碧き舞い花
210:筆師の置き手紙
「やっぱり誰もいない……」
無機質な部屋。
マグリア魔導書館司書室。その無機質さが主がいないことを告げている。
「分かってて跳んできたのかよ。俺が真面目に考えて出した答えを無視して?」
「勘でしょ?」セラは淡と言って窓際へと進む。「それもズィーの。戦いの勘ならともかく、こういうのことには冴えないでしょ」
大時計の下に位置する部屋からは窓一面に橙色の規則正しい街並みが望める。窓明かりがない分少し暗いが、上から見たマグリアは彼女の知っているマグリアだ。
「ぅ……。はいはい、姫君の超感覚と気読術には敵いませんよ。で、どうする?」
「ちょっと探してみるよ」
セラはそう言うと窓の外を向いたまま目を閉じた。感覚を高めることに集中する。マグリアで出会った人々を思い浮かべ、彼らを探し始める。
――ユフォン、ヒュエリさん、ブレグ隊長、ジュメニさん、フェズさん……ドルンシャ帝……。
「駄目……。フェズさんとドルンシャ帝ですら見つからない」
魔素を多く持つ天才二人の気配であれば見つけやすい。そのはずなのだが、彼らすら彼女は捉えることができなかったのだ。
「ほんとに誰もいないのか」ズィーが彼女の隣に歩み寄る。
「うん……」
「俺も、探ってみようかな。セラがやって駄目だったから無駄かもしんねえけど」
不安に眉根が寄るセラを見てか、ズィーは勇気づけるように笑って見せた。かと思うと室内で風が渦巻き、ズィーのもとへ集い、彼を淡く輝かせた。
今のセラには彼に纏わる空気に魔素が混じっているのが分かる。自身がマカを使った時に放たれるものと同じものだ。
「っかぁ~駄目だ。セラの呼吸と水が動いてる振動しか伝わってこない。風すら吹いてない」
ズィーの光がゆっくりと消えていく、まるで残念がるようだ。
「……ユフォンの家、行ってみようか」
そこに彼はいないと分かりきっているが、ユフォン・ホイコントロは筆師だ。何か、今のマグリアの状況に対して情報を書き残しているかもしれない。そう考えてのセラの提案だった。
埃っぽい。
それがユフォンの下宿所に姿を現して最初に感じたことだった。二人がナパードによって起こしたわずかな風圧により埃が舞っている。碧と紅と共演し、一瞬だけ幻想的であったが、二つの色が消えると窓から差す街灯の一方向からの光に、そこだけ霧がかかったようになって見える。
「長いこと誰も入ってないみたいだな。泊まるのも無理そうだ」
ベッドをもふんっとズィーが叩くと、埃が飛び跳ねた。セラはそれには目もくれず、筆師の机に向かう。
「見て」机の上に低質な紙が一枚、埃を被っていた。彼女はそれを手にしてズィーに示す。「読める?」
「ピャストロン家の識字力なめん」悠々とセラの手元に目を向けたズィーだったが、動きを止めた。「……それ以前の問題だな、こりゃ」
ユフォンの達筆は芸術の域に達している。セラよりも他世界の文字を読めるズィーを持ってしても、簡単に読めるような代物ではなかった。そもそも、ホワッグマーラ人でも難解だろう。
「わたしにも読める単語使ってくれてると思うんだけど……ほらこれ」
セラは紙面一番上に書かれた文字列に指を添える。
「これはセラって書いてある。昔わたしの代わりに署名してくれた時に見た覚えがある」
「じゃあ、そのあとのは『へ』ってことか? 手紙なわけだし」
「うん。『セラへ』ってことね。で、その先は? やっぱり駄目?」
「ああ。まったく、これじゃ手紙の意味ないじゃなか、ユフォンの奴」
呆れて首を振るズィプ。セラは埃を払ってから手紙をきれいに折り畳み、背中のバッグに入れた。行商人の使うものと同じものだ。
「無駄かもしれないけど、警邏隊のところとか開拓士団のところにも行ってみよう」
そうして二人は由縁ある場へと赴いたが、誰一人として人に出会うことはなかった。建物の外に出るとファントムが現れたが、噴水広場の時と同様で、二人は襲われているという感覚を忘れるほど簡単に彼らを地に伏させたのだった。
深夜の魔導都市散策はズィーの他の都市に行ってみようという提案で打ち切られた。移動は夜が明けてからということになり、二人は街を一望できる司書室であとわずかとなった夜が明けるのを待つことにしたのだった。
何もない部屋の壁にもたれて座り、二人は眠ることなく待った。一時間もかからずに空が赤紫色に焼け始めた。間もなく太陽が顔を見せ始めると街灯は消え、レンガの街が弱々しくも清々しい光と長い影のコントラストに覆われる。
不意にセラは窓に近付き、街を見下ろす。景色を楽しむためではない。
「どうした?」ズィーが訊く。
「人が、いる。それもたくさん」
彼女が街を見たのは人々の気配を感じたからだった。
「え? どうゆうことだ? ファントムくんみたいに湧いて出たのか?」
冗談めかして言ったズィーに対し、セラは真剣に頷く。「うん」
「? マジかよ!? どうして?」
「分からない……ほんと、いきなり気配が……待って、人が来る」
セラは窓の反対、司書室の扉、その向こうを示す。
「ブレグ隊長だ」
「魔導書館だろ、ここ」ズィーはいまいち不一致な状況に小さく笑いながら立ち上がる。「ヒュエリさんとかユフォンじゃないのかよ?」
扉は開けられた。
鍛え抜かれた身体、赤く縁取られた瞳孔を持つ瞳、赤黒い髪。マグリア警邏隊隊長ブレグ・マ・ダレその人が姿を現した。
「やあ、久しぶりだね。『碧き舞い花』、『紅蓮騎士』」
無機質な部屋。
マグリア魔導書館司書室。その無機質さが主がいないことを告げている。
「分かってて跳んできたのかよ。俺が真面目に考えて出した答えを無視して?」
「勘でしょ?」セラは淡と言って窓際へと進む。「それもズィーの。戦いの勘ならともかく、こういうのことには冴えないでしょ」
大時計の下に位置する部屋からは窓一面に橙色の規則正しい街並みが望める。窓明かりがない分少し暗いが、上から見たマグリアは彼女の知っているマグリアだ。
「ぅ……。はいはい、姫君の超感覚と気読術には敵いませんよ。で、どうする?」
「ちょっと探してみるよ」
セラはそう言うと窓の外を向いたまま目を閉じた。感覚を高めることに集中する。マグリアで出会った人々を思い浮かべ、彼らを探し始める。
――ユフォン、ヒュエリさん、ブレグ隊長、ジュメニさん、フェズさん……ドルンシャ帝……。
「駄目……。フェズさんとドルンシャ帝ですら見つからない」
魔素を多く持つ天才二人の気配であれば見つけやすい。そのはずなのだが、彼らすら彼女は捉えることができなかったのだ。
「ほんとに誰もいないのか」ズィーが彼女の隣に歩み寄る。
「うん……」
「俺も、探ってみようかな。セラがやって駄目だったから無駄かもしんねえけど」
不安に眉根が寄るセラを見てか、ズィーは勇気づけるように笑って見せた。かと思うと室内で風が渦巻き、ズィーのもとへ集い、彼を淡く輝かせた。
今のセラには彼に纏わる空気に魔素が混じっているのが分かる。自身がマカを使った時に放たれるものと同じものだ。
「っかぁ~駄目だ。セラの呼吸と水が動いてる振動しか伝わってこない。風すら吹いてない」
ズィーの光がゆっくりと消えていく、まるで残念がるようだ。
「……ユフォンの家、行ってみようか」
そこに彼はいないと分かりきっているが、ユフォン・ホイコントロは筆師だ。何か、今のマグリアの状況に対して情報を書き残しているかもしれない。そう考えてのセラの提案だった。
埃っぽい。
それがユフォンの下宿所に姿を現して最初に感じたことだった。二人がナパードによって起こしたわずかな風圧により埃が舞っている。碧と紅と共演し、一瞬だけ幻想的であったが、二つの色が消えると窓から差す街灯の一方向からの光に、そこだけ霧がかかったようになって見える。
「長いこと誰も入ってないみたいだな。泊まるのも無理そうだ」
ベッドをもふんっとズィーが叩くと、埃が飛び跳ねた。セラはそれには目もくれず、筆師の机に向かう。
「見て」机の上に低質な紙が一枚、埃を被っていた。彼女はそれを手にしてズィーに示す。「読める?」
「ピャストロン家の識字力なめん」悠々とセラの手元に目を向けたズィーだったが、動きを止めた。「……それ以前の問題だな、こりゃ」
ユフォンの達筆は芸術の域に達している。セラよりも他世界の文字を読めるズィーを持ってしても、簡単に読めるような代物ではなかった。そもそも、ホワッグマーラ人でも難解だろう。
「わたしにも読める単語使ってくれてると思うんだけど……ほらこれ」
セラは紙面一番上に書かれた文字列に指を添える。
「これはセラって書いてある。昔わたしの代わりに署名してくれた時に見た覚えがある」
「じゃあ、そのあとのは『へ』ってことか? 手紙なわけだし」
「うん。『セラへ』ってことね。で、その先は? やっぱり駄目?」
「ああ。まったく、これじゃ手紙の意味ないじゃなか、ユフォンの奴」
呆れて首を振るズィプ。セラは埃を払ってから手紙をきれいに折り畳み、背中のバッグに入れた。行商人の使うものと同じものだ。
「無駄かもしれないけど、警邏隊のところとか開拓士団のところにも行ってみよう」
そうして二人は由縁ある場へと赴いたが、誰一人として人に出会うことはなかった。建物の外に出るとファントムが現れたが、噴水広場の時と同様で、二人は襲われているという感覚を忘れるほど簡単に彼らを地に伏させたのだった。
深夜の魔導都市散策はズィーの他の都市に行ってみようという提案で打ち切られた。移動は夜が明けてからということになり、二人は街を一望できる司書室であとわずかとなった夜が明けるのを待つことにしたのだった。
何もない部屋の壁にもたれて座り、二人は眠ることなく待った。一時間もかからずに空が赤紫色に焼け始めた。間もなく太陽が顔を見せ始めると街灯は消え、レンガの街が弱々しくも清々しい光と長い影のコントラストに覆われる。
不意にセラは窓に近付き、街を見下ろす。景色を楽しむためではない。
「どうした?」ズィーが訊く。
「人が、いる。それもたくさん」
彼女が街を見たのは人々の気配を感じたからだった。
「え? どうゆうことだ? ファントムくんみたいに湧いて出たのか?」
冗談めかして言ったズィーに対し、セラは真剣に頷く。「うん」
「? マジかよ!? どうして?」
「分からない……ほんと、いきなり気配が……待って、人が来る」
セラは窓の反対、司書室の扉、その向こうを示す。
「ブレグ隊長だ」
「魔導書館だろ、ここ」ズィーはいまいち不一致な状況に小さく笑いながら立ち上がる。「ヒュエリさんとかユフォンじゃないのかよ?」
扉は開けられた。
鍛え抜かれた身体、赤く縁取られた瞳孔を持つ瞳、赤黒い髪。マグリア警邏隊隊長ブレグ・マ・ダレその人が姿を現した。
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