碧き舞い花

御島いる

224:贅沢な暮らし

 浸透寄生を打ち破る方法を探ると、協力すると言ったはいいものの、セラには自分に何ができるのか全く分からなかった。せめて、液状人間の気配を感知することができれば話は変わってくるのに。
 彼女は朝食を兼ねた昼食を食べながら度々小さくため息を吐いていた。
「あまり気負わなくていいんだよ、セラは。そもそもはホワッグマーラの問題なんだからさ」
 向かいに座るユフォンがスフレを頬張りながら言う。
「分かってる。けど」
 セラは辺りを見回した。
 ホーンノーレン帝居の舞踏の間は他都市から避難してきた人々の生活空間と食堂の役割を担っていた。
 壁に添うように設えられた簡易個室により個人の生活は守られ、彼女や他の昼食を楽しむ人々が口にする食事は贅沢の極み。そこにいる人々の顔は笑顔で満ちていた。世界が危機的状況だということを忘れてしまったかのようだ。
「みんなこの状態に満足してるみたい……」
「うーん、そうかな?」ユフォンは首を傾げて見せた。そして少しばかり視線を泳がせたかと思うと一点で止めた。「ほら、あそこ」
 言われてそちらに目を向けるセラ。広い部屋の隅にある個室の前、そこには駄々をこねる子どもとあやすのに四苦八苦している母親の姿があった。あまりにも遠く普通の人間ならば子どもの喚き声も聞こえないだろうが、セラには母親の困り果てた声まで明瞭に聞くことができた。
「お家、帰りたぁ~い……」
「そんなこと言ったら駄目でしょぉ……。ヨルペン様がお家に泊めてくれてるんだからぁ……」
「じゃあ……パパ、は? パパに会いたいよぉ~……」
「……」
 恐らくあの子の父親は液状人間の支配下にあるのだろう。
「大人たちは普段より豪華な暮らしができてることに、頭を切り替えてる。まあこれならいいかって。でも子供はそこまで器用じゃない。あの子だけじゃなくてさ、家に帰りたいって子は増える一方。あ、ヨルペン帝……」
 母子のもとへヨルペン帝が歩み寄っていった。彼は毎日のように避難してきている人たちに声掛けをしているのだとユフォンは言う。
「人々を想う気持ちは充分すぎるほどあるけど、決断力と行動力に欠ける。保守的であることを悪いとは言わない。現にこれまでこの都市が無事だったのはヨルペン帝が守りに重点を置いたからだろうし。けど、状況は少しずつ変わっていく。それに対応していかないと駄目なんだよなぁ……」
 やっぱり世襲制の帝だと当たり外れがあるなぁ、と漏らしながらソーセージを齧ったユフォンだった。その小気味いいカリッという音と共に、セラの耳にはヨルペン帝の声が届く。
「どうしたんだい?」
 帝は子どもと目線の高さを合わせ、手を頭の上に優しく載せた。
「……お家、帰りたいの…………」
「……。自分のお家の方がいいよね」ヨルペン帝はにこりと笑った。「もう少し、もう少し待てるかい? 必ず帰れるよ」
「ほんと?」
「ほんと。絶対に帰れる」
 それはとても芯のある宣言だった。目処など何ひとつ立っていないというのに、傍から聞いていたセラまでももうすぐホワッグマーラは元に戻るのだろうと思ってしまったほどだ。子どもに心配をさせないための、慰めるためだけの安易な嘘というわけではない。セラはそう感じた。
 口では保守的なことを言っているが、内心は攻勢に出ることを考えているのかもしれない。優柔不断が故に考え過ぎてしまい、何か引っかかって口には出せない。もしそうなのであれば、きっかけがあればいいはずだ。
 そしてそのきっかけとなりうるのが、浸透寄生された人々を解放する方法の発見なのだろう。その考えに至り、セラはひと際大きなため息を吐き、パンを一齧りするのであった。
「ぅっ、わぁ……」
 乾燥した土地とは相反して、まるで果物のようなパンだった。果汁ならぬパン汁が齧りついたところから溢れだす。あまりの量だったために、口の端から盛大にだだ漏れた。
「ああっ、大丈夫かい?」
 ユフォンが差し出したナプキンを受け取り、セラは口元を拭い、机の上に垂れた汁もきれいに拭きとった。
「ごめん、説明するべきだったね、先に。僕が食べてるのを見てるから分かってると思たんだけど」
 言われて、彼女はユフォンの皿を見る。確かに、そこには件のパンが半分ほど残っていた。
「気付かなかった……。スフレとソーセージを食べてたのは知ってたんだけど……」
「食事のときくらい、食事に集中した方がいいよ」そう言って、彼はセラの顔に向かって手を伸ばした。「ほら、ここにも」
 筆師の指が優しく彼女の頬についた水滴を拭った。
「ぁりがと」
 頬を染めないまでも、目をぱちくりとさせたセラ。ゆっくりとパンに口をつけた。

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