碧き舞い花

御島いる

47:ナトラード・リューラ・レトプンクァス

 セラフィが次に意識を取り戻したとき、そこは異空間ではなかった。
 おぼろげな意識の中、彼女は自分が固い地面の上に横たわっていて、何人かの人が心配そうに自分を見下ろしている姿を感じ取った。瞳は開かなかった。でも、耳からは途切れ途切れだが自分を囲む人々の声が聞いて取れた。
「傷――けだ……」
「クァステ――の――こぼう」
「――んな――なのこ――」
「――も剣せ――しじゃ――いか?」
「っくり――のっ!」
 自分が持ち上げられたのだと、どこかに運ばれるのだと、そうセラが思うとまた意識が途切れた。


 セラがそのサファイアを露わにすると、そこにはきれいなブロンド髪の女性が映った。その女性の色素の薄い瞳にもプラチナの少女が映っている。
「ぁ、目が覚めたのね。よかったわ。起きれる?」
 セラは女性に問われるまま、上体をゆっくりと起こした。頭がぼんやりとして、その目は何を捉えるでもなく彷徨っていた。ふと、その瞳の前に一杯の水の入ったコップが差し出された。
「飲んで。ゆっくりでいいわよ」
 コップを受け取った彼女の手にはグローブはなく、一口水を飲んで自分の体に目を向けた彼女は体の至る所に包帯が巻かれていることを知る。特に、雲海織りの衣服を纏っていなかった部分がそうだった。ヌロゥとの戦いで負った細かい傷、最後に受けた銃弾での傷、痛みは感じなかった。
 また一口水を飲んだところで彼女の頭に疑問が浮かぶ。
「ここは、どこ?」
 彼女の質問を聞いた女性が優しく答える。「異空を漂いし者たちが流れ着く世界。流界者たちナトラード・リューラ漂流地レトプンクァスよ」
「ナトラード・リューラ・レトプンクァス……」セラは女性の言葉を繰り返した。そして、ハッとして、女性に顔を向けた。「ナパス語……!?」
「そうね。わたしもあなたと同じ」女性は胸元、服の中から三つのリングと三本十字でできた首飾り、『記憶の羅針盤』を出した。「ナパスの民」
 セラにとっては父レファーヴと同じくらい歳の離れたその女性はなんとナパスの民だったのだ。
「クァスティア・ブレファン・ラミューズ。よろしく」
 クァスティアと名乗った女性は『記憶の羅針盤』を服の中へしまうと、握手をしようと手を差し出して、途中でやめた。それはセラが怪我人であることへの配慮だった。無理に彼女が体を動かさないように手を引いたのだ。そして、握手の代わりにセラに優しくハグをした。
「セラフィ・ヴィザ・ジルェアスです。よろしく」されるがままハグを受け付けたセラは自分も名乗った。
 セラが名乗ると、クァスティアは何かに驚いたようにセラから身を離した。
「セラフィ・ヴィザ・ジルェアス……あぁ、なんてこと……!」
「……?」
 セラは目の前の彼女がどうしてそこまで驚くのか、回らない頭で考えた。そして、回らないながらに行き着いた答えは、自分が王の娘だということだった。
「そんな、今はエレ・ナパスもないし、王族とか気にしないで」
「ええ……ええ、そうね。ごめんなさい、取り乱してしまって……」
 セラは三度みたび水に口をつけ、そろそろ頭がはっきりしてきたところでクァスティアに訊く。「ところで、ここはどんな世界なの?」
「……ここは名前の通りの場所よ。世界と世界の狭間を彷徨った人が辿り着く世界。今では人が増えて街ができたけど、わたしがここに流れ着いたときには灯台だけが立っていた、何もない世界だった」
「ナパードで他の世界には跳ばないの?」
「わたしも、人を探してエレ・ナパス・バザディクァスを旅立ったのだけど、長い時間の中で希望は薄くなって、ついに無意識でこの世界に辿り着いたときには、もういいかなって思うようになったわ。あれだけ必死だったはずなのに……もう……。それに今ではこの世界から外の世界に跳ぶのは不可能だわ」
「どうして?」セラは水を最後まで飲み干してから尋ねる。
「この世界は特殊なの。今、跳べる?」
「?」セラはクァスティアの言葉を訝しみながらもナパードを試みた。だが、そこに碧き花が舞うことはなかった。「跳べない……」
「ここはね異空間へ通じてる道が狭いの。他の世界では有り得ないことでしょ? でも、本当よ。この世界、入るのは街の外から、出るのは中央の灯台から。そう決まっているの」
「じゃあ、灯台に行けばいいじゃ?」
「さっき言った通りよ。今ではそれは無理なの。わたしが跳んできた当時ならできたのだけど……」
「灯台がないの?」
「いいえ。灯台はあるわ。でも、あるとき、黒い鎧を着た男がこの世界に流れ着いてね。その男が、この街を支配するようになったの。灯台を拠点にしてね」
 クァスティアはここで話を区切ってセラからコップを受け取り「まだ飲む?」と訊く。セラは「もう、大丈夫」と応えて、寝かされていたベッドの脇に立て掛けてあったオーウィンに目を向ける。
「あの男、ギュリ・ドルツァ・ビーグって言うのだけれど、どこかの世界の戦士だったあの男には誰も敵わないわ。それに、歯向かいさえしなければ危害を加えてくることはないし……だから、セラも――」
 セラはクァスティアの言葉を聞きながら強くシーツを握った。そして、クァスティアの言葉が終わる前に、その力をスッと抜いた。
「大丈夫、わたしも……たぶん敵わないから」セラは肩の荷が下りたようにふっと笑みを浮かべた。「ここの人たちに迷惑になるようなことはしないよ」

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