が液状人間本体と戦う。
つまり、今は作戦の最終段階に入ろうというところだ。
「はい、それじゃあ、よろしくお願いします」
今、セラはヒュエリへの報告を終えたところだ。これから瞬間移動のマカを使える者を中心にして、熱意ある魔闘士たちが駆け付けるだろう。マグリア以外の場所には基本的にヒュエリの霊体が向かう手はずになっている。
水柱は跡形もなくなり、大量の水は濁流となり徐々にマグリアの街を侵食していった。液状人間の侵略に比べれば、洪水は許容範囲だろう。仕方なかった。
水の流れる音、降りしきる雨の音。それだけだった。
「あとはドルンシャ帝だけか、さ、ここからが一番大変だろ、実は」
「そうだね……来た」
セラは膨大な気配が跳んでくるのを感じ、下を見る。ズィーも倣う。
崩れている個所こそあるが、魔導書館は完全に水没していない。水面から顔を出したモノクロの屋根、空間が一点に集中するように歪む。
それが解放されると……。
淡い紫の髪と瞳。まさしくドルンシャ帝が二人を見上げていた。その顔は憎悪に歪んでいる。本来のドルンシャ帝ならば澄まし顔が標準だろう、セラが初めて見る顔だ。
「……やってくれたな、クソっ! 絶対に許さんっ! この俺を邪魔したこと、後悔させてやるぞっ!!」
「あーあ、完全に怒ってる。身体はドルンシャ帝だけど、案外簡単に終わるかもな」
「……どうかな」セラは空を見上げた。「怒りって馬鹿にできない」
頬に当たる雨粒は大きい。目を細めなければ見上げられないほど連続的だった。そんな雨は止むどころか、液状人間の怒りに合わせて激しさを増し始めていた。地上の水の支配は解いたが、上空に上がり雲を成していた水分はまだ敵の思うままのようだ。
「この前のセラみたいに、か。そうだな、やっぱ大変そうだ」
本当にそう考えているのかと思うような、さっきからあっけらかんとした物言いのズィー。だがセラにはその心中を察することが出来た。冗談でも言ってなければ向き合えない。ドルンシャ帝の力と本気で戦うということは、そういうことなのかもしれないと。
二人は四年前にその実力を目の当たりにしている。魔導・闘技大会。フェズルシィの太古の法にこそ敗れたが、鉄仮面を被りマスクマンとしての初戦では魔素の放出だけで対戦相手のフォーリス・マ・キノスを下し、二回戦ではシューロ・ナプラに何かしらをして一撃で勝負を決めた。その何かしらは、時が経ち経験を積んだセラでも未だに答えが出ていない。
規格外の力。常軌を逸しているが故の未知。知ることを許されない領域。冗談のような存在だと割り切らなければ、呆気にとられる間もなく戦いは終わってしまうだろう。
雷鳴が一つ。
「俺は……」ドルンシャ帝の肩は怒りに震えていた。「この世界を……異空を手に入れる男、ヌーミャル・コーズだ!!」
彼の叫びに合わせ、再び雷鳴。そして雨が彼のもとへと集まりだした。
「優位に立ったつもりだろうが、違うぞ」叫んで冷静になったようで、落ち着いて勝ち誇った笑みを浮かべる。「俺にはまだ天よりの恵みが残ってる」
集まった水は彼の背後で玉となり、その数を増やしていく。雨が降っている限りは増えるのだろう。
「恵み?」セラはドルンシャの背景となっている濁流に冷めた目を向ける。「災害の間違えでしょ」
「んなことより、今あいつ名乗ったよな?」
ズィーはドルンシャ帝を指さして言う。先程からのあっけらかんとした冗談めいたものではなく、真剣な表情だ。
「ヌーミャル・コーズとかなんとか」
「そうだけど、それが?」
戦いに向け集中と気分を高めていたセラはわずかにムスッとしてズィーに目を向けた。
「いや。なんつーか、中身は違うんだなって思ったら、ちょっと気が楽になった。……俺だけか?」
「本人じゃないのは前から分かってることでしょ? 何今さら」
「あ、そっか、俺だけか。わりぃ、じゃあ、始めようぜ、最終決戦」
言ったズィーはわずかにだが表情が柔らかく見えた。
「油断しないでよね」
「分かってるよ。セラこそ、あんま気張り過ぎるなよ。ほら、飛んできたぞ、水!」
二人に向かい、ドルンシャの背から水の玉が放たれた。
ホワッグマーラの運命をかけた最終決戦が幕を上げた。
セラとズィーがスウィン・クレ・メージュで譲り受けた『竜宿し』をヒュエリの霊体たちがホワッグマーラの水源という水源に流す。準霊体はものに触れることができ、姿を消すことができる。そのうえヒュエリは瞬間移動のマカを使える。つまり、一気に毒薬を流し込むのにうってつけだったわけだ。
しかし姿を消せるといえども、水に異物が入ればすぐに気づかれてしまう恐れがあった。そこで浸透操作に耐え得るセラ、ズィー、ドードが液状人間の気を引くためにマグリアに立ったのだ。これは、支配下に置いているとはいえ全てに常に意識を向けることは不可能だろうという考えのもとに立てられた案だ。……実は作戦の中で唯一、不確実な部分だったと、会議に参加していた者として付け加えておこう。
そして、液状人間が人々から出ていくとともに、正常な魔闘士たちが駆け付け竜毒に侵された人々の解毒を行い、その間に再度被害者を出さないよう渡界人二人と剣の精が液状人間本体と戦う。
つまり、今は作戦の最終段階に入ろうというところだ。
「はい、それじゃあ、よろしくお願いします」
今、セラはヒュエリへの報告を終えたところだ。これから瞬間移動のマカを使える者を中心にして、熱意ある魔闘士たちが駆け付けるだろう。マグリア以外の場所には基本的にヒュエリの霊体が向かう手はずになっている。
水柱は跡形もなくなり、大量の水は濁流となり徐々にマグリアの街を侵食していった。液状人間の侵略に比べれば、洪水は許容範囲だろう。仕方なかった。
水の流れる音、降りしきる雨の音。それだけだった。
「あとはドルンシャ帝だけか、さ、ここからが一番大変だろ、実は」
「そうだね……来た」
セラは膨大な気配が跳んでくるのを感じ、下を見る。ズィーも倣う。
崩れている個所こそあるが、魔導書館は完全に水没していない。水面から顔を出したモノクロの屋根、空間が一点に集中するように歪む。
それが解放されると……。
淡い紫の髪と瞳。まさしくドルンシャ帝が二人を見上げていた。その顔は憎悪に歪んでいる。本来のドルンシャ帝ならば澄まし顔が標準だろう、セラが初めて見る顔だ。
「……やってくれたな、クソっ! 絶対に許さんっ! この俺を邪魔したこと、後悔させてやるぞっ!!」
「あーあ、完全に怒ってる。身体はドルンシャ帝だけど、案外簡単に終わるかもな」
「……どうかな」セラは空を見上げた。「怒りって馬鹿にできない」
頬に当たる雨粒は大きい。目を細めなければ見上げられないほど連続的だった。そんな雨は止むどころか、液状人間の怒りに合わせて激しさを増し始めていた。地上の水の支配は解いたが、上空に上がり雲を成していた水分はまだ敵の思うままのようだ。
「この前のセラみたいに、か。そうだな、やっぱ大変そうだ」
本当にそう考えているのかと思うような、さっきからあっけらかんとした物言いのズィー。だがセラにはその心中を察することが出来た。冗談でも言ってなければ向き合えない。ドルンシャ帝の力と本気で戦うということは、そういうことなのかもしれないと。
二人は四年前にその実力を目の当たりにしている。魔導・闘技大会。フェズルシィの太古の法にこそ敗れたが、鉄仮面を被りマスクマンとしての初戦では魔素の放出だけで対戦相手のフォーリス・マ・キノスを下し、二回戦ではシューロ・ナプラに何かしらをして一撃で勝負を決めた。その何かしらは、時が経ち経験を積んだセラでも未だに答えが出ていない。
規格外の力。常軌を逸しているが故の未知。知ることを許されない領域。冗談のような存在だと割り切らなければ、呆気にとられる間もなく戦いは終わってしまうだろう。
雷鳴が一つ。
「俺は……」ドルンシャ帝の肩は怒りに震えていた。「この世界を……異空を手に入れる男、ヌーミャル・コーズだ!!」
彼の叫びに合わせ、再び雷鳴。そして雨が彼のもとへと集まりだした。
「優位に立ったつもりだろうが、違うぞ」叫んで冷静になったようで、落ち着いて勝ち誇った笑みを浮かべる。「俺にはまだ天よりの恵みが残ってる」
集まった水は彼の背後で玉となり、その数を増やしていく。雨が降っている限りは増えるのだろう。
「恵み?」セラはドルンシャの背景となっている濁流に冷めた目を向ける。「災害の間違えでしょ」
「んなことより、今あいつ名乗ったよな?」
ズィーはドルンシャ帝を指さして言う。先程からのあっけらかんとした冗談めいたものではなく、真剣な表情だ。
「ヌーミャル・コーズとかなんとか」
「そうだけど、それが?」
戦いに向け集中と気分を高めていたセラはわずかにムスッとしてズィーに目を向けた。
「いや。なんつーか、中身は違うんだなって思ったら、ちょっと気が楽になった。……俺だけか?」
「本人じゃないのは前から分かってることでしょ? 何今さら」
「あ、そっか、俺だけか。わりぃ、じゃあ、始めようぜ、最終決戦」
言ったズィーはわずかにだが表情が柔らかく見えた。
「油断しないでよね」
「分かってるよ。セラこそ、あんま気張り過ぎるなよ。ほら、飛んできたぞ、水!」
二人に向かい、ドルンシャの背から水の玉が放たれた。
ホワッグマーラの運命をかけた最終決戦が幕を上げた。
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