碧き舞い花Ⅱ

御島いる

302:会する

「あははははは」

 ユフォン・ホイコントロが疲れ知らずに笑い続けるなか、空気の伝わりを辿り到着した先で目にしたのは、一人佇む男の横顔だった。

 ヌロゥはその男に問う。「俺のツレは美味かったか?」

 口元の血の汚れは、白き神を喰らったものではない。真新しい鮮血だった。

「新鮮だった」バーゼィがヌロゥには見向きもせず、どこか達観した様子で言う。「鮮度も、感覚もだ。だってそうだろ、神と呼ばれる者以外を喰らったのははじめてなんだからな」

 バーゼィはそのままヌロゥに背を向け、歩き出した。

「どこへ行く」

「帰るに決まってる。だってそうだろ、目的を果たしたんだからな……」

 ぴたりと、バーゼィの足が止まり、振り返った。

「いいや、違った。俺の目的はまだ果たされてない。だってそうだろ、俺は俺の食事を邪魔したお前らを、皆殺しにしたいんだったんだからな!」

 空気がヌロゥの肌をひりつかせた。ヌロゥは即座に身体を護った。

 分厚い空気の壁を、バーゼィの拳が殴る。すぐに突き抜けて、身体の前で交差したヌロゥの腕を軋ませる。

「ぐぬぉ……」

 空気を放ちながら押し返すも、耐えきれるものではなかった。身体が浮き上がり、振り抜かれた拳に吹き飛ばされる。

「ぬぁっ……!」

 吹き飛んだはずなのに、バーゼィの気配はずっとそばにあった。よく見ると景色が変わっていなかった。体勢が立て直せないほど強い力の流れに乗っているのに、ヌロゥはその場から動いていなかった。

 そしてバーゼィがヌロゥの腹に肘を落としてきた。

「ぶあっ!」

 次の瞬間には、ヌロゥは床に激突していた。

「落ちろ」

 バーゼィがそう口にすると、ヌロゥの身体は床に吸い込まれるように沈んでいった。かと思うと、彼は空にいた。床も壁も見えない、遥かな高み。言葉通り、落とされているようだった。

 身体が重い。強い重力を感じた。身体の動きを封じられるほどの。それだけなら、まだよかった。あまりに強い力を、空気の浮力が上回れないでいた。減速の気配すらない。

 地上までどれくらいかと、ユフォンの空気を探ってヌロゥは舌打ちした。笑い声がしなかったのは気絶したからのようだ。ユフォンは彼のすぐそばで一緒に落ちていた。

「せめて笑ってろよ」

 鼻で笑うと、ヌロゥは異空環から灼熱の空気が入った小瓶を取り出した。とはいえ、手すら動かすことができない現状では、小瓶は滑り落ちていくだけ。空気でそれを止め、割った。

 火炎が身体を包み込む。

 それから間もなくして、ヌロゥの視界には麗しき碧き花が舞った。





 兄を送り、空を見上げた。

 すると、ちらつくものが見えた。それが炎だと気付くより早く、セラは空にあった二つの人影の気配を感じ取って跳んだ。

「ユフォン! ヌロゥ!」

 外在力を駆使して二人の落下に合わせるセラ。ユフォンは気絶していて、ヌロゥは意識があるが、らしくなく重力に身体を任せて落ちている。

「どういう状況?」

「話はあとだ。まずは――」

 言葉を止めたヌロゥの右目がセラの後方を見た。合わせて、セラは背筋を凍らせる。色のある状態でも感じ取れなくなっていたはずだが、気配を感じた。感じたことのある気配を残しつつも、それは異様なものに変質していた。

「バーゼィ!」

 彼女が振り返ると、上裸の男が拳を後ろに引いていた。その手には陽炎が纏わりついていて、輪郭がぼやけている。

「終の権っ?」

 驚いているセラに向かって拳が飛んでくる。セラはその攻撃を受けるより早く、ユフォンとヌロゥを引き連れて迷宮へと舞い降りた。すると、舞い散った花びらたちを蹴散らすように、バーゼィが盛大に降ってきた。

 床が波打ちうねる。そんな中、再びバーゼィの拳がセラ迫った。セラはフォルセスを即座に抜き、バーゼィの拳を弾くように払った。

 安定しない足元を気にしつつも、セラはバーゼィの二の手、三の手も同じように弾いていく。気配が読めることが大いに役立つ。そして四回目の攻撃を防ごうとした時だった。セラの右足の部分の床だけ大きく、柱のように伸びあがった。

 後ろに倒れ込むセラ。そこにバーゼィの拳が振り下ろされる。セラはナパードをしようとしたが、バーゼィに睨まれると、内臓が浮かび上がる感覚を味わった。楔の呪いだ。ならばトラセードをと思った矢先、彼女から色が抜けた。

「!?」

 迷宮を進んだ時と同じだった。ヴェールを纏っていても、その力を感じなかった。咄嗟に空気を纏う。衝撃を減らすことを一番に考えることにした。

 パリンッ――。

 小さくガラスが割れるような音がした。その直後セラの脇から、黒と白を纏う色を持ったままのヌロゥがのらりと躍り出て、バーゼィの屈強な腕を蹴り上げた。しかしびくともせず、バーゼィは全く気に止める様子もなくそのままセラを殴りつけた。

 腹部を裂かれるような強烈な痛みだった。

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