碧き舞い花

御島いる

124:再びの幻書

 何もかもが驚きに満ちたフェズルシィとドルンシャ帝の試合の翌日。
 特別試合の記録を取るためにコロシアムに向かうユフォンと別れて、セラは魔導書館に向かった。
 ヒュエリが落ち合う場所として提示したのは司書室ではなく、図書館の入り口だったため彼女は歩いて行くことにしたのだが、道中に『碧き舞い花』の二つ名が想像以上に浸透していたことに驚いた。
 コロシアムに向かうわけではないからと油断していたが、行き交う人、目が合う人の半分は『碧き舞い花』の名で自分を呼ぶのだ。第一回戦を戦う前とは大違いだった。
 もともとの気質として一世界の姫である彼女にとって、見られること自体は苦にはならないが、二つ名で呼ばれることには抵抗がある。そもそも、二つ名を付けたのは『夜霧』の将なのだから、いい気分なわけがなかった。
 マグリアの人や大会を見に来た異世界の人は親しみを込めて呼んでくれているからこそ、さらに彼女の心境は複雑なものになっていた。


「ヒュエリさん、こんにちは」
 魔導書館の入り口ではヒュエリがソワソワとしていた。セラが声を掛けるととてもうれしそうな顔を向けた。
「セラちゃん! ささ、行きましょう~!!」
 ヒュエリ司書はノリノリだった。家族で遠出する子どものようだ。そんな彼女に呆気にとられつつも、ヒュエリとはそういう人だと最近しっかりと認識し始めてきている自分がいることにセラは少しばかり驚いたのだった。


 ヒュエリについて歩くセラ。
 そこは魔導書館の地下。権限のあるものしか足を踏み入れることが許されない禁書迷宮。四方を白と黒のレンガに囲まれる通路が延々と続く世界。コロシアムの地下よりは暗いが、同じ仕組みで光が差し込んでいるようだった。
 なんでも、禁書が自ら表の世界に出て行かないようにとマグリア随一の建築師が造った魔造建築だという。
「一本道なのに迷うんですか?」
「迷いますよ、それはもう。一本道ですからね」
「?」
 セラにはいまいちわからなかった。
「だいぶ歩きましたけど、振り返ってみてください」
 指示通りにセラは振り返る。すると、そこには扉があった。それは彼女たちが入ってきた扉だ。
「うそ……」
「普通の人なら帰れませんよ。セラちゃんなら大丈夫だと思いますが、念のためわたしから離れないでくださいね」
 二人は再び歩きだす。
「もし、離れたら?」
「珍しいですね。心配するなんて。う~ん……でも、そうですね……とにかく誰かを強く想い浮かべてください。そして、セラちゃんの場合は渡界術で跳べば大丈夫だと思います」
「分かりました」
「安心してください。大丈夫ですよ。……もう着きましたしね」
 ヒュエリが立ち止まり、壁に手を添えた。
 壁は陽炎と化し、消えてなくなった。
 消えた壁の向こうからはゆらゆらと揺れる紫とピンクの中間のような色の光が漏れ出ていた。ヒュエリがコロシアムの予選のために持ち出した『副次的世界の想像と創造』が、壁から出た鎖に縛られながらも、陽炎のような装丁を彼女たちに向けていた。それはニヤリと笑って見える。
 セラが喉を鳴らす。
 ヒュエリは壁がなくなって現れた禁書の部屋に足を踏み入れる。「さ、セラちゃんも」
 言われて小部屋に入ると彼女を纏わりつくような冷気が包む。
「いいですか、中に入りますよ」
「はい」
 彼女の返事を訊くと、司書様は真剣な面持ちで鎖に向かって腕を振る。鎖が切れ、封印されし書物が司書の手に納まる。
「いきます!」
 禁書が開かれ、紫とピンクの光が溢れだす。


 幻想色の空。
 古めかしいマグリアの街並み。
 数の少ない街灯。
 彼女は再び、幻想のマグリアに立った。
 しかし、今度は独りではなく隣にヒュエリ・ティーがいる。
 そして、まるでパンのような質感の、クマやタヌキ、それからウサギにも見える人型の白い生き物、ファントムが彼女らを出迎えていた。
「や~、ファントムくんっ!」ヒュエリは颯爽とファントムに飛びついてギュゥッギュッと抱きしめる。「セラちゃんもやってみてください。気持ちいいですよぉ~」
 予選での豹変を知っているセラにしてみれば、あまり触れ合いたいとは思えなかったが、とりあえず抱き付いてみた。
「ぅわ……気持ちいぃ……」
 動物の感触とはまた違う。意外と弾力のある体だったと後に彼女は頬を緩めて語ってくれた。

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