碧き舞い花

御島いる

30:君が君として戦うために

 洞穴の外は警邏隊の持つランプでマグリアの街の一角のようにオレンジに染まっていた。
「あれだけの相手に傷一つないとは、お嬢ちゃんやるなぁ」連行される男たちを見送るセラにブレグ隊長は朗らかな笑顔で声を掛けてきた。「まさかここまでとは思ってなかった。ほんと、今年のトーナメントは楽しめそうだ」
「……」
「ん? どうした?」
 自分の言葉に応えない少女に隊長は訝しむ。すると、セラはようやく反応を示す。
「わたし、初めて人を斬った……」
「なに? 冗談を」ブレグは軽く笑う。
 だが、これは冗談ではない。セラフィはこの時初めて人を斬り、人を殺めたのだ。今までは木刀を使ったり、斬る前に止められていたからその感覚を知らなった。だからこそ、その感覚は彼女に違和感を覚えさせた。元々戦士など目指すことのなかったエレ・ナパスの姫だったセラだ。ビズラスやズィプガルのように戦士を目指していた人間とは人を斬ることへの覚悟の大きさが違った。難しいことなどないと思っていた。だが、違った。戦いの中で集中力を削がれるほど気を取られてしまったのだ。
 それは恐怖だった。
 他人を傷つけ、命を奪う。それは『夜霧』と、赤褐色の男と、故郷を奪った奴らと同じことをしているのではないかという考えが、戦いが終わった今、そればかりが頭にへばりついて離れない。
「まさか、本当か!?」
 不安気に黙り込んだセラを赤く縁取られた瞳孔を開いて見つめるブレグ。
「これじゃ……」セラは自分の掌を見つめる。その視界が涙で歪み出す。「あいつらと一緒……」
 その涙が零れそうになったとき、ふと、セラは大きな体に包まれた。
 ブレグが彼女を抱きしめたのだ。それは一瞬だが、彼女に伯父のゼィロスを思い出させた。彼と抱擁などしたことはないが、したらこんな感じなのだろうと思わせる抱擁だった。
「……!?」
「君は優しい子だ。剣など似合わない」ブレグは優しく声を掛ける。「それでも、剣を振るうのには大きなわけがあるのだろう。振るわなくてはならぬ理由が。心を強く持て。そこまでの強さを得るのに何もしなかったわけじゃないだろう。決意をしただろう。君が決意して得た力は人を傷つけるものかもしれない。だが、思い出せ。忘れてはいけない。なんのために力をつけたのか。なんのために力を使うのか。それが君の支えになる。時間は掛かるだろう。涙を流すこともあるだろう。でも、それでいい。生半可な想いなどなんの支えにもならない。しっかり苦しむんだ、君が君として戦うために。……いいかい?」
「ぅっ……ぅ!」
 少女は頼もしき魔闘士の厚い胸の中、下唇を噛み、声を押し殺しながら泣いた。
 ブレグは優しさと強さの間で葛藤するセラのプラチナの上にぽんっと手を置いた。頭を撫でるわけでもなく、ただただ置かれただけの大きく包み込むような手は、彼女の心を落ち着かせてゆく。
「あ! わたしがわたしを探してる間にセラちゃんに何しているんですか!」
 場の雰囲気を読まずに白いワンピースは漂いながら二人に近付いてきた。ヒュエリはランプで明るくなった洞穴や付近を念のために探し回っていたのだ。しかし、その大きさが戻っていないことからもう一体の幽体を見つけることは出来なかったことが窺える。
「あーっ! セラちゃん泣いてるじゃないですか! ブレグさん、何したんですか、場合によっては許しませんよ!」
「……ヒュエリ司書。俺が泣かせたわけじゃない」
「……ヒュエリさん、もう、大丈夫ですから」セラはブレグから離れ瞳の端を拭う。その顔は少しばかりすっきりしていた。
「ほんと、ですか? 脅されて本当のことを言えないんじゃないんですか?」
「それはあんただろーが」
「ふぇっ、ブレグさん、酷い、です。うぅ……」
 司書は警邏隊隊長の言葉に肩を落としてしょんぼり。と、そこへ警邏隊員の一人が三人のもとに駆け寄ってきた。
「ブレグ隊長。賊の連行終了しました。それと、ヒュエリ司書の幽体が見付かったと街の隊員から連絡がありました」
「ほう」
「ほんと、でずかぁ! どこに! どこにいたんですか!」
 隊員に詰め寄るヒュエリの顔は喜びの涙で濡れていた。隊員はその姿に若干引き気味に応える。「ええと、カフェのベッドの上で……今もなお寝ているということですが……」
「カフェで寝てる? 一体何をしてたんだ司書様は」
「……店主は、昼頃やってきてパフェを大量に食べた後にその場で寝てしまったので仕方なくベッドに運んだと言っているそうですが」
「はぁ……」ブレグは呆れて溜め息を漏らした。
「ヒュエリさん……」セラも自分の落ち込みなどとうに忘れ去り、マカの師を白い目でじっと見つめた。
「あは、ははは……寝てたから、意思が通じなかったんですね。納得、納得ぅ~…………すみみゃしぇん、でじだ……」
 人騒がせな司書は涙ながらに頭を下げたのだった。


 セラとヒュエリは警邏隊と共にマグリアの街に帰ることにした。道中ヒュエリはとても申し訳なさそうにして一言も声を発しなかった。
「ブレグ隊長。ありがとうございます」セラはブレグの横に並ぶと礼を口する。「わたし、苦しみます。わたしがわたしとしてしっかりと戦える日が来るまで」
「ああ、頑張れよ。えーっと、セラちゃんだったか?」
「はい。楽しみにしててくださいね、トーナメント必ず出ますから」
「うん、その意気だ」精悍な顔は優しく綻ぶ。「楽しみに待っていよう」

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