碧き舞い花Ⅱ

御島いる

筆師の“本当の”後書き

 やあ、ユフォン・ホイコントロだ。

 まず、最後まで拙作『碧き舞い花』並びに『碧き舞い花Ⅱ』を読んでもらった皆さんに感謝します。本当に、ありがとう。

 そして、全く無名の作家の取材を快く受けてくださった、多くの関係者の皆様にもお礼申し上げます。本当に、ありがとう。

 たくさんの方々のおかげで、最後まで折ることなく、筆を置くことができました。重ね重ねになりますが、本当に、ありがとう。





 当然お気付きのことと思うが、この物語は史実をもとに、架空の英雄セラを主人公に立てた幻想譚だ。これまでの前書き、中書き、後書きももちろん物語の一部だ。

 第二次エレ・ナパス戦役で起こった奇跡。『碧き伝令』から着想を得て筆を執ったのが懐かしく感じるものだ。空想だけでは薄いと思い立ち、当時を知る偉人たちに取材を行ったわけだが、その際に取った覚書きの数々もまた懐かしい。

 そもそもは僕自身である筆師ユフォン・ホイコントロを物語に参加させる考えはなかった。しかし数多の偉人たちを取材し、彼らの親しみやすさや豊かな個性に触れると、そんな彼らと同じ時代を生きていたらという妄想が膨らんだ。

 その頃には物語は書き進めていたのだが、それを思い切って破棄した。

 そしてこれは悪い癖が出たというか、筆者の職権乱用というか、物語において主人公の隣に立ち、さらには恋人となるという中心人物に自分の役どころを置いた。婚約者であるテイヤスには、物語に登場してもらうというお詫びをした。彼女は少しむすっとしながらも許してくれた。感謝しかない。

 僕個人の話ついでに、最後につい先日あった出来事を書いて、ひとたびのお別れとしたい。かわいらしい読者との出来事だ。





 ~〇~〇~〇~

 軸歴867年。ホワッグマーラ。

 マグリアの魔導書館で終戦五十年と『碧き舞い花』発刊五年を祝い、ユフォン・ホイコントロのサイン会が行われた。

 中央図書室を埋め尽くしていた長蛇の列を消化し、ユフォンは伸びをする。

「お疲れ様です、ユフォンくん」

 彼のわきから労いの言葉をかけてくれるのは、司書ヒュエリ・ティーである。二十代で魔導書館の司書を引き継ぎ、戦禍から逃れるために眠りについていた期間を含め約百年、書物たちの絶対的親を担っている。ユフォンがかつての英雄賢者たちに取材を行えたのも、魔導賢者としての顔も持つ彼女の存在があったからに他ならない。

「ここまで図書館が賑わったのは久しぶりですよ!」

 七十を超えていることを感じさせない俊敏さで、興奮気味に腕をぶんぶん上下に振るヒュエリ。

「ユフォンくんのおかげです。マグリアの催し物と言えば全空チャンピオンシップだけだなんてもう言わせませんよっ! またやりましょうね!」

「ははっ」ユフォンは苦笑気味に返す。「僕でよろしければいつでも力を貸しますよ」

「はい! あ、ではわたしジュメニに自慢してきますね! テイヤスちゃん、みんなで片付けお願いしますね!」

 そう言い残して颯爽と去っていくヒュエリ。ユフォンはその背に「若いなぁ」と零しながら、司書補佐官の婚約者に目を向ける。

「僕も手伝うよ、テイヤス」

「いいわよ」テイヤスは優しく肩を竦めた。「あなたは先に帰って、疲れてるでしょ」

「サインと握手と世間話しかしてないよ。そんなに疲れてない、手伝うよ」

「ありがと」

 ユフォンはテイヤスや他の職員たちと手分けして会場の片づけをし、仕事のあるテイヤスを残しユフォンは魔導書館を出た。





 夕日。

 白と黒のレンガを橙に染める夕焼けに、ユフォンは左薬指の碧い宝石をどこか悲しげに、それでいて優しく見つめる。そうして魔導書館の正門を抜けたところで、彼は声をかけられた。

「あのっ!」

 少女だった。

 耳の上に小さな羽根っ毛を持った碧みがかった銀髪の少女が、『碧き舞い花』を抱きかかえるようにしてユフォンを見上げていた。青玉サファイアの瞳で。

 ユフォンは膝を折って、笑いかける。

「どうしたんだい?」

「あの……ユフォン・ホイコントロさん、ですよね?」

「ははっ、そうだよ。よくわかったね」

「その指輪、です。物語に出てきたから」

「ははっ、物語ではなくなっちゃたけどね。ありがとう。ちゃんと『Ⅱ』まで読んでくれてるんだね。まだ小さいのに」

「赤ちゃんの時から、おばあちゃんに読み聞かされてて、いまでも自分で、毎日夢中で読んでます!」

 そう言って少女は抱えていた『碧き舞い花』を前に突き出した。装丁が所々はげていて、少女の言葉は間違いではないようだ。

「そんなになるまで読んでもらえるなんて、筆師冥利に尽きるよ」

「あ、えっと違くて……」

 少女は少々慌てた様子で、『碧き舞い花』の表紙を開こうとする。

「ああ、サイン会に間に合わなかったんだね。いいよ、特別にサインして――」

 サインはすでに書いてあった。



『ユフォン・ホイコントロ』

『セラフィ・ヴィザ・ジルェアス』



 連名のサインが書いてあった。

「これ!」少女が色めき立つ。「去年のビュソノータスの大売出しバザールで見つけて! それでお父さんに頼んで買ってもらったんです! このサイン! 本物ですよね! セラさんは実在するんですよね!」

 ユフォンは一瞬呆然として、それから笑う。

「ははっ、君は相当なファンだね。そして幸運なファンだ。限定品を持ってるなんて」

 少女が困惑気味に小首をかしげる。「限定品……?」

「そう、物語の中で僕とセラが行商人のラィラィさんにサインする場面があるのはわかるね?」

「……はい」

「そのときのサインを再現したのが、その限定品の『碧き舞い花』なんだよ」

「……そう、なんですか?」少女はがっかりした様子で俯いた。かと思うと顔を上げ、詰め寄ってきた。「セラさんは、本当にいませんか?」

 見つめてくる真っすぐなサファイアに、ユフォンは微笑む。



「いるよ」



「え?」

 虚を突かれたのか、少女は呆気にとられた様子で目をぱちくりとさせる。

「僕の作品を読んでくれた、誰もの心の中にね」

 ユフォンがそう言うと、あからさまに少女は肩を落とした。ユフォンは申し訳なく思いながら、少女の頭をなでる。

「ごめんよ。夢を壊しちゃったね。筆師失格だね、僕は」

「そんなっ、ユフォンさんは異空一の筆師です。ただ、わたし、本当にセラさんはいたんだって思ってて……それを確認したくて、ユフォンさんに会いに来たんです」

 少女は力なく笑った。

「でも、ユフォンさんが言うんじゃ、わたしの妄想だったんですね。わたし、周りの子に比べたら大人だと思ってました。でも、やっぱり子どもなんですね、わたし」

「そんなことないよ、話し方でわかる」手を少女の頭から下ろし、しっかりとその目を見つめる。「それに、そのサイン本のことを僕に聞きに来た行動力は大したものだよ。想いに正直なんだね。その気持ちを忘れないで……えっと、ごめんよ、ここはきれいに決めたかったけど、僕は君の名前を知らなかった。教えてくれるかい?」

 ユフォンが苦笑して聞くと、少女は頷いた。



「   です。                です」



「   ちゃん。よし、じゃあ気を取り直して」

    の目を真剣に見つめるユフォン。

「想いを大事に。ゼィグラーシスだよ、   ちゃん」

    は『碧き舞い花』を抱いた。

「はいっ!」

「いい返事だね」ユフォンは今一度笑って、膝を伸ばす。「それじゃあ、僕は行くよ。次の作品に期待して。そしてそのサイン会があったら、また会おうね」

 ユフォンは手を振って、   から離れた。

 街角を折れて彼女の姿が見えなくなるまで、手を振り続けた。

 ~〇~〇~〇~





 と、言った感じだ。

 彼女の名前については、個人情報のため伏せさせてもらった。大事な場面に水を差してしまったわけだが、その場ではしっかり決まったのでご心配なく。

 さて、そろそろ本当に筆を置こうと思う。かわいらしい彼女にも言ったが、次の作品に期待してほしい。筆師はまた筆を執る。





 あなたの心にも、セラはいる。――ユフォン・ホイコントロ



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