碧き舞い花

御島いる

31:燃え上がる

 洞穴の一件から一日置いての司書室。
 セラはその手に火を宿していた。
「出来た……」
「やりましたね、セラちゃん! そのまま飛ばすもよし、形状を変えるもよしです。マカは自由ですから」
 通常サイズの白ヒュエリの言葉が終わると、セラの手から炎は消えた。「まだ、そこまでする余裕は、ないです」
「くーっ……なんでセラの方が先にできるんだよ」
 セラの傍らで踏ん張りを見せているのはもちろん、ユフォン・ホイコントロだ。
 彼が悔しがるのはもちろん、異世界人のセラの方が先に魔素の性質変化を成功させたから。そして、洞穴の件の次の日は体を休めるために話を聞くだけで実践しなかったセラとは違い、その日セラより先に魔素の性質を変える練習を始めた自分が未だ成功できないからだ。
「ユフォンは力み過ぎなんじゃない? いいかっことか、しようとしてない?」
「べ、別に、君の前だからってそんなこと。そんなことをするくらいなら真面目にやってすぐにでもセラの役に立てるよう頑張るよ、僕は」
「ぁ、そう、だよね……あー、えっと、さ、ユフォン」セラは少しばかり顔を桃色に染める。それを悟られないようにか俯きながら続ける。「今夜、お酒、飲み連れてってよ。ユフォンの息抜きがてら……」
「え? まあ、い、いいけど」ユフォンは喜びと動揺を隠せない。情けないな、もう。「でも、僕の息抜きって、随分上からだな」
 微笑みながらもむすっとした表情で言い返した。そうだ、その意気だ、僕。
 彼女はそんな彼に肩を竦めて見せた。「そう? だってわたしの方が先に進んだのは事実だし、何なら教えてあげよっか?」
「なっ、言わせておけば君って人は」ユフォンはムッとなって手のひらにマカを集中させた。淡く輝きだす。「見ててよ、僕だって今に炎を……」
 しかし、彼の力みも虚しく、手はただ光るだけ。その光が炎の煌めきに変わることはなかった。
「っかぁ~……だめか」
「ふふっ。ユフォンくん」二人のやり取りを微笑ましく見ていたヒュエリが口を開いた。「慌てちゃ駄目です。ゆっくりやっていきましょう。あなたの場合セラちゃんより先があるのですからね」
 そう、セラは魔素の性質を変えてマカを発動させるところまでしかできないが、ユフォンにはさらに特殊なマカや強大なマカを使うことができる。彼はそこまでヒュエリに教わることになっている。それはセラがこの世界を去った後のことだから僕がどれ程の努力をしたかを詳しく描けないのは惜しい。どこかで紹介できる機会があればいいのだけどね。


 そのあと日が沈み始め、街が夕日ではなく街頭で橙色に染まる頃まで二人のマカ修行は行われた。セラは魔素を炎に変えながら衝撃波を放てるところまで来ていたが、ユフォンは未だ炎すら出せていなかった。
「さて、今日はこの辺にしておきましょうか」
「いや、待ってよ、ヒュエリさん。もうちょっと、もうちょっとで――」
「ダメです。これからお二人は息抜きをするのですから」
 ヒュエリは諦め切れないでいるユフォンの言葉を遮り、にこやかに言う。その言葉に少女と青年は顔を赤らめて互いにそっぽを向いて俯く。
「ふふっ、ささ、ゆっくり楽しんできてくださいね」ヒュエリ司書は二人の手を引いて扉に向かう。そして、扉を開けると二人の背中をポンッと軽く押して扉を勢いよく閉めた。
「あー、疲れたなぁー、今日はすぐにでも寝てしまいましょうかぁー」
 司書室からはわざとらしい棒読みのセリフが聞こえてきた。二人はそこで顔を見合わせて小さく噴きだす。
「行こうか」ははっと笑ってユフォンは言う。
 セラは口角を上げた。「うん」


 オレンジに染まったレンガ造りの街並みを、用水路沿いに二人は歩く。
 これといった会話がないまま、ユフォンの行きつけの酒場を目指す。街灯の光を控えめかつ煌びやかに反射する水路には、船頭が黙々と舵を取る小舟がゆったりと揺れている。その小舟には船べりに組んだ手を置く大人な雰囲気の男女が一組。静かに談笑しているようだった。
 小舟を通り過ぎると、行く先に二階にテラスがある建物が見えてきた。そこが二人の目的地、吟詠ぎんえい酒場だ。
「ここだよ」ユフォンが口を開く。「あのテラスから見える景色は名だたる筆師たちに名作をつくらせたんだ」
「あなたは?」隣を歩く青年の顔を軽く覗き込むよな形でセラは訊く。
 問われたユフォンはセラのサファイアの瞳をじっと見つめ返して。「これから作れるかも」
「今日は旅のことは話さないよ?」
「ぃやっ、違うよ。別にそんな意味で言ったんじゃないから。旅の話を今日訊こうとは思ってないよ。ただ、ただ単純に……君とお酒を飲むことを楽しむつもりなんだから」
「……」
 黙り込んだ彼女。街灯のオレンジに負けないくらい頬を赤くした。少しかかったプラチナの隙間から覗く耳の頭まで真っ赤だ。右耳の水晶はそんな彼女を優しく見守るかのように橙色の光を反射させていた。


 吟詠酒場のテラスからの眺望は高い位置にある魔導書館の司書室とはまた違った趣があった。規則正しい街並み全体を見渡せるという壮観を味わえる司書室に対して、その景観は規則正しい街並みを中から余すことなく味わえるのだ。それぞれ真っ直ぐ伸びる街路と用水路。そこに整列するように並び立つレンガ造りの建物たち。街を橙色に染める街灯は等間隔に直立する。そんな彼らは酒場のテラスとあるものを一直線に結ぶ。広場の噴水だ。噴水は街灯の橙とは違う白い光でライトアップされ、堂々と水しぶきを吹き上げている。
 テラスに出たセラの口からは言葉が零れる。「きれい……」
 セラでなくても、この景観をみた女性はみなそうやって言葉を零す。零さざるを得ないのだ。それほどの景色だ。
「よかった」ユフォンは噴水を真正面に見ることができる席を示した。「一番いい席が空いてる」
 二人はその席に座ると、近場にいた店員に声を掛け酒と少しの食べ物を頼んだ。
 酒と料理はすぐに出てきて、そこから二人の他愛もないがとても意味のある会話が始まったのだった。
「あははっ、ユフォンったらほっぺにソース付けてるぅ、ふふふっ……」酔いが回り笑い上戸になり始めたセラ。
「ぅえ? そうかい、じゃあ、拭いてくれるかい?」酔って、本当に、ただ、酔って赤くなった顔を突き出すユフォン。
「え~? どうしよっかなぁはははっ」
「自分でとるよ」ユフォンはそう言ってナプキンで頬を拭った。
「ははは、自分で拭いてるぅ。あっ! 店員さん! 葡萄酒と林檎酒お願い」
 声を張り上げたセラに店員は恭しく頭を下げて、間もなくボトルを二本持ってきた。
「随分、飲むんだね……、僕はもう、眠くなり始めてきたよ」
「まぁ、わたしたち酔いが醒めるのが早いから」
 店員がグラスに酒を注ぐ時には彼女の酔いは醒めていた。ナパスの民、恐るべしだ。
「僕はもう、やめとくよ。これ以上飲んだら明日も炎を出せなさそうだし」
「ふーん」それだけ返してセラはグラスに口をつける。赤い葡萄酒が彼女の桃色の唇に流れ込んでいく。「ね、今やってみてよ」
「え? 唐突だね、君」
「いいじゃん、やってみてよ」
「まぁ、いいけど、こんな酔ってるときにやったって……」何気なく手から魔素を出したユフォン。その輝きは赤々と燃え上がる。「……で、きた?」
「やったじゃん、ユフォン!」
「ぅお、おお! できた!!」
 炎を消したユフォンはテーブルを挟んだ状態でセラにハグをした。セラもそれに応えた。そして、すぐにお互いの温もりを感じる前に二人は離れた。
「……やっぱ、力入れ過ぎてたんだよ」
「そ、そうみたいだね。セラとお酒が飲めてよかった。いろいろと……ははっ」

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