碧き舞い花

御島いる

43:碧き舞い花

 高々と蒼白い土煙を上げてヌロゥは着地した。その身体無傷だ。
「仲間を呼んでいたということか……」ぬらっと立ち上がるヌロゥ。「だが、この世界の住人が助けになるとは――」
 プライは帆船で見せた動きよりも早く、羽を使って飛び、ヌロゥとの間合いを詰めると二本の剣を開くように振るった。その攻撃は咄嗟にプライの動きに気付いたヌロゥに軽く跳び躱されたが、ヌロゥが避けるその動作は今までで一番素早く、余裕のないものだった。 
 余裕がないといっても、ヌロゥはすでに反撃のモーションに入っていた。剣を振り上げ、自らの着地に合わせてプライめがけて振るった。歪んだ剣からは想像できない真っ直ぐな一太刀だった。それも、外在力を纏った剣だ。当たればひとたまりもない。
 それなのに、プライはまったく防ごうとも躱そうともせず、体を低く剣を振るったままの状態を保った。これを後方から見ていたセラは彼が対応できていないのだと思い、声を上げる間もなくナパードを使って助けに入ろうとしたのだが、その必要はなかった。
 いつの間にかジュランがプライの後ろに立ち、ヌロゥの剣を力強く払ったのだ。
「プライ!」
「分かってるよっ!」プライは広げた二本の刀を翻し、目の前で淡く輝く男の腹を交差状に斬った。「……固いな」
 他の『夜霧』の戦士とは質の違う鎧には傷一つつかなかったが、纏っていた外在力に亀裂が入った。
「くっ!」全く怯むことのなかったヌロゥの剣が再びプライを狙う。
「ふんっ」ジュランはプライの肩を掴んで引くと、二人の間に入って歪んだ剣を受け止めた。
「さすがに雑過ぎだ、ジュラン」
 プライはその顔を楽しそうに綻ばせ文句を垂れながらヌロゥから距離を取る。
「んっあ゛っ」ジュランはヌロゥを押し弾いて自分も相手と間合いを取ってプライの横に並ぶ。「そうか?」
「プライさん、手を抜いてたの?」
 セラは目の前のプライと船上でのプライが別人にしか見えず、二人に駆け寄ると間髪入れずに訊いた。
「あ? 何言ってる」後ろから駆け付けたセラに応えたのはジュランだった。「当たり前だろ。大人をなめるな」
「でも、エリンが、プライさんは楽しくなると没頭しちゃうって……てっきり、あれが本気なんだと……」
「エリンが言ってるのは織物をしてる時のことだろうな。エリンは戦場に出てきたことがない」
「?」プライの返答にセラは要領を得ない。眉根を寄せて二人を見返す。
「プライが本当に楽しむのは戦場での生きた戦い。命の掛かった殺し合いだけってことだ。織物してる時でも、小娘の力試しをしてるときでもないのさ」
「言い過ぎだジュラン。セラとの戦いが楽しかったのは真実だ」プライの口角が徐々に上がっていく。「まだ見ぬ戦法、大きな可能性……これほど未来が楽しみな戦士とあの瞬間を共有できたことが楽しみ以外のなんになる! あと、織物もなっ!」
「だとよ……」ジュランは呆れ気味にセラに言った。
「勝たせてもらってたんだね……わたし」
 セラは途端に自分の成長だの未熟さなどと考えながら戦っていた自分が恥ずかしくなった。プライのことはできる戦士だとは思っていたが、これまで様々な修練を積んできた自分が負けることはないと勝手に思い込んでしまっていた。プライが全力を隠しながらも本気に見せて戦っていたことを全く見抜けなかった。まだまだ、自分には相手の力量を測れることなど出来なかったのだ。現に、今だってヌロゥを相手に諦めなければ勝てるものだと思っていたが、結局ジュランやプライの助けに頼った。掴まれる前に逃げるという選択もできたはずなのに。
「あの場はみんなにお前の力を見せる必要があったからな。みんな、俺があんなものではないと知りながら盛り上げてた。まぁ、所々本気で驚いてたがな」
「いいじゃねえか。子供は大人の胸借りてりゃいいんだよ。そして――」
 ジュランとプライがセラより前に出た。セラの目には二人の合間からぬらっとしたヌロゥの姿が見えた。
「――大人の背中見て、その背中越えていけ。期待してるからな」
 プライが腰の上の羽を大きく開いて砂埃を舞い上がらせ、次の瞬間にはヌロゥと三本の剣を重ねた。砂埃が鎮まると、セラの前にはジュランの姿もなく、二人は息の合った動きでヌロゥを押していた。ヌロゥに纏わる外在力に入る亀裂が大きくなっていく。
「なんなんだ……お前らは……!」ヌロゥは二人から離れて、顎に滴った汗を拭う。「この世界の住人の力じゃない……」
「今でこそ、仲間も増えたが」プライがヌロゥに詰め寄り、一本の剣を振り上げる。
 回帰軍副隊長の一太刀はぬらりと躱されたが、ヌロゥが躱した先には後ろから回帰軍隊長の剣が迫っていた。
「こちとら、三部族相手に二人で立ち上がってんだ」
「ぐぬっ……」間一髪でジュランの一太刀をも躱した『夜霧』の将だったが、その後に対応できなかった。「なにっ!?」
「「たった一人に負けるわけがないっ!!」」
 二人の声は重なり、想いは重なり、三本の剣は淡く輝く纏わりし力を砕いた。
「セラっ!」
「決めろっ!……ぃっ、おい!」
 セラはプライとジュランの叫びを聞くと、文字通りジュランの背中を超えながら、ヌロゥに向かってオーウィンを振り下ろした。
「ふあっ!」
「くそがぁ……!」外在力がなくなったことに隙が生まれたヌロゥだったが、体を無理やり捻って三人の中から抜け出そうとした。
 振るわれるオーウィンの切っ先。徐々に体を倒していくヌロゥ。その場にいた四人にはとても濃密な時間が流れたように感じられたことだろう。
「っが……」
 ヌロゥが三人の中から転がり出た。オーウィンも最後まで振り抜かれている。その切っ先はわずかに赤く血に濡れていた。
「やって、くれたな……」俯いていたヌロゥが顔を上げると、その左の瞳は強く閉じられ、十字を描いていた。そして、ヌロゥは立ち上がると剣を持たない手を地面に向かって大きく振った。目に見えない衝撃波が蒼白い大地を強く打つ。蒼白な土煙。その向こう、黒く縁取られた青白い光りが放たれ、煙に黒き霧が混じり始める。
「逃がさないっ!」
「セラ!」
 土煙の先へと駆け出そうとしたセラだったが、ジュランに強く肩を掴まれて止まった。見つめる蒼白い瞳を見返すサファイア。逡巡することもなく、セラは弱々しく頷いた。
「俺の名はヌロゥ・ォキャ」微かに見える青白く縁取られた真っ暗な空間の穴。その手前にはヌロゥの姿かたちが見て取れる。「瞳一つ、お前の輝きを見逃すことはない。覚えておくといい、『碧き舞い花』の戦士よ」
 土埃が納まると、ヌロゥの姿は跡形もなくなくなっていた。


 こうして、ついに彼女に『碧き舞い花』という通り名がついたわけだが、ヌロゥ・ォキャの詩的な感性は称賛に値する。筆師の僕も見習いたいほどだ。彼がいなければ、セラフィ・ヴィザ・ジルェアスは『碧き舞い花』と呼ばれることはなかったかもしれないのだから。

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