碧き舞い花

御島いる

144:再びのビュソノータス

「ひょぁあ……!」
 ビュソノータスに着いた途端、ズィーが悲鳴に似た声を上げた。体を抱いて擦る。変態術と雲海織りの衣で守られているセラと違って、彼はこの地の寒さを防ぐ術を持っていないのだ。
「中に入れば雲海織りの服あるから大丈夫だよ」
 セラの言う中というのはもちろん、回帰軍の砦のことだ。寒さで体の強張るズィーの手を引いて、彼女は蒼白い石でできた砦へと入った。
 しかし、足を踏み入れると違和感で満ちていた。
 静かで、人の気配がない。
 ランプには火も灯っていないし、歩く地面は砂埃でざらついている。廊下から見える扉たちは破れていたり、半開きになっていたり。
 セラは厳しい表情で一番近くの、扉が半開きの部屋に入った。誰もいないことは扉を開ける前から分かっていたが、彼女は部屋の様子を見てさらに表情を険しくする。
 その部屋は誰かによって荒らされたように見える。
「急いで逃げたみたいだな」ズィーはベッドに置かれた雲海織りの衣服を勝手に着ながら言う。「う~寒かったぁ……」
 彼が言うように、誰かに荒らされたように見える部屋は、部屋の主が荒らしたものだと推測されるありさま。全体ではなく所々が乱雑だ。最低限の荷物だけを早急にまとめて出て行ったと見受けられる。
「襲撃されたのかな……?」
「まあ状況的には、そうだろ。でも、逃げる時間はあった」
「大丈夫かな、みんな」
 ひとまず世界が破壊されていなかったことには安堵したセラだったが、回帰軍の安否を案ずる。ヌロゥ率いる部隊は退去したのかもしれないが、他の『夜霧』の部隊に攻撃されているのかもしれない。
「他の場所も見てこうぜ」
 考えを巡らせ、不安が過ったセラだったが、ズィーの提案で砦の中を一通り回った。
 キテェアの部屋は医療道具が散乱し、エリンの部屋は彼女が知るものよりさらに雑然としていた。
 食堂はほとんどの机が割れ、ささくれ立っていた。料理の匂いなど一切ない。
 砦の荒れようから見て、置いて行ってしまった彼女の荷物は回収できないと考えていいだろう。
「あ、セラ。荷物で思い出したけど、これ、ラィラィから貰ったバッグ。こんなに小さいけど色々入るんだ」
 ズィーから手渡されたのはラィラィが背負っていたバッグと同じもの。だが、少しばかり使い古されている。
「ありがと」
 彼女はオーウィンと共に小さなバッグを背負う。重さは感じない。何も入っていないのもそうなのだが、バッグ自体が背負っていることを忘れてしまいそうな軽さだった。
「で、どうする。セラの知り合いを探す? エァンダ、ってかルピの友達探す?」
 彼女は一度目を閉じた。そして息を吐く。
「エァンダとサパルさんを探そう」
 回帰軍との再会への想いを押しとどめ、彼女は強く、言った。
「よし、そうと決まれば、大きな街だな。地道に訊いて回ろう」


 マグリアでラィラィは、ビュソノータスに争いはないと言っていた。寒いけどいい世界だったと。
 確かに、そうだった。
 セラが超感覚を使い人が多く集まる場所を探し、そこに二人が跳ぶと、そこは三部族が笑顔を向け合う、賑やかな場所だった。市場だ。
 獣の耳を持つ野原族、鼻の脇に二本ずつ切れ目を持つ海原族、羽根っ毛を持つ天原族。いがみ合うことなく、楽し気に言葉を交わし、物の売り買いをしている。
 回帰軍の砦の状況からは想像できなかった光景がそこには広がっていた。
 それでも、皆が天原族の雲海織りの衣服を纏い、海原族が作った機械を使い、野原族の料理を食べる光景はセラの知る回帰軍を思い出させるものだった。
 そして、これこそが回帰軍が目指した夢。
『夜霧』に攻め込まれているといった様子も窺えない。それどころか、ビュソノータスの民ではない者の姿もちらほらと覗く。
 砦が埃まみれで荒れていたのは、軍としての戦いが終わり、その役割を終えたからなのだろうか。セラは近くに屋台の野原族の店主に訊いてみることにした。
「すいません」
「おっ、異界の方だな。なんだい?」
「えっと、三部族は争っていたはずじゃ?」
「ああ。お客さん、来たことあるのかい。そうかい、じゃあ、短期間で様変わりしてて驚いただろ。半年そこら前までだもんな、争ってたのは」
「今は争ってない?」
「ああ、もちろんさ!」
「そうなんだ。じゃあ、回帰軍のみんなが――」
 セラが言った瞬間、市場の音が無くなった。市場にいた人々は動きを止め、視線を彼女に向ける。
「おい、セラ……」ズィーが異様な雰囲気に低く呟いた。
八羽教やつばきょうの関係者だ!」
「八羽教!?」
 身に覚えのない言葉にセラは訊き返す。だが、店主も、市場の三部族たちも聞く耳を持たない。渡界人二人を囲み始める。
「誰か憲兵団に連絡しろ!」誰かが叫んだ。
 次いで店主が吠える。「憲兵が来るまで逃がすなよ!」
「なんなの……?」
「やばいんじゃねえか、これ」
 セラが辺りを見回し、ズィーと目を合わせると彼は頷いて「俺が」と言って彼女の手を取った。
 二人の姿が蒼白い市場から消える。真紅の花を残して。

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