碧き舞い花

御島いる

258:朦朧と纏う

 ――変態術の許容を超えた……?
 ――ズィーはこんなのを耐えてる……?
 ――やっぱり全部じゃ、駄目だったのかな……?


 液状人間の浸透、そして狩り場の呪いから逃れられたものの、彼女の意識は朦朧。
 定まらない視点は水溜りをぼんやりと映し、耳を裂かんばかりの耳鳴りが鳴り続ける。
 セラがどうしてこうなったのか、ほんの少し時を遡って説明しよう。


 彼女が液状人間の浸透を前に薬カバンに手を伸ばしたときのこと。あの時、彼女は黒酒とオウゴンシタテングタケの薬を取り出そうとしたのではなかった。
 目的は逆鱗花の葉。
 スウィン・クレ・メージュにてズィーに貰った一枚の葉っぱに打開策を見出したのだ。しかし彼女の手が薬カバンから弾かれたとき、彼女は何も手にしていなかった。
 鍵を握っていたのは指輪。
 鞄に手を入れたその時、セラは指輪に葉っぱを収納したのだ。そして運がいいのか悪いのか、小瓶の破片で切った親指を口に運び、口の中に葉っぱを出現させた。
 それからはすでに述べた通りだ。浸透の際に口に含んでいた逆鱗花の葉を咀嚼し、飲み込んだ。


 どれくらい時間が経ったのか、彼女には分からない。歪む視界に酷い耳鳴り、辺りの状況が把握できなかった。
 朦朧の意識の中ぼんやりと、思考がよたよたと同じところを回る。
 変態術を持つ自身が適応しきれないのかと驚いたのはどれだけ前のことか。全部飲み込まなければよかったという後悔。思い浮かぶズィプガルの顔。
 気絶と激痛による覚醒を繰り返したマカの習得とはまた別の苦しみ。変に覚醒し、休むことなく堂々巡りを繰り返す脳。今は苦痛よりも疲労が彼女を苛む。
 途端。
 身体が浮き上がった。幻覚ではない、誰かに支えられ持ち上げられていた。
 その出来事が思考回路に変化をもたらした。
 ――今、わたしはどんな状態なんだろう……?
 ――目は? 肌は?
 ――わたしを持つのは誰?
 ――ホーンノーレンはどうなったの?


『みんな退いてくれ! 退くのだ!』
 ――誰……やめて、耳、頭が痛い……。
 鳴り響くような声が彼女の頭の中でこだまする。
『我らは、ホーンノーレンを捨てる! これは帝の命である!」
 ――捨て、る? 帝……あ、ヨルペン帝……。
 ――あの人も液状人間に、操られてるんだ……。
 ――許さない。
 ――絶対、許さない。


 怒りが苦痛を和らげたのか、ぷつりと、彼女の思考を途絶えさせた。
 ぼと、べちゃん――。
 思考の途絶えた彼女は自身の意思とは関係なく、自ら、誰かの腕の中から零れ落ちた。
「セラ、大丈夫かっ?」
 彼女を抱えていたのはズィーだった。自分から落ち、泥に伏した彼女を心配そうに見下ろしている。
 竜を宿したルビーの瞳に映るのは泥だらけの姫。彼女の顔が上がり、サファイアと交差する。竜のそれとなったサファイアだ。
「やっぱ、葉っぱ食べたんだな」おどけて言うズィー。「大丈夫、俺だって最初はそんな感じだった。デラバンに押さえつけられながら痛みに耐えたよ」
 しかしその言葉はセラには届いていなかった。荒い呼吸。血走った目でルビーを捉えて離さない。「ズィーまで、操るなんて」
「は?」
「許さない、液状人間……許さない、絶対に、許さないっ!」
「おい、セラ」
 ズィーが彼女に触れようと手を差し伸べる。だが、その手は弾かれた。
「ズィーの口で……呼ぶなっ!」
 言葉の勢いとは相反して、ゆっくりと立ち上がるセラ。ズィーはあまりの異常さに距離を取った。
「俺も、こんなんなってたのか? ならデラバンにわりぃことしたな……」
 言いながら彼はハヤブサに手を掛ける。
「まさか、本気で剣を向けなきゃならない時が来るなんてな。しかも、なんだよそれ。まだそんなの隠してたのかよ」
 苦笑ぎみに抜刀するズィー。セラの身体に碧きヴェールが輝き纏わりついたのだ。
「色々と冗談きついぜ、セラフィ!」
 叫ぶズィプ。
「絶対、救う、ズィーも、ホワッグマーラも……」
 フクロウを構え、怒りに闘志を燃やすセラフィ。
 その竜のまなこは虚ろで、すでにズィプガルは映っていなかった。

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