碧き舞い花

御島いる

234:ノーレンブルーの袋小路

 ユフォンはわずかに笑って彼女の横に並ぶ。何も言ってこなかった。
「あんまり汗かいて、水を無駄にしないでよ、ズィプくん」
 歩むセラの耳にジュメニの声が聴こえてきた。もちろん、次いで聴こえてくるのはズィーの声だ。会話中でも構わずスヴァニの素振りをやめない。
「なんかっ、落ち着かなくてっ。安心っ、してくださいっ、シャワーも浴びないしっ、水も少しだけしかっ、飲まないんでっ」
「いやいや、ズィプくん。ホーンノーレンでそこまで汗かくって相当なことだから、ちゃんと水は飲んでよ。戦う以前の問題だよ? 体調管理は」
「大丈夫っすよっ。セラほどっ、じゃないけどっ、ある程度ならっ、過酷な状況っ、でも平気なんでっ」
「……仮に体調の方がいいとしても、汗臭いと嫌われちゃうぞ、セラちゃんに」
「……っ」
 風切り音がわずかに乱れた。聴いていたセラも足を止めた。少し前に行ったユフォンが、不思議そうに振り返る。
「ユフォンくんから訊いたよ? 喧嘩中なんだってね。意地悪言ってごめんね」
「別に……っ」
「ねぇ、ズィプくんはわたしたちのところに現れた時の事、覚えてる?」
「?」
「いや、別に思い出話をしたいわけじゃなくてさ。すごい必死だったよねって」
「そりゃっ、まあっ、セラを探してたわけだしっ……」風切り音が止まった。「なんすか、今は必死さがないって言いたいんですか?」
「ううん、違う。第一わたし、ズィプくんとセラちゃんに会うの久しぶりでしょ、分かんないよ、二人がどんな関係になってるかなんて。分かんなきゃ、必死かどうかだって分かんないでしょ?」
「まあ、そうっすね。じゃあ、なんですか?」
「うーん、わたし、こういう色恋沙汰とは無縁だから何とも言えないんだけど、必死だから喧嘩とかするのかなぁーって。わたしは母さんを知らないから、夫婦喧嘩っていうのを見たことがない。だからはっきりと分からないんだ。恋とか愛、もしかするとそこまでいかない好意かもしれないけど、そんな繋がりを持つ男女がどうして喧嘩するんだろうって」
「……ヒュエリさんと喧嘩したことないんですか?」
「え? ないことはないけど、なんで?」
「たぶん、そういうのって友情とかと同じなんじゃないんすか? 別に相手を傷つけたくて喧嘩するわけじゃないっていうか……俺もはっきりと分かんないっすけど」
「男女間の喧嘩も、友達とする喧嘩も同じってことか。そんなもんなのかぁ。……ってことは些細なことで喧嘩するってことだよな、ヒュエリとの喧嘩なんてだいたいそうだし。甘いもの食べ過ぎだって言っただけで、喧嘩になるんだから」
「はぁ……。まあ、些細な事っすね。ほんと些細な事……。ムキにならずに謝れば済むことで喧嘩になる。悪いのは俺だってわかってても、歯止めが利かなくなるっていうか……不器用だ、俺は」
 セラは引き返す。
「セラ?」ユフォンは訝しんで続く。
 訊きたかった言葉。彼はずっと胸に秘めていた。彼もまた意地を張っていた。
「分かってるのに、謝らないの?」
「謝りたいんすけどね、タイミングって大事だと思――」
「ん? どうしたの…………あ、セラちゃん。と、ユフォンくん」
 ノーレンブルーに囲まれた袋小路。
 ズィーはスヴァニを持ったまま立ち、ジュメニは傍らに置かれた腰掛に座っていた。
「わたしも、タイミングって大事だと思うぞ。な、ユフォンくん」
「え、ちょっと、ジュメニさん……!?」
 ジュメニは立ち上がると、ユフォンと肩を組んで袋小路を出て行った。ユフォンは心惜しそうに首を目一杯後方に回していた。
「ズィー」
 セラはルビーを真摯に見つめる。

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