碧き舞い花

御島いる

219:喧嘩

 乾燥するホーンノーレンで拭う程の汗などかくはずもないのに、ズィーは手の甲で額を拭った。ユフォンにより治癒のマカを施されるクラスタスを心配そうに見下ろす。
「ちょっと、ズィー。もっと加減しなさいよ! この人にはそもそも斬られる筋合いなんてないのよ!」
 セラは珍しく本意気で怒っていた。
「いや、でもよ。金剛裁断こんごうさいだんで加減とか言われても……てか、いいじゃんか、死んでないし、ユフォンが治してるし!」
「言い訳しないっ! 金剛裁断がそういうものだって分かってるでしょ!」
「もちろん。だからさ! この人が硬かったから使った。間違ってないだろ?」
 金剛裁断。研ぎ澄まされた刃は金剛をも断ち切る。
 思惟放斬と同じくシズナの奥義の一つだ。その絶大な断裁力はまっすぐな太刀筋と集中力によって生み出される。
「それならわたしがやった方がよかったじゃない」
 元々力強い振りをするズィーには及ばないが、セラにも金剛裁断は使えた。それに加え彼女はより一層の集中を擁するも、意のままに斬撃対象を選別できる思惟放斬も使える。セラがクラスタスを斬っていたら彼はここまで重症にはならなかったかもしれない。
「なら、そうすりゃよかったろ。いちゃいちゃしてんのが悪い」
「はぁ?」
 ズィーの棘のある言い方に、セラはその麗しい顔を歪める。
「してたろ?」
 サファイアとルビーがキッと視線をぶつけ合う。
「おいおい、二人とも。俺たちが仲間割れしてる場合じゃないんだぞ」
 渡界人二人の仲裁にヤーデンが入る。ユフォンがクラスタスの治療を始めたことで彼の治療は中断され、身体の傷はまだまだ痛々しい。
「そうだよ、二人とも。これ結構集中しないといけないんだ、静かにしててもらうと助かるよ」
 仰向けのクラスタスの胸から腹にかけての傷を癒しながらユフォンが言う。
「……っち。ヒュエリさんとドードの方、行ってくる」
 セラを一瞥してからズィーが去って行く。彼女は彼の目を合わせようとはしなかった。自分が正しいと思っているからだ。
 意図せずして敵になってしまった人を瀕死の状態まで追い込むことなど、ありえない。たとえ対峙したとしても、その命は奪っていいものではないのだ。戦闘不能にすればそれで済む。確かに間違いを犯し、関係のない命を危うくしてしまうこともあるだろう。それならば、謝意を持つべきなのだ。
 それなのに、幼馴染は死んでないならいいと言った。治るならいいと言った。言い訳をした。
 彼女にはそれが許せなかった。
 戦士として非情になることは、おそらく正しいことだ。彼女とて『夜霧』相手ならば容赦はしない。
 だが命を奪うことを軽んじてはいけない。
 たとえ、それが仇敵だったとしても、その命の重さを自らの命が果てるまで背負うのが戦士としても務めだとセラは考えていた。
 ――わたしたちは殺戮者じゃない。
「セラ」
 不意に抱擁。
 セラはそこまで思考の海に沈んでいたのだ。超感覚が閉じるほどに。彼女は小さく息を漏らし、数秒後に、自分を抱いているのがユフォンだと知る。
「ユフォン? 治療は?」
「人と人の関わりはマカじゃどうにもならないな」
 包み込むような優しい声だった。彼女の知る屈強な戦士たちに比べれば、お世辞にも逞しいとは言えない筆師の身体つき。それなのに、身を許してしまおうと思わせる安心感がある。
「…………。じゃなくて、その人の――」
「喧嘩が駄目だととは言わないよ、セラ」彼は彼女の肩に両手を置いたまま体を離した。「なんなら僕だって君と喧嘩したいくらいだ。ははっ」
 優しく笑うユフォンの目を、セラはじっと見つめるだけだった。
「あー、俺は彼やヒュエリ司書の方を見てくる」
 ヤーデンがそそくさと去って行った。
 少しばかりヒュエリ達の方に意識を向けた彼女。戦いはもう、終わっていた。ジュメニはヒュエリがマカで拘束しているようだ。
「口出し出来ることなんてないくらい二人の付き合いは長いだろうから分かってるだろうけどさ、ズィプだって本気でクラスタスさんが死んでもいいだなんて思ってないよ」
「……それは、分かってるよ。でも、どこか命を軽く見てる気がして、嫌なの」
 セラはユフォンの視線から逃れるように目を伏せた。
「人の命を軽く見る人は、自分の命だって軽く見る」
 乾いた風が、艶やかなセラの白金の髪を撫でる。まるでその潤いを欲しているかのようだ。ユフォンは何も言わない。ただただやんわりと彼女の肩に両手を乗せたまま、じっとしている。訊くに徹する意思表示だった。
「いつか、わたしのためにズィーが命を投げ出すんじゃないかって思っちゃうの。わたしを守ることへの執念みたいなものを持ってる。それが、嬉しくて、怖い……」
 これまでで一番ズィーが命を危険に晒したのはビュソノータスでの異空の怪物との戦い。その後にも、命の危機に瀕することはなくとも、彼は幾度も彼女を守った。もちろん、セラが彼を守ることもあったが、ズィーのそれはいつ何時であっても本能的で自らの危険など全く考えていない。セラを守れればそれでいいと、感じずにはいられないものばかりだった。
 その執念じみた使命感は彼の命を蝕み、いずれ奪う。まるで呪いのようだとセラは思う。
「ズィーにはもっと自分を大事にしてほしい」
 それは四年前、彼女が伯父のゼィロスに言われた言葉と同じものだった。意味合いは少し異なるだろうが、大切な人を想う気持ちに違いはない。
「……それは」ここでユフォンが口を開き、彼女の肩から手を離した。「たぶん無理だね」
「……?」
 乾きの都市には似合わない潤い持つサファイアは筆師を映す。
「僕だって、セラのためなら無理をする。なら、ズィプだってそうだ。それに、君だってそうだろう?」
 ユフォンの問うような笑み。セラはわずかに瞳を細める。
 誰だって大切なもののために命を賭す。
 彼女もそうだ。そうでなければ『碧き舞い花』という勇者など生まれなかったのだ。
 セラは小さく「うん」とだけ応えた。収まりがついたわけではなかった。未だにズィーへの憤りは消えていない。
 それが表情に出ていたようで、ユフォンが微笑みと共に言う。
「仲直りはゆっくりしていけばいい」

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