碧き舞い花Ⅱ

御島いる

298:千切れ雲

「あははははははっ」

 筆師は腹を抱えて笑う。勝利の笑いではない。人を殺したことによる笑いでもない。否、そうなのかもしれない。今はなにを見ても笑うだろう。

 ユフォン・ホイコントロに纏わせた空気は、麻薬世界エングライのものだった。竜毒に並ぶ大量流通麻薬雲片うんへん。それを煙らす雲片窟が至る所にあり、そこから漏れ出た煙が世界中に蔓延して、隠れて吸煙することに意味がないというおかしな現状の世界。

「はははははははは!」

 うるさいばかりだ。

 鎮痛効果があり、薄めることで医療に用いる雲片だが、そのまま体内に取り込めば、意識障害、幻覚、虚脱などの副作用や後遺症が発現する。

 舞い花ならどうにかするだろう。ヌロゥは笑い転げる筆師を空気ごと持ち上げ、ィエドゥの死体を置き去りにしていく。

「最高の楽しみはどのみち最後だ。くくく、まずはもう一匹だ。さっきのやつより楽しめると思うだろ、筆師?」

「あはっ、あはははははは」





 戦いの音が止んだ。

 気配を感じなくとも、あれだけ爆発的な音を轟かせていれば、嫌でも耳にはいるものだ。ヌロゥが飛ばされていった方角だった。いまではズーデルとバーゼィの姿も見えない。

 セラとビズラスだけ。

 やるしかないのか。そう自身に問いかけてからだいぶ時間が経ったように思えた。けれども、ヴェールを纏い直すにはまだ早い感覚がある。思った以上に時は流れていない。

 ビズは感情のない刃を、休むことなく差し向けてくる。その心に入り込む隙は全く無いのだろうか。

「ビズ兄様っ!」

 呼びかけは届かない。

 望みがあるとすれば、想造の力。もしくは、まだ不確定な想造を絶する力か。

 とにかく今は、回復を待つしかなかった。兄の敵意に心が折れないようにしながら。





 三権の力を全開で感じていた期間は短かった。それでもその感覚はしっかりと身体に刻まれていた。だから、現状が満ち足りていないこともわかる。

 原因は迷宮の中央に、力の半分以上を持っていかれていることにある。

 記憶が途切れている部分があった。ホワッグマーラを消した瞬間から、今しがた意識が戻るまで。所々、新世界を造ったことや、この場所で起きていることは、ぼんやりと水中を覗いているかのように見ていた。いいや、水中から地上を見ているようだった。まさに溺れているようなそんな感覚から、必死にもがきながら這い出た。

 セラと戦いながら、調子を確認したが、戦いにはさほど支障はなかった。これならば今度こそ三権をものにできる。そうズーデルは思っていた。

 しかし彼の前に現れたバーゼィという上裸の男は、侮れなかった。

 三権の力が充分ならそうではなかったのかと問われても、簡単には頷けない。三権に並ぶような力を、彼は持っていると思われる。

 時には相殺され、時には打ち勝ち、時には押し負ける。

 互角。

 戦いはじめはそうだった。しかし、今は劣勢そのものだった。

 青雲のマントはボロボロの千切れ雲。生の権の力で負傷こそないものの、それが証明していた。

「まだ終わりには早いぞ! だってそうだろ、俺の怒りは全然収まってないんだからな!」

 不意に真横に現れたバーゼィ。存在が突然に現れる移動法は、注意深く追っていないと不意を突かれる。しかしそれはバーゼィ側も同じようで、三権の力を持つズーデルの移動には完全についてこれないようだった。

 ズーデルはすぐに反応して、バーゼィから離れる。そして僅かに遅れて跳びかかってくるバーゼィを視界に捉えると迷宮の形を変えた。何重もの壁を彼の前に立ちはだかせる。簡単に破壊されるが勢いが失われていく。そこに、終の権の力を放つ。

 すべての壁を突き破ったバーゼィの拳が、陽炎と激突する。

 普通の人間であれば、終の権の陽炎に触れれば生命が終わりに向かっていく。だがバーゼィにはただの衝撃波と変わらなかった。掻き消され、ズーデルは顔面を強かに殴られた。しかもただ殴っているだけではないのだ、バーゼィは。その拳から、ズーデルが知るような衝撃波とは種類の違う、衝撃波を出しているのだ。元の時軸の住人が使うような衝撃波に、似ているが違う、ということしかわからないもの。言い換えができない、未知なものなのだ。

 衝撃に乗せられて吹き飛ぶズーデルだが、後方の壁を操り弾性を持たせる。力に合わせてしなる壁に埋まっていくと、その反動で一気にズーデルに向かって飛んでいく。その最中、バーゼィの足もとの床を流動させ、足を埋めて動きを封じる。

 バーゼィは攻撃をすり抜ける力を使うが、壁や床を使って攻撃している最中に、ズーデル自身の攻撃をすり抜けることはなかった。その反対も然りだ。

 このまま突っ込んで、すり抜けられたら床を使い足もとへ攻撃する。床をすり抜けて出てくるのなら、殴り倒す。

 だがズーデルの算段は打ち破られた。

「鬱陶しいなっ!」

 べりっと床を剥がし、バーゼィはちょうど飛び込んだズーデルの顎を蹴り上げた。

「っが……!?」

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