碧き舞い花Ⅱ
285:「“誰なんだ”」
ハンサンの背中から飛び出たうねる腕たち。セラとヌロゥに迫る。
不規則で不気味な動きを見せるが、しっかりとハンサンの気配を感じるため、対応するのはそう難しいことではない。
セラは自身の左肩とユフォンを庇いながら、後退する。対してヌロゥは前進し、ハンサン本体に攻め込む。
迫る手を斬り捨てながら、セラはヌロゥを見やる。彼に迫る手は、分厚い空気の壁にへし折れている。まったく攻撃になっていなかった。
そしてついにヌロゥがハンサンの前に辿り着き、歪んだ刃を振るう。だがその一撃は飛び出した無数の腕の壁によって防がれた。止まったかに見えたヌロゥだったが、刃を空気で押し込み、無理やりにハンサンの身体を斬りつけた。
血が噴き出る。
そう思われたが、違った。
血は出たのだが、僅かだった。代わりに切り口から飛び出たのはまたしても、うねる手だった。上下に分かれて皮を掴んで、そのまま引っ張ると傷を塞いだ。指が皮を突き破り、縫い付けるようにしっかりと。
「フュレイ様のため、私は二度と死ぬことはないのですよ!」
「知ったことか。俺の邪魔をするならば、殺す。それだけだ」
ヌロゥが再び剣を振るう。そんな彼を包み込むように、ハンサンの背から出る腕が回り込んだ。その影響か、セラとユフォンの方へ向かってくる腕の本数が急に減った。
「セラ、離れよう。肩も痛むだろう? 治療はできないけど、応急処置はしなきゃ」
「うん」
頷き、セラはハンサンの手を払いのけながらユフォンと共に迷宮を奥へと進んでいった。
「薬も効能がなくなってるかもしれない」
壁を背に座り、水で洗った傷口にユフォンに傷薬を塗り込んでもらいながらセラは呟いた。薬を塗り終えると、ユフォンに指示をしながら、傷口をしっかりと押さえるように包帯を巻いてもらった。
動きを確かめると、痛む。普段の戦いなら支障は出ないだろう。しかし現状ではどうだろう。
多くの力が封じられている。相手にしている敵も一筋縄ではいかない者ばかりだ。
「僕がもっとなにかできれば……」
ユフォンが歯痒そうに言って床に目を落とした。
「僕だけがここに集まった人の中でなにも力がない。他は二人なのに、セラは一人で戦ってる」
セラはユフォンの手を取った。その指にある、今は色を失った碧の宝石がはめられた指輪を撫でた。
「二人だよ。わたしたちもちゃんと。戦うだけが戦いじゃないんだから。さっきも励ましてくれたし、ユフォンがいるだけで、わたしはわたしでいられる」
「わたしはわたしでいられる……」
セラの言葉が反芻された。ユフォンではなく、第三者に。
「自分が自分だってことの証明はどうやってするんだ」
セラとユフォンの前に覗き込むようにしゃがみ込んだ男。
「ズーデル!」
セラとユフォンは声を合わせて彼の名を呼んだ。しかし当の本人が首を傾げた。
「それは、俺の名前か?」
「?」
セラはユフォンと顔を見合わせて訝しんだ。
「違うのか?」ズーデルは立ち上がり、色を失った空を見上げた。「誰なんだ……俺は」
ユフォンが恐る恐る尋ねる。「覚えていないのかい?」
「なにも」ぽつりと言うズーデル。「何者でもない俺には、なにもないんだ」
セラとユフォンが立ち上がると、ズーデルが視線を向けてくる。
「君たちは何者?…………俺に、俺が俺である意味を教えてくれるのか? 君たちがいれば、俺は俺になれるのか?」
たどたどしく青雲のマントの中に手を入れるズーデル。まさぐると、止まって、またまさぐった。その手がマントから露わになると、剣を握っていた。
その剣を不思議そうに見つめたかと思うと、急にユフォンに向かって振るった。
セラが咄嗟に彼の身体を押し飛ばし、ズーデルの剣は壁に傷を刻む。そしてすぐさま彼は剣を横に振るい、セラを狙った。
セラは左手でズーデルの腕を掴んで止める。痛みに顔が歪んだが、空いた右手でフォルセスを抜く。左手を上げ、ズーデルの脇に隙を生み出すと、フォルセスを振り上げる。だが今度はセラの腕がズーデルの手に抑えられ、阻まれた。
ズーデルはそこから跳ね上がり、壁を蹴ると、セラと共に地面に倒れ込む。すぐさま立ち上がると、セラを踏みつけようと足を振り上げた。
その足が落ちてくるより早く、ズーデルの身体はセラの視界から消えた。
ユフォンだ。
ユフォンが体当たりをし、ズーデルを押し倒したのだ。しかしそれも束の間、簡単に蹴り剥がされ、ユフォンは背中を壁に打ち付けた。
「っかぁ」
「ユフォン!」
立ち上がり駆け出すセラ。同じく立ち上がったズーデルと刃を交える。そうしながら、ユフォンに心配の眼差しを向ける。
「大丈夫。これくらいなんともないよ」
ははっと笑うユフォン。痛そうにしているが、問題はなさそうだった。
「やっぱり僕も、少しは戦わないとだろ?」
「無理しないでよ」
「俺のことを忘れるな!」
急に怒号を上げると、ズーデルは一度フォルセスから剣を離してから、叩きつけるようにもう一度振り下ろした。
その振動が、セラの左肩に響いた。
不規則で不気味な動きを見せるが、しっかりとハンサンの気配を感じるため、対応するのはそう難しいことではない。
セラは自身の左肩とユフォンを庇いながら、後退する。対してヌロゥは前進し、ハンサン本体に攻め込む。
迫る手を斬り捨てながら、セラはヌロゥを見やる。彼に迫る手は、分厚い空気の壁にへし折れている。まったく攻撃になっていなかった。
そしてついにヌロゥがハンサンの前に辿り着き、歪んだ刃を振るう。だがその一撃は飛び出した無数の腕の壁によって防がれた。止まったかに見えたヌロゥだったが、刃を空気で押し込み、無理やりにハンサンの身体を斬りつけた。
血が噴き出る。
そう思われたが、違った。
血は出たのだが、僅かだった。代わりに切り口から飛び出たのはまたしても、うねる手だった。上下に分かれて皮を掴んで、そのまま引っ張ると傷を塞いだ。指が皮を突き破り、縫い付けるようにしっかりと。
「フュレイ様のため、私は二度と死ぬことはないのですよ!」
「知ったことか。俺の邪魔をするならば、殺す。それだけだ」
ヌロゥが再び剣を振るう。そんな彼を包み込むように、ハンサンの背から出る腕が回り込んだ。その影響か、セラとユフォンの方へ向かってくる腕の本数が急に減った。
「セラ、離れよう。肩も痛むだろう? 治療はできないけど、応急処置はしなきゃ」
「うん」
頷き、セラはハンサンの手を払いのけながらユフォンと共に迷宮を奥へと進んでいった。
「薬も効能がなくなってるかもしれない」
壁を背に座り、水で洗った傷口にユフォンに傷薬を塗り込んでもらいながらセラは呟いた。薬を塗り終えると、ユフォンに指示をしながら、傷口をしっかりと押さえるように包帯を巻いてもらった。
動きを確かめると、痛む。普段の戦いなら支障は出ないだろう。しかし現状ではどうだろう。
多くの力が封じられている。相手にしている敵も一筋縄ではいかない者ばかりだ。
「僕がもっとなにかできれば……」
ユフォンが歯痒そうに言って床に目を落とした。
「僕だけがここに集まった人の中でなにも力がない。他は二人なのに、セラは一人で戦ってる」
セラはユフォンの手を取った。その指にある、今は色を失った碧の宝石がはめられた指輪を撫でた。
「二人だよ。わたしたちもちゃんと。戦うだけが戦いじゃないんだから。さっきも励ましてくれたし、ユフォンがいるだけで、わたしはわたしでいられる」
「わたしはわたしでいられる……」
セラの言葉が反芻された。ユフォンではなく、第三者に。
「自分が自分だってことの証明はどうやってするんだ」
セラとユフォンの前に覗き込むようにしゃがみ込んだ男。
「ズーデル!」
セラとユフォンは声を合わせて彼の名を呼んだ。しかし当の本人が首を傾げた。
「それは、俺の名前か?」
「?」
セラはユフォンと顔を見合わせて訝しんだ。
「違うのか?」ズーデルは立ち上がり、色を失った空を見上げた。「誰なんだ……俺は」
ユフォンが恐る恐る尋ねる。「覚えていないのかい?」
「なにも」ぽつりと言うズーデル。「何者でもない俺には、なにもないんだ」
セラとユフォンが立ち上がると、ズーデルが視線を向けてくる。
「君たちは何者?…………俺に、俺が俺である意味を教えてくれるのか? 君たちがいれば、俺は俺になれるのか?」
たどたどしく青雲のマントの中に手を入れるズーデル。まさぐると、止まって、またまさぐった。その手がマントから露わになると、剣を握っていた。
その剣を不思議そうに見つめたかと思うと、急にユフォンに向かって振るった。
セラが咄嗟に彼の身体を押し飛ばし、ズーデルの剣は壁に傷を刻む。そしてすぐさま彼は剣を横に振るい、セラを狙った。
セラは左手でズーデルの腕を掴んで止める。痛みに顔が歪んだが、空いた右手でフォルセスを抜く。左手を上げ、ズーデルの脇に隙を生み出すと、フォルセスを振り上げる。だが今度はセラの腕がズーデルの手に抑えられ、阻まれた。
ズーデルはそこから跳ね上がり、壁を蹴ると、セラと共に地面に倒れ込む。すぐさま立ち上がると、セラを踏みつけようと足を振り上げた。
その足が落ちてくるより早く、ズーデルの身体はセラの視界から消えた。
ユフォンだ。
ユフォンが体当たりをし、ズーデルを押し倒したのだ。しかしそれも束の間、簡単に蹴り剥がされ、ユフォンは背中を壁に打ち付けた。
「っかぁ」
「ユフォン!」
立ち上がり駆け出すセラ。同じく立ち上がったズーデルと刃を交える。そうしながら、ユフォンに心配の眼差しを向ける。
「大丈夫。これくらいなんともないよ」
ははっと笑うユフォン。痛そうにしているが、問題はなさそうだった。
「やっぱり僕も、少しは戦わないとだろ?」
「無理しないでよ」
「俺のことを忘れるな!」
急に怒号を上げると、ズーデルは一度フォルセスから剣を離してから、叩きつけるようにもう一度振り下ろした。
その振動が、セラの左肩に響いた。
コメント