碧き舞い花Ⅱ

御島いる

359:ヴェィルの耳飾り

 ジュランと共に空の渦巻きを発見し、即座にその下へと向かい出したプライ。途中ジュランがアレス・アージェントの助太刀に抜け、彼は一人でミャクナス湖畔に到着した。

 易々と降り立つことはしない。上空に留まり、遠方より湖畔を窺う。白髪の男が、真っ青な瞳を空に向けていた。視界にはプライの姿は入っているはずだが、見向きもしない。

 いや、それでいいとプライは思った。注意を向けられれば、勝ち目もなにもない。勝負にすらならない力の差が男との間にはあった。あれがヴェィルだと、名乗られるまでもなく理解できる。

 どうしたものか。なにもできはしないとわかっていながらも考える。命を捨てる覚悟で止めに入るべきか。それともただここで指をくわえて見届けるべきか。

「もう考える必要はないぞ。天翔けし隻翼よ」

 不意にヴェィルが独り言のようにぽつりと、プライに声をかけてきた。固唾を飲んで睨み下ろすと、青い目がプライを一瞥した。そして口が動く。

「もう終わった」

 その言葉と共に、ヴェィルが天を見るように顎で促す。プライはもしもに備え、すぐにでも逃げられるよう身構えながら空を見上げる。

 渦の中心が大きく広がり、青空の奥に異空が姿を見せていた。プライが見上げてから間もなく、異空からエレ・ナパスに向けて数十の黒い光の筋が、うねりくねりながら伸びてきた。そして地上の各地へ降り注いだ。

 湖畔にも一本落ちてきて、その黒が収束していくと人影が見えてきた。三つだ。

 風通しの良さそうな服装の三人。ヴェィルの前でなければ頼もしいと思えただろう。





 眩さが去っていく。テムの目には見慣れた世界が映る。

 突然のことにイソラが驚きをそのまま声にする。「なに、なにっ? どうなってるの?」

 テムは努めて冷静に状況を理解しようと、とりあえず見たままを口に出す。

「エレ・ナパス……跳ばされた?」

 ケン・セイとイソラと共にモノノフの世界に向かい、彼らを起こそうとしていたテムだったが、突然周囲を光に包まれ、瞬く間にエレ・ナパスに戻された。

「落ち着け。楽しくなりそうだ」

 ケン・セイは動揺することもなく、目の前に大きな気配があることにうずうずとしていた。はっきり言ってさすがにそう考えられる師は異常だと思わざるを得ない。なにせ、目の前にいるのは異空の敵、ヴェィル・レイ=インフィ・ガゾンなのだから。戦うことへの好奇心など、彼に対する本能的な怯えには勝てない。

「俺だけでやる。イソラ、テム、他に行け。無理するな」

 テムは内心ほっとした。ただ、姉弟子の反応を見て、まだ自分が二人の隣に並ぶのは遠い未来なのだろうと、小さく拳を握った。

「やだ、お師匠様。あたしだって戦うよ。ハツカだって今度は勝ちたいでしょ?…………ハツカ?」

 イソラは意識の底に住まう姉に語り掛けたようだが、ハツカから返事がないのか、困ったように名前を呼ぶ。すると彼女の身体から闘気が流れ出し、ハツカが現れた。

 イソラが首を傾げる。「どうしたのハツカ?」

 ハツカはものすごい剣幕でヴェィルを睨んでいた。それは以前想絶により、宿っていたセラの分化体を消されたことによる恨みからくるものだろうとテムは思った。しかしその考えは彼女が口を開くことによって否定される。

「あの耳飾り」

 ハツカの声にテムたちの視線はヴェィルの左耳に向かう。

「昔セラお姉ちゃんが付けてたやつ?」

「それは壊れただろ」

「ハツカ、なんだ」

 ケン・セイに促され、ハツカが低く告げる。

「あの水晶の中にセラお姉ちゃんがいる」

「うそ!?」

「封印されたってことか? 待て、じゃあ三権はっ!」



「ここにある」



 答えたのはヴェィル本人だった。見せつけるように、上に向けた掌の上に三つの光を現した。

「お前たちに向かうべき未来はないぞ、新人類」

 ヴェィルは三つの輝きを握りしめ身体に納めると、身体に黒きヴェールを纏った。

「絶えろ」

 すっと掌をテムたちに向けたヴェィル。身構えただけのテム、イソラ、ハツカの三人をかばうようにケン・セイが前に躍り出て、パァンと手を合わせた。

「耐える」

 ケン・セイの身体から禍々しく濁った煙が発せられた。

 その直後、弟子たち三人を強い風が襲った。ケン・セイからの噴煙に包まれる。

 一瞬、なにが起きたかわからなかった。ケン・セイが腕を突き出しているのを見て、彼がヴェィルから放たれた衝撃を受け止めたのだと知った。察知できなかった。これは本当に師にヴェィルを任せ、自分は他の場所へ向かうべきだとテムは痛感した。

「イソラ、ハツカ。俺たちは離れるぞ。エレ・ナパス中が戦場になってる」

「でも――」

「イソラ、ここはテムの言う通りに。今の攻撃、見えなかったでしょ」



「いつでも殺せる。なら今殺すというものだ」



 テムは耳元で聞こえた声に背筋を凍らせた。絶望的な殺気に冷や汗が流れる。振り向けない。振り向きたくない。一心不乱に走り去りたい衝動に駆られる。いいや、後ろに立たれた瞬間に、殺されたのではないだろうか。もう、自分は死んでいるのかもしれない。

「テム、折れるな」

 ケン・セイの一言で、意思が保たれた。死が錯覚になった。

 すぐ横をケン・セイが通り過ぎ、ヴェィルが遠ざかった。振り返ると、煙を発する師がヴェィルを牽制してくれていた。ここを離れるなら今しかない。

「行くぞ! イソラ、ハツカ。師匠なら大丈夫だ」

 イソラが少し戸惑いを見せたが、ハツカが天鹿で引っ張ることで三人は湖畔から離れはじめる。湖畔と丘の境を通り過ぎてあたりでテムは一度振り返った。

『師匠なら大丈夫だ』

 自分で言った言葉だが、不安がないと言えば嘘になる。ケン・セイの煙を発する今の状態。

 闘技、鬼の組。

 デルセスタ棒術の神容を闘技に落とし込んだもので、神に対抗しうる力だ。その強さはテムには測りきれないものだった。強力なのはわかる。しかしそれが本当にヴェィルに通用するのかはわからない。なにせ実戦で使われるのは今回がはじめてなのだから。

 いつでも殺せると言われた恐怖が不意に戻ってきた。それを拳を握ることで締め出し、自分たちが湖畔を離れられたのは、ヴェィルの気まぐれではなく、ケン・セイの力が通用するもので、後ろの自分たちに手が出せなかったからだと信じるテムだった。

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