碧き舞い花Ⅱ

御島いる

356:切迫

 ユフォンがセラの弟という存在に驚いたその時、彼の身体が揺れた。驚いた時の身じろぎでベッドが揺れたのだと、最初ユフォンは思った。

 しかし違った。

 エレ・ナパスが揺れていた。

「敵だ、ユフォン! みんなを起こすぞ!」

 フェズがらしくなく焦った声で言って、振り向いたユフォンにガラス玉を投げてきた。なんとかガラス玉を落とさず掴み取ったユフォン。それを尻目に、フェズはアレスの手錠を見て、壊した。

「……なんでもありだな」

「俺だからな」フェズは肩を竦めて見せてアレスに続ける。「先に行け」

「ああ。早く来てくれよ」

「わかってる。俺なしじゃきついだろ」

「……本当のことだけどなんか、こう……いいや、ほんと、早く来いよ」

 アレスは釈然としない顔を見せたが、もう一度フェズに念を押しながら部屋を出ていった。

「ユフォン、セラのことは心配だろうけど、ここが落ちたら元も子もない。やるぞ」

「うん、もちろんさ。けど、こんな急に敵襲って、なんで」

「理由なんて俺が知ると思うか? ほら、まず本を出すぞ」

「うん」

 ユフォンは頷くと、とりあえずガラス玉をフェズの方へ差し出した。ガラス玉はユフォンに投げられたが、解放できるのはフェズだけだ。



 それなのに、なぜフェズはユフォンにガラス玉を投げた?



 その疑問がユフォンの頭に過った時には遅かった。

 ひらり。

 床に一片の紙が落ちた。

『フェズルシィ・クロガテラー。ユフォン・ホイコントロに禁書を保持したガラス玉を渡す』

「これはグースが未来を記せる羽ペンで書いた一文だ」

 部屋に急に現れた男。指揮棒を振るい、落ちた紙をその手に納める。

「俺はこの文字列を音に変えてフェズの耳に届けたんだ」

 紙を追い、視線を動かしたユフォンがその目に映したのは、所々黒の入った白髪に、五線の瞳、そして乳白色の指揮棒。記憶にあるまま。自分と同じく四十年前と変わらぬままの友の姿だった。

「キノセ、よかった、生きていたんだね……その、ミュズアのことは」

「ユフォン。今更なにを言っても遅い。過ぎたことだ」

「それはそうだけど、未来はある」

 ユフォンは友が姿を変えていないことに、理由はわからないがジュンバーと同じ境遇に置かれているのだろうと考えた。ヴェィルに加担しているのだと。それでも彼ならば、その状況を利用して、機を見て連盟側に戻ることを画策しているのかもしれない。そんな望みのままに問い掛けた。

「一緒に戦ってくれるんだろ? だから僕たちの前に――」

「それがお前の状況判断なら、甘いなユフォン」

 ユフォンの言葉を遮って、指揮棒を振るキノセ。するとユフォンの手からガラス玉が離れ、次の瞬間にはキノセの手に収まった。

「お前らも、失え。俺と同じ苦しみを知れば、そんなことは言えなくなる!」

 指揮棒を逆手に持ったキノセが、ガラス玉に向かって振り下ろす。

「駄目だ!」

 ユフォンはすぐに魔素を放ってキノセの腕を押し留める。

「四十年」キノセはユフォンを睨む。「お前はなにも変わってないなっ!」

「っく……ぁあ!」

 指揮棒は振り下ろされた。指揮棒からの音波によりユフォンは壁に背中を打ち付け、ガラス玉は指揮棒そのものの直撃によって粉々に割れた。

「ユフォン、お前はそこでじっとしてるんだな。無能になった天才を見ながら、仲間たちの死が奏でる音楽を聴いていればいい。演目が終わったら、俺がお前の命を終わらせに戻って来てやるよ」

 ロープスで空間に穴を開けると、キノセは去った。

 残されたユフォンは、棒立ちならぬ棒浮きするフェズと、床に落ちたガラスの破片をぼんやりと見つめることしかできなった。

 なんでフェズは動かない。禁書の中のみんなはどうなった。なんでキノセはこんなことを。一体なにが起きている。

 わけがわからない。





「ネルさん! エァンダさん!」

 慌て気味にペレカが部屋に入ってきたのは、エァンダとネルが険しい表情で視線を合わせてすぐだった。

「エムゼラさんたちとの通信が繋がりました!」

 ネルの表情がわずかに緩み、確認の視線に変わった。エァンダが頷くと、すぐに動き出す。

「すぐ行きますわ」

 二人の背中を見送ったエァンダ。しかしその表情は緩まない。ずっとセラの気配を探していた。ベッドで眠るムェイとノアに目を向ける。まだ息はある。エムゼラも加わればきっと大丈夫だろう。

「っ!」

 不意に目の奥が痛んだ。それだけではない、胸が刺されたような痛みに襲われた。エァンダはベッドに上半身を預ける形で倒れこんだ。立っていられなかった。

『エァン!』

 タェシェが背中で心配の声を上げた。だが対応している余裕すらなかった。目と胸元を抑えるが痛みは治まらない。代わりに脳裏に戦場の光景が流れ込んできた。

 攻撃される故郷の姿だ。

 今までも、ナパスの危機を感じ取ったことはあった。それでも、動けなくなるほど痛みに襲われたのははじめてだった。それほどの窮地か。それならば逆に力が湧いてきてもいいものだが。ヴェィルたちの策略か。

「エァン!?」

 ネルが戻ってきた。すぐに駆け寄ってきた彼女。エァンダは彼女の腕を掴もうとして、目標がずれ、服の肩口を強く握った。そしてただ伝える。

「エレ・ナパス……!」

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