碧き舞い花

御島いる

9:蛍は四度羽ばたき、星は三度瞬く。

 光の降り注ぐ森。
『記憶の羅針盤』の三つのリングを繋ぐ三本十字に見立てた墓標。セラはそこに掛かっている兄の形見であり、愛剣であるオーウィンを厳かに手に取り、胸に抱く。
 オーウィンを抱き、目を閉じて祈る彼女の姿は、静かな森の光に照らされ、天上の者たちから祝福を受けているようだった。
「行ってきます、お兄様。みんな」
 瞳を開け、森をあとにするセラ。アズの地に跳んできてから少し伸びたプラチナの髪は、後ろで結わえられ、右の耳たぶから垂れた円柱状の水晶が顔を出し、煌々と輝いている。
 オーウィンを背負い森を出た彼女を、これまた剣を背負い、荷物を肩に掛けたゼィロスが待っていた。
「いいか?」
「うん、いいけど……」
 ゼィロスから自分の分の荷物を受け取ったセラはそれを肩から提げるが、顔は納得いっていないような表情だった。
「どうした? これから賢者巡りが始まるというのに」
「それは嬉しいんだけどさ。どうして急に? わたしを教えるのが面倒になったとか?」
「ふんっ。馬鹿なことを考えるんじゃない。セラ、お前は俺が今まで教えてきたナパスの戦士たちの中で一番筋がいいんだ。ビズ以上にな」
「嘘だよ、そんなの」
「まあ、今は自分の器というものが見えていないだろうが、そのうち分かるさ。俺が保証する。教えていて、その人間の未来さきが楽しみになることがあるが、お前は三人目にして、一番楽しみだ。さ、止まっている時間はないだろ。行くぞ、お前の場合は引き続き俺の教えを受けながらの賢者巡りだ。大変になるからな、覚悟しておけ」
「そんなの、いまさらだよ」
「その意気だ。さ、俺に掴まれ。最初の目的地は『蛍と星の庭ペク・キュラ・ウトラ』だ」
 ゼィロスの言葉を最後に、二人は赤紫の閃光と共にアズの地から消えた。


 そこは永遠に朝日を望むことのない世界。
 しかし、朝がないというわけではない。朝には星々が天を覆い、地上を照らすのだ。その明るさは他の世界の朝に比べたら淡いものだろうが、ここに暮らす人々には関係のないことで、それが日常だ。
 そして、夜になり星々の光が弱まると蛍たちが漂い、ほのかに地上を灯すのだ。
 ここは、蛍と星によって淡く輝く庭園――ペク・キュラ・ウトラ。
 セラとゼィロスが跳んできたのは満天の星が二人を迎える、昼間だった。
「わぁ……きれい」
 セラが感嘆の息を吐くと、ゼィロスは「そうだな」と頷く。
「ここは異世界でも屈指のきれいどころだ。原住民以外ではごく少数のナパスの民しか知らない世界だ。嫌なことがあったら、ここに来るといい。和むぞ」
「え、何それ? ゼィロス伯父さんってそんなロマンチックなこと言うの?」
「……ん゛んっ。行くぞ」
 ゼィロスはバツが悪そうに咳払いをすると早足で歩き出した。
「あ、待ってよ」
 星光りに照らされる草原を行く二人。その頭上には一筋の流れ星が走った。


「『異空の賢者』よ。来たのは分かったが、誰を連れているぞ? 感じるに、の子だがさ」
「ああ。その通りだ、ヌォンテェ」
 セラがゼィロスについていった先には真っ暗な装束に身を包み、池の真ん前で草原に座し瞑想をしている老婆がいた。両目を包帯で覆う老婆の白髪は、地面でうねるほど長く垂れていた。
 ゼィロスにヌォンテェと呼ばれた老婆は二人に目を向けることなく、口だけを動かす。
「まさか、その女の子を戦士にするのかぞ? 正気かぞ? まだ酒も飲めぬ女の子だろうさ」
「いや、ナパスではこの歳でも酒は飲める」
「ぞ。そういえば、そうさぞ。主らは酔いに強かったさ。しかしぞ、の子との交わりはないだろうさ」
「……それは、俺は知らん」
 ゼィロスはヌォンテェから視線を外し、セラを一瞥する。セラは伯父と目が合うと、頬を染めて俯くという反応で全てを語った。
「……ビズラスだって、そういうことはなかっただろ」
「あの静かなる男の子かぞ。その女の子は主とその男の子に近しいものを感じるがさ。血縁かぞ?」
「ああ。俺の姪で、ビズの妹だ」
「ほうぞ……。よかろうさ。女の子よ。わらわの前へさ」
 セラが不安そうにゼィロスを見つめると、彼は黙って頷いた。それに頷き返すと、セラはヌォンテェの前、といっても池のすぐ前にいる老婆の真正面から少しずれたところに立つ。しかし、それは間違いだった。
「なにをしているぞ? やる気はあるのかぞ? 妾は前と言ったさ。そこは前ではないさ」
 セラは星を映す池の水面を一瞥して、
「でも、池が」
「きれいな水ぞ。履き物を脱ぐさ」
「……」
 彼女は何も言い返せず、言われるがままブーツを脱ぎ、ズボンの裾をまくりあげると素足で池に入り老婆の前に立った。
 すると、老婆は勢いよく目を覆っている包帯を剥ぎ取ると大きく目を見開いた。
「ぞぉ!」
「ぅわっ!」
 突然のことに驚いたセラは体勢を崩し、池に尻餅をついた。
「冷たっ……」
「妾が動くことは感じなかったさ、水の冷たさぞは感じるかぞ?」
 老婆は瞳孔が鋭く縦に細くなった銀色の瞳で、池で体を濡らすセラを座したまま見下ろした。
 セラは老婆の目を見て、一瞬驚いたがすぐに疑問を口にした。
「目、見えてるの?」
「当たり前ぞ。これはめかしぞさ。妾は女の子ぞ」
「……独特なおしゃれなのね」
 セラは立ち上がりながら言う。それを傍で聞いたゼィロスは思わず小さく鼻を鳴らした。
「『異空の賢者』よ。何を笑っているぞ。妾は感じているさ」
「ああ、悪いな。続けてくれ」
「女の子よ。妾の問いに答えよ。妾が動くことは感じなかったさ、水の冷たさは感じるかぞ?」
「それはそうだけど。それがどうし――」
「主はそこに座し、瞑想するぞ」
 老婆はセラの言葉を最後まで聞かずに、包帯で目を覆いながらそう言った。
「そこって、ここ? 池で、瞑想?」
「ぞ。冷たさ以外を感じるぞ。水の揺れ、空気の流れ、草のさざめき、木々のざわめき、蛍の羽ばたき、星の瞬きをぞ」
「ヌォンテェ。セラは俺との鍛錬もある。ずっとはできんぞ」
「ぞ。好きにするぞ。妾は感じるさ。この女の子は多感ぞ。心も体もさ。蛍が四度羽ばたき、星が三度瞬く間に主の足下に及ぶだろうぞ」
「そうか。俺もうかうかしておれんな」
 こうして、セラの『超感覚の神降ろし』ヌォンテェの元での修行が始まった。
 最初は何が何だか分からないまま、池の中で瞑想をしていた彼女だったが、二日目の夜、つまりは蛍が二度目の羽ばたきをするころには、蛍が飛び始めたことを目を閉じたまま言い当てた。初めて超感覚というものを身を持って体験してからの彼女の成長は早かった。三日目の朝には池から出て、自ら動きながら周囲の出来事を肌で感じるまでになっていた。
 もちろん、瞑想の合間にゼィロスとのナパードを交えた実戦訓練も行われたわけだが、ヌォンテェの修行が終わるまでに彼女はゼィロスに一太刀も浴びせることができなかった。彼女が超感覚を身に着けるのが早かったというのもあるけど……。


「もう、どうして。ゼィロス伯父さんの動きは分かるようになったのに……!」
 ゼィロスに背後を取られ文句を垂れるセラ。その背後から池の前に座したヌォンテェが見向きもせず声だけを掛ける。
「女の子よ。主はまだ、『異空の賢者』の足下に及ぶ程度ぞ。超感覚ぞは身に着けおったがさ、まだまだ、赤子ぞ。この地のわらべたちの方が上手うわてぞ。この地を離れても、鍛錬を怠ることなかれぞ」
「はーい……」
「ふっ、ではいくか」ゼィロスは木刀を腰に納め言う。「次は俺に攻撃を当てられるようになるための教えを受けにな」
「うん!」

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