碧き舞い花

御島いる

260:閉じた世界のセラフィ

 最上階には服がなかったので、彼女はシャツ一枚でジェルマドを探すことにした。あまりこの格好であの老人には会いたくないというのが彼女の本音だった。
 ひとまず屋上へ出たセラ。ジェルマド老人は何かといえば、魔導書館の尖塔の上に立っているという印象を持っていたからだ。が、そこに彼はいなかった。
 素足でペタペタと階段を下りて行き、図書館内を探し回る。
 広大な館内を半分程探し終えたところで彼女はふと疑問を浮かべた。
 そもそもジェルマドが姿を消していたとしても、彼女の超感覚ならば見つけることにそう苦戦することはない。意識していなければ見逃すこともあるだろうが、今は確実に探しているのだ。メィリア・クースス・レガスの術式、隠匿ハイドほど感覚を研ぎ済まなくとも発見できるはずなのに、ここまで見つからないのはおかしかった。
 足を止めるセラ。
 何か忘れている。
 瞳を閉じ、一層感覚を高めながら考える。
 何を忘れている?
 必ずいる。幻想の主はこの書物の中からは出られない。まるで囚われているかのように……。
「ぁ」セラは独り、小さく声を漏らした。
 囚われている。
 禁書『副次的世界の想像と創造』には、百年ほど前にジェルマドの怒りを買った有権者たちが閉じ込められているはずだった。
 四年前、彼女がここに訪れたとき、彼女は彼らの声を耳にしたのだ。
 ――――。
 ジェルマドから彼らに意識を向け直してみたが、何も聞こえなかった。百年以上も怒りを忘れなかった大賢者が今さら彼らを解放することなどありえないだろう。
 それならば――。
「感覚が」セラは手を見つめ、開いて閉じてを数度繰り返した。「鈍ってる」
 どうしたものか。唇を軽く突き出し、サファイアをゆっくりと回した。息を吐く。
 小さく呟く。「竜化の後遺症、かな……?」
 一時的なものであってほしいと心の中で願うセラ。超感覚と気読術は彼女にとって大きな割合を占めている技術だ。永久的に低下したままということになれば、損失は大きい。
 そんな不安に肩を落とし、誰かが自分の容態を見に戻ってくるだろうと、彼女にしては後ろ向きな考えのもと、最上階のベッドへと花を散らしたのだった。


 ベッドの上で丸くなり、ぼんやりと幻想色の空を眺める。
 どれくらいそうしていただろうか。夜のマグリアを切り取った禁書の世界では時間の感覚がはっきりとしなかった。
 空腹を頼りにしようにも、目覚めてからずっとあった空腹感は頼りにならなかった。この空腹と、無感動な時の流れを紛らわせようにも食事はもちろん、何ひとつすることがなかった。
 そうしているうちに、セラは再び眠りに落ちていた。
 悪夢でさえ、気晴らしだった。
 そんな悪夢に何の脈絡もなくユフォンが姿を現したことで、彼女は目を覚ます。ぱちりと目を開け、背後に気配を感じることに安堵する。
 振り向きも起き上がりもせず、口を動かす。「ユフォン?」
「ぅわ、起きてたのかい? びっくりした」ふっと笑う。「でも、良かった。三日も寝たままだったんだよ?」
「三日……!?」
 セラは起き上がり、ベッドの縁に座る。
「ホーンノー……ホワッグマーラはどうなったの? 他のみんなは、いないの?」
 復活した超感覚で捉えられるのは幻想に囚われた過去人たちの助けを求める声とユフォンの体動、それから魔導書館の頂点にジェルマド老人の存在だけだった。彼はずっとそこにいたのかもしれない。
「わたし、ズィーにオーウィンを向けたところまでしか、覚えてなくて……」
「大丈夫、みんな、ってわけじゃないけど無事だよ。禁書に大勢の人間を入れたくないって、ジェルマド・カフが言ったから、外にも安全な場所を作ったんだ、最終手段だったけどね、ははっ」
 ユフォンはセラの隣に腰掛けた。
「そこには休めるようなベッドはないから、セラだけここに」
「そっか、じゃあ、これからそこに?」
「もちろん。でも、少し話をしよう。といっても、君が覚えていないところから、今までのことだけだけど。いいだろ? 君がホワッグマーラに来てから、二人っきりの時間がないんだから」
 微笑むユフォン。セラは訝しむ。
「井戸で二人っきりで話したよね?」
「ははっ、もちろん忘れてなんてないよ。もっと二人でいたいってこと。ズィプに比べたらないも同然だろ、僕たちの時間は」
 伏し目がちに微笑み、「うん」と頷くセラ。
 ユフォンが今に至る顛末を語る。

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