碧き舞い花

御島いる

26:ヒュエリ司書のマカ教室

 顔を洗い戻ってきたセラはユフォンの顔を見るなり少し頬を赤らめた。それはユフォンも同じだった。
 だが、二人が見つめ合う時間なんてない。セラはマカを学ばなければならないのだから。
「それじゃぁ、マカを使ってみましょうか」セラのあとに続いたヒュエリが言う。「セラちゃんは戦うためのマカが必要なのでしょ?」
 ユフォンから視線を外したセラが小さく「はい」と頷くと、ヒュエリは手を叩いた。
 すると、殺風景な部屋の真ん中に火のついた蝋燭が一本現れた。
「戦闘に使うマカで基本的な、魔闘士の誰もが使えるマカといえば、魔素をそのまま飛ばす、衝撃波のマカでしょう」
 言って、ヒュエリは蝋燭から五歩程離れた位置から火に向けて軽く手を突き出した。彼女の手からは放射状に魔素が飛び、空間を少しばかり歪ませた。その魔素が蝋燭に辿り着くと火を躍らせてから消した。
「まずはこんなふうに蝋燭の火を消してみましょう」ヒュエリはセラの背中を押して、蝋燭の前まで進ませる。「ここに座って、最初は魔素を放出することだけに集中してみてください。えーっと、丹田からキューっと手のひらに集めて、ポンッです!」
「え?」感覚的な説明にセラは思わず声を上げてしまった。
「分かりませんか? でも、わたしも丹田から魔素を出したことないので、すみましぇん……」
「あ、いえ、やってみます」
「じゃあ、集中を邪魔しちゃ悪いので、ユフォンくんの方を見てきますね」
 セラはすでに集中していて、ヒュエリのその声が彼女の耳に届くことはなかった。
 そんなセラの姿を見てヒュエリは楽しそうに微笑んだ。


「使える最大のマカですよね?」
「はい……そうですよ」
「本当に、魔導学院を卒業したんですか?」
「しましたとも、その期の中で筆記試験トップで」
「実技試験は?」
「最下位です」
 誇らしげに語るユフォンの手は淡く光り輝いている。照明のマカだ。それも、彼にとっては最高出力の。
「はぁ……ここまでとは」ヒュエリは大きなため息を吐く。
「なんです? 僕は筆師ですよ? 暗い部屋を照らせれば問題ありませんよ」
「今時、魔闘士じゃなくてももう少しマカを使えますよ」
「知ってますよ。それでもいいと思ってたんです。今まではね」ユフォンは真剣な眼差しで、蝋燭の前に座り集中するセラを見た。「でも、まぁ、少しくらいは役に立てるかなって」
「ふふっ」小さなヒュエリは、恥じらいを孕んだ覚悟の横顔を微笑ましく見上げる。「いい目です」
 と、ヒュエリが見上げていた横顔が驚きと喜びの色を帯びた。つられて彼女がセラの方を見ると、蝋燭からは細い煙が上がっていた。
 火の消えた蝋燭に向けた手をセラはまじまじと見つめていた。「できた」
「うおっ! セラ! すごいよ」
 ユフォンはセラのもとに駆け寄ってその手を握ってぶんぶんと振った。まるで自分のことのように喜んだ。
「うぁ、ありがとっ、って、大袈裟よ。まだ近くで火を消しただけ。ヒュエリさんみたいに遠くから消せなきゃ戦いじゃ意味がないし」
「いいや、すごいって。自慢じゃないけど、僕は近くでも消せない自信がある」
「何それ、ユフォン。あなたこの世界の人でしょ?」
「そうですよ、ユフォンくん」ヒュエリはゆっくり二人に近付く。「アルバト・カフ先生の一番の教え子のわたしに教わるんです、どうせならドルンシャ帝を超えてもらいますよ! ふふっ、二人とも楽しみな教え子です。さぁ、休み時間じゃありませんよ、セラちゃんはちょっと離れたところからやってみましょう。ユフォンくんは……基礎の基礎、幼児教育からはじめてみましょう」
「え……そこまで?」
 ヒュエリから告げられたレベルのあまりの低さにユフォンは目を点にして驚いた。セラに「頑張って」と一声を掛けられていなければ彼はここでマカの修練を投げ出していたに違いない。


 ユフォンのマカ教育課程は幼児教育を終え、初等教育の段階に入った。マグリアの教育機関が定めている初等教育のレベルは生活に使えるマカの基礎をつくるものだ。手を触れずに物を動かしたり、放出したマカの形を変えたりと。
 知識だけは十分にあったユフォンだったが、取り入れた魔素をマカとしてうまく出すことが不得手だった。これが彼がマカをうまく使えない理由だと判断したヒュエリは、様々なマカの使い方云々は彼自身の知識と情報処理能力に任せ、魔素をマカとして取り出すコツをとことん教えた。すると、コツを掴み出したユフォンはあれよあれよと、彼自身が驚く程マカを扱えるようになった。まあ、レベルはまだ初等レベルだったけどね。
 ユフォンが初等教育の家庭を終える頃になると、セラは司書室の端から反対側に置かれた蝋燭の火を消せるようになっていた。そんな彼女にヒュエリ司書は次の課題を出した。
 今、セラの前には十本の蝋燭が横一列に並んでいる。
「今度はただ魔素を放出するのではなく、制御してください」ヒュエリは蝋燭たちに向けて軽く手を差し出した。「こんなふうに」
 ヒュエリが放った衝撃波のマカは十本の蝋燭のうち中ほどの二本の火だけを的確に消し去った。他の火は一切揺れることはなかった。
「まずは正確に一点を狙う練習です。最終的には一本だけを消してください。それが終わったら……あらあら、ふふっ、セラちゃんの才能は恐るべしですね」
 ヒュエリの説明の最中、セラは残った八本の蝋燭を端から一本一本静かに消していった。微笑む司書と必死に中等レベルのマカを練習する筆師に向かってどうだと言わんばかりにウィンクを投げていた。


 日が暮れ、司書室から望むマグリアの街が街灯の淡い橙色に染まり始める頃合い。司書室に司書補佐官のテイヤス・ローズンがローブを纏った大きなヒュエリを連れて戻ってきた。
 小さな白ヒュエリは実体の中に戻る。「テイヤスちゃんも戻ってきたことですし、今日はここまでにしましょう。明日からは二人とも同じことをします」
「同じこと?」
 体を淡い光に包まれたセラが、光を発散させてヒュエリに訊く。
「ええ。セラちゃんが、ただ魔素を放出する衝撃波のマカと形を変えて体に纏う鎧のマカを習得して、ユフォンくんが中等教育課程を終えたので、明日から魔素の性質を変えることに挑戦していきましょう。ここからが本格的に魔闘士が使うマカになってきますよ。セラちゃんは恐らくここまででしょうから、最後の段階ですね。まさか一日で魔素に慣れて形態変化までできるようになるとは思っていませんでした」
 ここでもセラはその才能を褒められた。彼女は謙遜し笑う。
「あのユフォン・ホイコントロが……」
 セラとヒュエリから離れたところで、マカを見せつけるように操るユフォンとそれをあんぐりの表情で見るテイヤスの姿があった。
「どうだい、テイヤス・ローズン。マカでも君を負かす日がもうすぐ来るよ」
「そ、それはない。絶対ないっ!」テイヤスは同期の男から視線を外し、上司に迫った。「ヒュエリさん、私にも、私にもマカのご教授をっ!」
「ふぇ~……テイヤスちゃん、怖いよぉ、鬼気迫り過ぎです……」
 司書は涙目になりながらセラの背に隠れたのだった。
 と、そこでセラがあることに気付いて背後のヒュエリに目を向けた。
「もう一体の幽体は?」



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