碧き舞い花

御島いる

39:セラの選択

「これから行くところは故郷なの?」
 セラが回帰軍の戦士たちにその強さを認められてから数日。空を浮かぶ帆船は回帰軍の拠点を離れ、族長を含めた多くの天原族が生活する浮島へと向かっていた。
 数人の見張り番だけが船上に残り、他の船員たちは船室で心地よく揺られながら夢の世界に誘われている。そんな中でも悪夢に眠りを邪魔されてしまったセラは夜風に当たるために甲板に出たのだが、そこには独り、流れる雲を意味もなく見つめるジュランの姿があった。
 セラが声を掛けるとジュランは振り向きもせず応えた。
「故郷を焼かれたお前には酷く聞こえるかもしれんが、あそこは故郷でも何でもない」
「プライさんもそう思ってるの?」
「さあな。それより、なんだ面倒だな。子供は寝てろ」
「なんにも気にせず寝れるならそうする」
「っけ、若ぇ奴が。今のうちからそんなんじゃ、生きてけねえぞ。俺を見習え、俺を。どこでも寝れる」
「そういえばわたしとプライさんが戦ってるときも……ジュランは少し気にした方がいいじゃない?」
「っは、そんな面倒な事するか。あ、そういやお前、乱戦は問題ないのか? こないだみたいな戦いは大人数の時は無理だぞ」
「うーん」セラはホワッグマーラの洞穴での出来事を思い出した。人を斬ったこと以外は何ら問題なく行えていたと思う。「まあ、なんとか」
「そうか」ジュランは短く答えるとその場を離れて、階段に向かう。「期待してるからな」
 振り向かずそれだけ言うと、船室に消えていった。
 その姿を黙って見つめていたセラは、ジュランがいなくなった後も甲板に残り、ふと寝転がった。空を浮かぶ船よりも高い位置にしっかりと星々が輝いていた。空に浮いていて星々との距離が近いからか、元々そうなのか、星々は月明かりのように明るい。彼女はここで帆船に灯りが灯っていないことに気が付いた。それでも、真っ暗ではないのは星光りのおかげ。まるでペク・キュラ・ウトラの朝のようだ。
 ビュソノータスの夜は一層その蒼さと寒さを増す。吐く息は長いこと白くその存在を主張するが、結局は見えなくなり、空気に同化するのだった。


 翌朝、まだ蒼白い空気の主張が強い、太陽が顔を出す前の明るくなり始めの頃合い。
 セラたちを乗せた帆船は天原族の大半が暮らす浮島を捉えた。船首から見るその浮島は蒼白さを打ち消すように赤みを帯びていた。それはセラからしても明らかにビュソノータスの光景ではなかった。燃えている。ミャクナス湖畔から見た燃える城下町を彷彿させる。
「先客がいるようだな」ジュランが静かに言った。
「船体を低く! 雲に隠れながら進め!」プライが作業をする船員たちに命令を下す。
 命令を受けた船員たちはそれぞれの作業を声を掛け合い、見事な連携で進めていく。やがて、帆船は蒼白い雲の中に沈んでいった。雲の中は外より幾分か暗く、もくもくと視界も悪い。
「中に入るぞ、セラ」
 プライはそう言って階段の上のさらに上、指令室と呼ばれている部屋を示した。その言葉を機にジュランもその部屋へと動き出す。
 指令室にはエリンが一人であくびをしながら歩き回り、暇を持て余していた。「あ、やっと来た。こんな早くに起こすとか、バカじゃない? プライのバーカ! あほわぁぁ……」
 セラたち三人が入ってくると、つり上がった目をさらに吊り上げてプライを睨んだ。だが、最後の欠伸で迫力は台無しになってしまう。
「浮島が見えた。今後の動きを確認する」エリンを半ば無視してプライが話し始める。「天原族と『夜霧』の者たちが一緒にいるところをジュランが何度も見ている」
「そうじゃなかったら、セラとは協力してなかったかもな」ジュランがおどけて言う。
「ジュランの戯言はさておき、俺たちは天原族の族長と幹部たちを降伏させるため、セラは『夜霧』を追うために、今回の遠征はうってつけだった。天原族との戦いの中、『夜霧』に繋がるものを探す」
「一番いいのは、奴らが自分たちの世界に帰るために使うロープスを手に入れること」
「場所が分かれば攻め放題だもんね。あたしはここで待ってればいいんでしょ? それで、黒いのを手に入れたらあたしが中を調べる」
「エリン必要か? その場で使って敵んとこに乗り込みゃいいじゃねえのか?」
「ジュラン、そんな無謀なことをするほどセラは馬鹿じゃない」
「そーよ、ジュランのバーカ、アーホ、バーカ」
「っけ、分かってっさ。冗談だろーが。二人して真に受けんなよ、めんどくせぇ」
 ジュランが不貞腐れたそのとき、指令室の扉が大きな音を立てて開いた。扉をノックもせずに開けるのは、ジュラン、ではなく野原族の男だった。
「雲を出ます!!」
 指令室の中、セラたち四人は黙って目を合わせて頷き合った。そして、そこにエリンを残し、三人は指令室を飛び出した。


 白く閉じた世界が、パッと開ける。
 目と鼻の先に現れたのは赤々と燃える浮島。そこには重々しい黒い霧が地面を這っていた。
「ロープスが使われてる!」
 セラは船首に出るや否や船べりに駆け寄り、赤と黒に染まった蒼白い浮島を穴が空くように見つめた。
「何? 仲間割れでもしてんのか?」
「しかも、これは一方的だな。俺たちがここまで近くにいるのになんの反応もないのか。外に目を向けてる余裕すらないとは」
「早く上陸しなきゃ! 逃げられちゃう!」奴らが目の前にいて、その上、ロープスを使っているという、手が届かないかもしれない状況は彼女から冷静さを奪った。「急いで船を着けて!」
 そんなセラに後ろから回帰軍の隊長と副隊長が声を掛ける。
「おい、落ち着け」
「セラ、気持ちはわかるが、この状況で中に入るのは危険だ」プライはセラを宥めるように言うと今度は船員に向けて号令を出した。「引き上げる! 旋回だ!」
「ちょっと! なんで!? 目の前に奴らがいるの!」
 セラはプライに詰め寄ったが、彼はそんな彼女を無視して船全体に命令を出すように後方へと向かって行ってしまった。
「ねぇ、ジュラン!」
 セラはサファイアの瞳で蒼白い双眸を強く見つめる。だが、ジュランは首を横に振る。
「仲間を危機に晒すような選択を、プライはしない。もちろん、俺もな」
 その言葉にセラは肩を落とした。「分かった……」
「分かればいい。ほら、エリンのとこにでも行って、大人しく――」
 ジュランが少しばかり表情を緩めて掛けた言葉はセラの耳に最後まで届かなかった。最後に彼女の耳に届いたのは、驚きの表情で放たれた「おいっ!」という大きな声だった。
 船上に碧き花が舞った。

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