碧き舞い花

御島いる

120:碧き舞い花の休息

 マグリア一高い部屋で眠っていたセラに煌々とした朝日が注ぐ。
 その光景こそ神秘を感じさせる美しさだが、彼女の目覚めはもちろん悪夢だ。
 彼女は夕方から眠りにつき、一度も目覚めることなく疲れを取っていた。悪夢に邪魔されるまでは。
 疲労がなくなったからか、朝日を受けているからか、はたまた悪夢で涙ぐんだのか、目覚めた彼女のサファイアは朝日に負けないくらい輝きを帯びていた。
「ん……ん~んっ…………」
 上体を起こして伸びをしたセラ。プラチナと水晶の耳飾り、胸元の『記憶の羅針盤』が光る。
「?」
 辺りを見回した彼女はそこに誰もいないことに気付く。
 幽体のヒュエリでもいないかと超感覚を澄ませるが、本当に誰もいなかった。
 キングベッドから降りて、セラは窓際に向かう。
 これほど高い場所からでも、マグリアの規則正しい街がお祭りに染まっているのがはっきりと分かる。街を彩る装飾品やコロシアムに近付くにつれて増える人の波。以前この場所から見下ろした時には見られなかった光景だった。
「ユフォンの家、かな」
 セラは一人呟くと、朝日に輝く司書室をあとにした。


 ユフォンの間借りしている部屋に跳んではみたものの、そこに筆師はいなかった。もちろん司書様も。
 セラは昨日、試合が終わったそのままで司書室で寝てしまった。シャワーを浴びておこうと、彼女は浴室に向かう。
 きめ細かい白い肌をお湯が流れていく。
 ふと、セラはルルフォーラによって付けられた痣に目を向けた。
 色が薄くなっていた。
 ゆっくりと痣に触れるセラ。下唇を力なく噛んだ。「……っ」
 少し痛みが走ったが、ヒュエリのマカのおかげか気にならない程度には和らいでいた。
 浴室から出て、髪を乾かしたセラは黙って出てきてしまった司書室に戻ることにした。ヒュエリ司書にお礼を言う必要もあったからだ。


 司書室は無機質だった。
 セラが出て行った後にヒュエリが来たのだろうか、全く片付いていた。
 キングサイズのベッドも、事務机も、来客用のソファもない。
 彼女は部屋の入り口を見た。探してみよう。
 超感覚を研ぎ澄ましながら魔導書館を巡るセラフィ。
 書物の群れが飛び交う魔導書館は、マグリアの街の盛り上がりなど知らんと言わないばかりに静かだ。元より大勢の人間が大挙する場所でもないその空間は、いつにも増して人が少なかったのだ。
 そんな状況は彼女の超感覚を鍛えるのにはもってこいの場。
 数少ない来館者を感じ取っては、その人物の挙動に意識を向ける。
 ヒィズルのイソラは別の場所でセラが脚をぶつけたことまでも感じ取っていたし、恐らく今もその能力をヒィズルの人々のために発揮しているに違いない。
「イソラなら簡単に見つけられるかな……?」
 ヒュエリは未だに見つからない。
 少しばかり休憩の意味も込めて、薬草術に関する書物に目を通すことにしたセラだった。


 思いのほか書物たちに没頭してしまったセラ。気付くとすでに昼前だった。
 集めた本を彼女が一つ一つ軽く宙に放ると、本たちはゆったりと羽ばたいて自らの住処へと帰っていく。
 全てを見送った彼女は一度司書室へと跳んだ。
 彼女の静かなナパードは静寂の魔導書館においてもその性質を発揮していた。
「あ、ヒュエリさん」
 司書室には魔導書館司書の姿があった。
 彼女はこれでもかとフルーツやアイスクリームが盛られたパフェと対峙していた。今まさに、スプーンをアイスに差し入れたところだ。
「セラちゃん……あげませんよっ!」
 言ったかと思うとものすごい勢いでパフェをパクついて、あっという間に器を空にした。そのヒュエリの姿を、セラはただただ呆然と見つめていた。
 そうして、ヒュエリは満面の笑み息を吐いた。
「司書の仕事って疲れんるんですよ。これくらい甘いもの食べないとやっていられません」
「三日分の仕事をするからです、ヒュエリさん」
 セラの後ろから落ち着いた声がした。
 彼女が振り返るよりも早く、テイヤス・ローズン司書補佐官が横を通り過ぎる。「どうも、セラフィさん」
「あ、どうも」
 セラは返すが、そこで会話が始まることはなく、ヒュエリが口を開いた。
「だってですよ、テイヤスちゃん。今日も試合見ますし、明日はセラちゃんとジェルマド・カフ様のところへ行くんですよ? 仕事なんて早く片付けるに限ります」
「ヒュエリさん、お言葉ですが、早く片付けても他の仕事が前倒しになるだけです。意味がありません」
「ぅふぇっ……!?」
 どうやら司書様はそこまで考えていないようだった。虚を突かれ、その色素の薄い瞳を泳がせる。
「テイヤスちゃん、明日、任せられる?」
「もちろんです、任せてください」
 テイヤスは丸メガネをかちりと指で上げて静かに口角を上げた。
「では、明日の仕事内容の確認をお願いします」
 やる気に満ちた司書補佐官に、嬉々とした表情の司書があれやこれやと説明を始める。
 そこにはセラが入れる余地がなかった。
「……じゃあ、わたしはこれで……ははっ」
 セラは静かに後ずさりしたかと思うと碧き花を散らせたのだった。


 彼女が跳んだのはユフォンのところだった。
 彼はセラが眠りについた後も師匠から聞いた試合の状況を記事にするために筆を走らせていたのだろう。今はベッドでぐっすりと眠っていた。
 しかし、もうすぐ魔導・闘技トーナメント準決勝が始まる。
 起こさなければ。
「ユフォン、起きて」

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