碧き舞い花

御島いる

235:姫と騎士の盟約

「……お前のことだから」スヴァニを納め、汗を拭うズィー。「聴こえてたんだろ?」
「うん」
「悪かったよ」
 面と向かって、男らしく、澱むことなく彼は非を認めた。
「うん」
 セラはどこか湿った風が吹いた気がした。ホーンノーレンで初めて感じる風だ。
 そこから数分間、二人は言葉を交わすことはしなかった。
 二人にはその時間、空間があれば充分なのだ。もちろん、二人とも言いたいことは山ほどあっただろう。それでも、それでよかった。
 二人にとって、間違いなく許しの場だった。
 湿った空気を乾いた風がさらっていった。それを合図にセラが沈黙を破る。
「約束して、ズィー」
 サファイアがちらりと『紅蓮騎士』の額の傷を映す。それからルビーの瞳を真っ直ぐと見つめる。美しい顔立ちが故に半ば睨んでいるように見えないでもない。それくらい真剣な眼差しだ。
 だが、反して口調は穏やかで、温かみのあるものだった。
「わたしのせいで傷つくことだけは、やめて」
「……」
 視線をそらさず。ズィーのルビーには姫君の姿だけが映る。美しきノーレンブルーの壁すらも、排除だ。
「それはわたしが今一番嫌なことだから」
「嫌なこと、か……」ズィーはわずかに俯き、すぐに真っ直ぐセラを見る。「でも、無理だ」
「……」喧嘩の直後に聞いたユフォンの言葉がセラの頭の中で重なった。
 今度はセラが視線を落とし、再びズィーを見つめ直す。
 ズィーが続ける。
「俺はお前に嫌われようが、お前を守るよ。セラ」
 セラは悲し気な表情を見せる。大切なもののために命を賭ける。その気持ちはセラとて同じ。理解できるからこそ、強くやめさせようとすることができない。
「昔はさ、守ってもらえると嬉しかった。もちろん、それでズィーが怪我をすれば、自分を責めることもあったけど……。でも今は、怖いの。自分たちが強くなればなるほど危険の大きさも膨らんで、そのうち怪我じゃ済まないようなことになる……! だから、怖い」
 ズィーは黙ってセラを見つめ続ける。
「ズィー。わたし、もう大丈夫だよ。わたしだって一緒に修行したわけだし、強くなったの知ってるでしょ?」
 しばしの沈黙。
「もちろん。今回は見てたからな。場合によっちゃ俺よりも強いかもしれないってことまでちゃんと知ってる」
「なら――」
「でも、守る。強くなっても、大事なものに変わりはない。だから守る。セラの方が完全に強くなったって、俺は守る!」
 セラは何も言えなかった。ズィーには自身のことを大事にしてほしいと思っているにも関わらず、口を紡ぎ、頬を染める自分がいた。
「それに、言ったろ? 守ると決めた女はこの命尽きるまで守り抜くって」
 彼が四年前、ビュソノータスで決意と共に口にした言葉だった。
 久しぶりに聞いたその言葉はセラの胸をキュッと締め付ける。
 ――命尽きるまで。
 彼女が引っかかるのはこの部分だ。
 初めて聞いたあのときは嬉しさのあまり顔が熱くなったが、今は染まった頬が白さを戻していく。
「わかった。けど、一つだけ、確認」
「ん?」
「命を投げ出すってことじゃないよね……?」
 命と引き換えに自分を守るような事にはなってほしくない。それがセラの一番の願いだ。なんせ彼女は兄をそういった理由で失っているのだから。
 守られ、ズィーが傷つくことには目を瞑れたとしても、それだけは何が何でも嫌だった。もう二度と。
「ったりめぇだろ。そのために強くなったんだ。守って終わり、即退場なんてもうヤダからな」
 力強く拳を握る『紅蓮騎士』。かと思うと、ふと力を抜いた。
「てかよ、さっきから俺が死ぬようなことばっか言って、お前。信じろよ、俺を」
「信じてるよ」
「じゃあ、もっと信じろ。いいか、英雄ズィプガル・ピャストロンが死ぬときは寿命を全うした時だっ!」
 ニッ。快活に笑う青年騎士。
「その時までずっと傍にいて守る」
「……」姫は目を瞠り、そして微笑む。「うん、そうだね」
 言ったセラは、その顔に再び真剣の色を混ぜた。
「じゃあ、それが約束」
「おう」
 頷くズィーの顔もまた真剣そのもの。
 これでいい。ズィーはこれでいいんだ。すっと彼女の胸のうちは落ち着いていく。不安が消えたわけではない。それでもいいようのない安心感が花開く。兄や伯父、それから兄弟子に対して感じるものとも違い、筆師に対して抱くものに似てはいたが、どこか違った安心感だった。
 サファイアとルビーは優しく見つめ合う。
「あ! ユフォンくんいた! ジュメニも! セラちゃんはどこですか?」
 二人を包み込んでいた雰囲気を取り払ったのはヒュエリの声だった。超感覚なしにもはっきりと聴こえる大きな声だ。
 帝居から出てきたヒュエリが、渡界人二人を離れた物陰から見守っていたユフォンとジュメニに声をかけたのだ。もちろん、二人が完全に去っていなかったことは、セラにははっきりと分かっていた。そしてこちらももちろんだが、ズィーは違った。
「って、二人とも見てたのかよ」
「大丈夫だよ。聴こえてはないと思うから。ほら、行こう。ヒュエリさん、わたし探してるし」
 そうして二人は、揃って薄群青の袋小路を出たのだった。

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