碧き舞い花

御島いる

199:楽しく働く

 夜には部屋に戻ろうと約束を交わし、イソラと別れたセラは迷わずにとある場所へと向かった。
 旅館から望んだ街並みの中に見た、今まさに建設中の蔵の一群を一望できる所だ。彼女が部屋から外を見たとき、蔵に格子が描かれているところだった。
 格子模様はロンドスの蔵。
 少し離れた橋の上から建設風景を眺めるセラ。サファイアに映るのはでっぷりと肥えた巨人の姿だ。定規などの道具を一切使わずに、見事な格子模様を描いていく。
 あれがロンドスで間違いないだろう。しかしどうだろう。丸々とした顔は楽しそうな表情で満ちていた。実際、作業を楽しんでいるように見える。
 悪さをするような人には見えない。
 セラはもう少し近付いて動向を探ることにする。それに、離れているとはいえ橋の上からずっと眺めていたら周囲の者に怪しまれかねない。
 ナパードで跳んで行きたかったが、何せ目立つ。彼女は橋を行く。立体に交差する橋は無数に枝分かれしている。下方から上を見上げると、きれいに光が差し込んでいた。さらにそのまま建物の中にまで続いている箇所もあり、室内は酒場や土産屋をはじめとした商業施設だった。
 商業施設は巨人と共用のようで、大小を含め多種多様な人種の人々が交流している。『夜霧』が拠点を置いているなどとは到底思えない、平穏な世界が広がっていた。支配か壊滅のどちらかだけが奴らの選択肢というわけではないのだ。恐らく、この世界の無尽蔵な倉庫を利用するためには事を荒らげないのが最良なのだ。穏便に済ませているとは考えづらいが。
「お、そこの人。名物、巨兵籠はどうだい?」
 セラがとある屋根の下に入ると、男の巨人が人懐っこく声をかけてきた。
「わたし?」
 少しだけ顔を上げて、セラは巨人と目を合わせる。
「おう、お、お姉さんだったのかい。もったいないね、そんなきれいなのにフードなんて被って。ああ、そうか! ナンパされちゃ困るもんだから! なら、なおさら。そんな時は巨人籠だ!」
「はぁ……」
 あまりのテンポのいいセールストークにセラは困る。巨人籠というのは橋を渡っているときにイソラと話した、巨人の腰辺りに人がいて、運んでもらっているというもののことだ。巨人の歩幅で短時間で移動できるという移動手段である。と同時にアルポス・ノノンジュの観光名所を回ったりするのだそうだ。観光は主に王族や貴族をはじめとした富裕者が行うのだが。
「ごめんなさい、また今度」笑み共に会釈するセラ。
「なんだい。そうなのか。じゃあ、ほんと、また今度、頼みますよ。巨人籠ならナロダロ! 覚えましたか? ナロダロ」
 ナロダロと名乗った巨人はセラに自らの名を復唱するように促しの眼差しを向ける。
 セラは苦笑いしつつ、口にする。「ナロダロさん、ですね」
「おう、覚えたね。それじゃ、良い旅をお姉さん」
「ありがとう」
 セラはにこやかに男の前から去って行った。


 いまだロンドスの作業は続いている。
 セラは彼から死角になる位置にある、巨人ですら目の届かない高さの建物の屋根の陰からそれを見ていた。
 彼は没頭し、時折近くを通った巨人が声を掛けると朗らかに返事をした。そうして日が暮れる少しばかり前に手を止め、未だ完成を見ない蔵たちのもとから離れて行った。
 セラはロンドスを追った。巨人を目で追うのは以外にも難しいことだった。巨人の全体像を捉えることは接近しては不可能。かといってずっと顔を見上げているわけにもいかない。目立つ上に、セラの行く橋は上下に交わり視界を塞ぐのだ。
 だからセラは気読術の鍛錬にちょうどいいと、気配でロンドスを追うことにした。道行く異界人たちをなるべく意識に入れず、ただただ巨躯に集中する。穏便な性質を持つ巨人らしく、気配は強者のそれではない。
 やはり脅されていると考えるべきか。
 太陽は完全に地平に姿を隠したがわずかに明るさを残す時分。橋や蔵をはじめとした建築物に灯りが灯り始め、光源の選手交代が行われる。
 ロンドスは酒場を訪れていた。
 大小の人々で賑わう酒場をセラは建物の外から観察する。でっぷりとしたロンドスと共に巨大な卓につくのは対照的にほっそりとした巨人だ。彼女は彼らにだけ超感覚を向ける。
「今日は何棟描いた、ロンドス?」
「四棟だ。お前は、デデボロ?」
 彼とともにいるのはもう一人の大蔵貸しデデボロだった。
「ワイは五棟だ。今日はワイの勝ちだな」
「っか~。明日はワテが勝つ」
 二人はそうして笑い合うと、巨大な杯を軽くぶつけ合った。
「……悪い人には見えないな」
 セラは独りごち、意識を彼らから引く。
 二人の蔵貸しは競うように蔵を造っているとモロモは言っていたが、互いを敵視しているようには見えない。二人は互いに高め合う存在。互いを認め合い、その上で相手には負けたくないと努力する。清い好敵手関係なのだろう。
 セラには商売のことは分からないが、もしかしたら競合相手との稼ぎに差をつけようと『夜霧』に手を貸し富を得ているのではないかとも考えていた。だが二人の様子からそれは浅はかな考えだったと彼女は改める。
 やはり、脅されていると考えるのが妥当かもしれない。ひとまずそう結論付け、明日からはそのあたりの調査をしようと決めたセラ。
 その後もしばらく酒を楽しむ巨人二人を見ながら時間を過ごしたが、やはり『夜霧』に関わりがあると思われる話題は出てこなかった。
 そろそろ旅館に戻ってイソラと話す時間だろう。セラは辺りに細心の注意を向けた後、完全に夜となったアルポス・ノノンジュに碧き花を散らしたのだった。

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