碧き舞い花Ⅱ
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「死んでものないのにこんなとこ来るなよ。てか、あれって俺がカッパに言ったやつだろ。真似すんなよな」
『紅蓮騎士』は言った。
『碧き舞い花』は笑った。
「いいでしょ。答えは身近なところにずっとあったてこと。それにせっかく会いに来てあげたのに、なにその言い草」
「会いに来たってさ、俺でよかったのかよ。他にも――」
「大丈夫。ちゃんと会いに行ってるから。わたしってすごいんだから」
「自分で言うかよ」
「ははっ……じゃあ、行くね」
ユフォン・ホイコントロは戦いの終わった、夕日に染まるエレ・ナパスを王城の一室から見渡していた。
戦いの痕跡が痛々しい。自然豊かな世界が台無しだった。リョスカ山も大きく削られてしまい、そこから覗く夕日がどこか慈しみをもって世界を照らしているようにユフォンには思えた。
不意に左手の薬指の付け根がひりひりと痛んだ。そして涙が流れてきた。
そのことにユフォンは驚いて、涙を拭う。そうして一度塞がれた視界。再び夕日を捉えた彼の目は、碧き花びらが一片、揺らめいたのを映した。
夕日から彼に向かってふわり、ゆらりと流れてくる花びら。
自然と左手が伸びて、その花びらをユフォンは掴んだ。
記憶が溢れた。
愛が溢れた。
涙が溢れた。
「っ……」
握ったままの左手を額に当て、ユフォンは咽ぶ。
そしてしばらくしてはっとなって、握った左手を見ると、そこには朱色の宝石のついた簪が握られていた。それだけではない。彼の左手の薬指には、碧い宝石のついた指輪がはまっていた。
「ははっ」
戦後の後始末が一段落着いた頃、ユフォンはトラセークァスを訪れていた。
「なんで今更揺籃に?」
彼がノアの揺籃の中に納まると、ネルフォーネが未だに納得のいっていないといった顔で覗き込んできた。
「戦争は終わったっていうのに。さっきのセラって人となにか関係があるの? ねぇ、教えなさいよ、ユフォン」
「……」
ユフォンは一度目を伏せ、それから装置の外のネルに笑顔を向けた。
「そうだよ。セラっていう女性を主人公にした史実に沿った幻想譚を書こうと思ってね。でも、それを今出版すると、戦争が新しい記憶過ぎて新鮮味がないだろ。それに、人によっては嫌なことを思い出してしまうかもしれない。だからしばらく眠って、それから書こうと思ったんだ」
「それなら別に眠る必要はないんじゃなくて?」
「ずっと起きて歳を取ったら色々と忘れちゃうだろ? だから、まだ新しいこの記憶を鮮明に覚えておきたいんだ。その方が物語が面白くなる」
「……よくわからないわ。そこまでして書こうとするなんて」
「君が研究に向ける熱量と変わらないさ」
「っ……はぁ、それを言われるともう止める理由がなくなるわね」
「じゃあ、頼むよ」
「わかりましたわ」
ノアの揺籃の蓋が閉まるその間際、ユフォンはもう一度ネルに聞くことにした。
「ネル。本当にセラを知らないかい?」
「知りませんわよ。これから書くのでしょう?」
「……ははっ、それはそうだ」
装置の扉が閉まった。ユフォンは満足そうな顔で、眠りに落ちていく。
大親友が忘れているのなら、彼女を覚えている人など誰一人としていないだろう。ユフォンを除いて誰一人。
――見届けるよ、セラ。
血の匂いが充満していた。
月も星もない、静かな夜。
照らす光があった。
碧い光だ。
白いフードを赤く染めた死体の上に腰かけた男。そのくすんだ緑の隻眼が天に輝くその碧を見上げる。
「俺はお前を見逃さないぞ」
「聞こえてなかったのか? ちゃんと帰って来いって言っただろ」
五線の瞳が湖畔に揺らぐことなく映る夕日に向かって零した。握る乳白色の指揮棒を見つめる。
「俺にはちゃんと聞こえてるぞ、お前の声」
軽く振るわれる指揮棒。
夕焼けに映える碧き閃光を放ち、指揮者は姿を消した。
「本当にここまでしてしまうなんてな」
友たちの饗宴を背に、夜空で碧き輝きを放つ星をその青の眼に映し込み微笑む男がいた。
「お前を誇りに思うよ」
「おーい総代様ぁ、一人でなにやってんだよ」
「そうだ、こっちこい、こっち!」
前髪を括り上げた男と赤い長髪を後ろでまとめた男が、肩を組んで盃を掲げていた。酒が零れるのも気にせずに。
「娘に貰ったこの機会、無駄にはしない」
男は呟くと、宴の中へと入っていった。
‐大まかな史実‐
・『夜霧』との戦争はホワッグマーラの援軍により好転。
・ケン・セイが敵の統率者ジィゼン・ヴァルジェとの死闘の末、勝利。その後、ケン・セイは戦争の負傷を原因に落命。
・イソラ・イチとテム・シグラはこの戦争の後、結婚。数年後生まれた男女の双子の男児をケンセイ、女児をハツカと命名。
・ブレグ・マ・ダレ、シズナ夫妻が再会。終戦後、娘ジュメニ・マ・ダレと共にホワッグマーラで共に暮らす。
・アレス・アージェントはこの戦争までの功績により、恩赦を受けた。後にジュラン・コフェノーズとの間に子をもうける。
・キノセ・ワルキューは連盟に多大な戦力として復帰し、しかし終戦後は連盟を抜け隠居。その行方を知る者はいないという。
・さすらい義団は勲章を授与された。終戦後も世代交代を重ねながら、異空の平和を見回る旅を続けた。
・エァンダ・フィリィ・イクスィアはネルフォーネ・ウォル・ベルトアリァスと共にトラセークァスで余生を過ごした。
草原。
色とりどりの花を付ける草原。
七色を取り巻く碧の者が立っていた。
その者、空を見上げていた。
否、見下ろしていた。
草原が天、空が地。
碧の者が見つめる空に、黒が蠢いた。ごくごく小さな黒だ。
碧の者の中に過るは、遠い過去か、はたまたつい最近のことか。
~〇~〇~〇~
「細々にされたがそれで終わる俺ではない」
「この状況とて機と捉えた」
「種を蒔いたぞ。各地にな」
「それらが芽吹いた時」
「お前の『花』は俺のものとなる」
――そう簡単にいくと思ってる? わたしがなにもしないとでも?
「ふっ、じっくりとやろうではないか」
「この陣取り合戦」
~〇~〇~〇~
碧の者、空に想いを舞わす。
四十五年を経て、ユフォンは目覚めた。驚いたことに、隣の揺籃からテイヤス・ローズンが出てきた。
「テイヤス……? どうして?」
彼女は眼鏡をかけると、ユフォンを一度見て、それから目を逸らした。
「まったく同世代の知り合いがいないのって、辛いことだと思ったんです」
二人の間に少し青味がかった白髪を揺蕩わせ、クリアブルーの瞳の男がすぅーっと出てきた。
「俺はいつでもこの姿だけどな」
「フェズルシィくんは黙っててくださいっ」
眼鏡をかちゃりと上げながら、頬を紅潮させるテイヤス。ユフォンは彼女に笑いかけた。
「ありがとう、テイヤス」
それからユフォンは『碧き舞い花』を改めて『碧き舞い花Ⅱ』と併せて出版した。
『名無しの鍵』で閉じていた過去の『碧き舞い花』の概念も再び開け、代わりに過去に出版されていたという事実概念を閉じた。これにより、誰もが、今手にしている『碧き舞い花』をつい最近購入したものだと認知しただろう。
そして目覚めてから五年、ユフォン・ホイコントロのサイン会が開かれた。
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