碧き舞い花Ⅱ

御島いる

346:策士と筆師の攻防

 こんなに呆気なく人が死ぬのか。

 ユフォンはジュンバーの目を閉じながら自問した。

 いや、人は確かに簡単にその命を落とすだろう。ただ彼が引っ掛かり、許せなかったのは、ジュンバーが書かれた文章一つで命を落としてしまったことだ。人間同士が争い命を奪い合うにしても、こんなに簡単に、大した労力もなく人を殺められてしまうことがあっていいのかと。

「さあ、邪魔者はいなくなった」

 グースは静かに言う。対してユフォンは顔を顰める。

「いなくなったって……。人の命を、なんだと……」

「彼はその価値を全うしたでんす。あなたが嘆くことではない。それよりもあなたは自身の心配をすることだ。私がこのペンであなたの死を書けばそれで終わりだということが、わからないわけではないでしょう?」

「ええ、そうですね。でも心配には及びませんよ。僕はあなたに殺されることはない。そのペンはただ書いただけではその効果を発揮しない」

 ジュンバーが使っていたころからのことを鑑みて、ユフォンには思うところがあった。

「ふむ、その根拠を聞きたいところではありますが、私の目的はあなたのご友人が隠した、世界を模した禁書たちです」

「隠した? どういうことだい? フェズは珍しくなにもできないまま、ジュンバーの手帳に閉じ込められた」

「嘘は必要ない。私がここに戻ってきたのが、彼からペンを譲り受けるためだけだとでも? 私の考えでは、思念体の彼はあなたに託したと思うのですが、違いますか?」

「それならジュンバーが気付くんじゃないかな?」

「白々しい。問答は必要ないんですよ。そこの彼がそんな機微に気づくわけがないでしょう。この先の保管庫はもぬけの殻だった。そんなことができるのはフェズルシィ・クロガテラーくらいなものです」

「フェズを褒めてくれてありがとうございます。親友として誇らしいですよ。ですが、本当に僕はなにも知らない。なんなら、本人に聞いてみますか? 手帳から出す方法を教えてくれるだけで済みますよ」

「私がそんな脅しで退くとでも? あなたが包み隠さず話すよう、このペンであなたを未来を決めてもいいんですよ?」

「そしたら僕は目を瞑る」

「そうですか。ならそうしてもらいましょうか」

 グースは懐から煌白布を取り出し、手にふわりと乗せた。そして取り除くと、上質な紙の束が現れた。その束の一番上の紙にグースは羽ペンでなにやら書きはじめた。

 すかさずユフォンは魔素を放つ。

「そもそも書かせるわけないでしょうっ!」

「当然ですね」

 グースは書くのをやめ、ユフォンに向けて駆け出した。衝撃波は易々と腕にかき消された。いくら策士としての役割が多いとはいえ、グースも軍人であることに変わりない。本格的な戦いになればユフォンに分はない。

「あなたなら単純な武力制圧で充分ですしね!」

 剣を抜いたグースに対し、ユフォンは障壁もマカを張る。

 グースが一度剣を打ち付け、それだけでヒビが走る。そして二度目が来る寸前、ユフォンは幽体を二体出した。二人に障壁の強化を任せ、自身は踵を返し、グースから離れるように走る。正面切って戦っても勝ち目はない。今は逃げるが勝ちだ。例え迷ってしまうとしても。

 そうして振り返り後方の様子を見ようとしたユフォンのすぐ真横で、金属が光を反射した。すぐに足を止めると、彼の目前を刃が振り下ろされた。

 陽炎となって消えた壁の向こうから、グースが現れたのだ。

「ここに関して言えば、あなたより私の方が地の利があると言えるでしょう」

 抜け穴があると暗に指摘されてから、ユフォンはヒュエリとテイヤスと共に禁書館を徹底的に調査した。しかし結局のところ、入り口以外から出入りできる場所は見つけられなかった。それでも現に、グースたちは禁書迷宮に足を踏み入れている。そのうえ、今も直線から外れた禁書庫の一つからグースが出てきた。彼がどう移動してきたのか幽体が見ていればよかったのだが、さすがは頭が回る男だ。グースは幽体を消し去ってからここに来た。

 だが、本当に地の利があるのはやはりユフォンの方だと彼は口角を上げた。

「ははっ、どうですかね?」

「魔素が尽きないことを言っているのなら、その程度のことでは――」

「違いますよ。禁書に対する知識、書物が封じられるに至った経過背景、歴史はきっと僕の方が知ってる」

 ユフォンはグースの後ろに目を向けた。そこには暗澹たる空気を醸し出す書物が、鎖にがんじがらめにされていた。

 禁書の一冊。

『魔素に侵された獣たち‐古代種編‐』だ。

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