碧き舞い花Ⅱ
271:Before Zero Point 6
「まさか『彼』までいなくなるなんてな」
「うん……そうだね」
フェルは俯いたまま首肯した。
二人は民が新たな道を歩み出したことを報告するために『彼』を訪ねた。しかし『彼』に会うことはできなかった。『彼』の存在が消えていたのだ。
「もしかして、俺たちがしたことに怒ったのかな……」
「……」
~〇~〇~〇~
『彼』は超凡な存在だ。
三権によって力を与えられたフェルたちでも、到底その域に踏み入ることはできない存在。それなのに『彼』は三権を造り、そこからフェルたちを生み出しただけで、権力者になることはなかった。
ひっそりとフェルたちの暮らしぶりを眺めている。それで充分だと『彼』は言う。それで落ち着くのだと。
『彼』には古い記憶がないらしい。
自らが『人』であったことすら、三権を生み出すほんのちょっと前に知り、思い出したと。それが三権を造り出し、フェルたちを生み出すきっかけになったのだ。
フェルは真っ白な空間にいた。
この空間が『彼』だ。ここを通して、フェルたちを見ている。
フェルは自分の輝きと同じ色のこの空間が大好きだった。『彼』と同じ白だということを恐れ多くも誇らしく思っていた。
『フェル。君はこの世界の外に出たことはないんだよね』
ヴェィルのことを相談すると、『彼』の声が空間からフェルの耳に入り込む。
「はい」
『世界というものが、時の樹の蔦だということは知っているよね』
「はい」
『じゃあ、その蔦や時の樹そのものを囲む空の部分……空はどうなっていると思う?』
「質問なさるということは、この世界の空とは違うってことですよね。うーん……そんな話、外に出たことのある人からも聞いたことないなぁ……」
『あまりに一瞬しか見えないから、気にしてないんだろうね。いいかい、答えはね。白くて黒い、黒くて白いだ」
「……白なのに黒くて、黒なのに白いってことですか? そんな色、あるんですか?」
『機会があったら見るといい。言葉ではどうしても伝わることに限度があるから』
「わかりました……けどわかりません。これはいったいどういう話ですか? 最初は外の世界に関係したことかと思っていました。けど、違いますよね?」
『そう。外の世界で生きていく云々も、世界を造る云々も、それらを認める認めない云々の話も、僕にしてみればどっちでもいいんだ。三権でここ以外の世界を造ったのも、ずっと同じ場所にいるのも退屈だろうと思ったからだし、想造の力は自由に使っていいものだしね』
「じゃあ――」
『けど、問題は世界を造ることを、本当に君たちの中の誰かが思い付いたのかどうか。そこにあるんだ』
「わたしたちの中の誰かじゃなかったら、それはあなたしかいないんじゃ……」
フェルは困惑するばかりだ。話の要領が全くつかめない。想像をはるかに超えた次元の話なのかもしれなかった。
『ここで空の話と繋がる。昼と夜。陰と陽。影と光。黒と白。何事にも、そういった相反するものが存在する。対立し混ざりあうことで均衡を保っているんだ』
フェルは引っ掛かった言葉を呟いた。「黒と白」
不安げに眉を顰める彼女に、『彼』はすかさず言う。
『誤解しないでね、フェル。ヴェィルに黒、フェルに白。それは僕が決めたことだから。つまり、僕が言いたいことはわかるかい?』
「……あなたが白なら、均衡を保つために黒がある」
『惜しい。均衡だけじゃないよね、僕が言ったのは』
「対立、ですか? でも、最後には均衡を保つんですよね?」
『自然界はそうなんだけどね。意思……想いが絡んでくるとそう単純にはいかないんだよ、フェル。僕に意思があるように、黒の存在にも意思があるんだ。……あいつにもね』
「あいつ?……あの、もしかして昔のことを?」
『うん……今思い出してる。今までまったく思い出せなかったのに不思議だね。……ああ、そうか。僕は負けたんだな……死んだのか……』
不意にフェルのことを忘れたように、『彼』は独り言を続ける。
『それでも存在してる僕を、あいつは追ってきてた……。死の樹を経由してるから、あいつも弱ってる……。弱ってるけど、動き出してる。なにがなんでも幻想の種の力を、全部自分のものにするため……。もう、手遅れか……? いや、彼が僕に到達したんだ、未来はある。なら託すべきか……なんせ僕は勝てなかったんだから。でも託すのは種の力じゃない……僕とあいつとは別の力が必要だ……。種を成長させて、花を咲かすことのできる人……そんな人に託そう……。にして、そもそもどう託す?……いや方法はあるな……三権の中で待てばいい……。大樹の象徴となるべき人だ、運命が導くだろう……。きっと永い戦いになるな……。でも、それでいい。僕にはそれくらいしか、もうできることがないから……』
そこで『彼』の独り言は止まった。だが『彼』はまだフェルの存在を忘れているようで、なにも発しなかった。
フェルはたまらず声をかけた。「あの……?」
『ああっ、フェル。そうだ、いたんだよね。ごめん、すっかり忘れてしまって』
「いえ、あなたの記憶が戻ったのなら、幸いです」
『今の僕の独り言、聞いてたよね?』
「はい……ごめんなさい。でも、その、よくわからなかったです」
『そうだろうね。とても大きすぎて、理解なんてできないんだ。君にも、僕にもね』
「え? でも、あなたの過去なんじゃ……?」
『僕らは一部でしかないんだよ、フェル。壮大ななにかのね』
フェルは困惑しつつも頷いて見せる。「はぁ……」
『本当に誰かが世界を造ることを思い付いたならそれでいいんだ。けど黒が動いているかもしれないなら、白の僕も動かないといけない。僕はここを離れることになるけど――』
「離れる!?」
『うん、離れる』
「え、どういう……なん? え?」
『そういうことだから、フェル、想いのままにね』
「え、ちょ――」
突然に白い空間は消え去った。
「――行ってらっしゃい?」
戸惑いのまま、フェルはそう零した。
~〇~〇~〇~
一週間前のこの出来事を、フェルはヴェィルには話さなかった。どうしてか、話さない方がいいと思った。予見を視たわけでもないのに。
――想いのままにね。
「どうしたフェル。やっぱり最近おかしいぞ、お前。元気がない。まだ怒ってるのか、俺が勝手に決めたこと」
「怒ってないよ、兄さん。みんなも賛成してくれて決まったことだし、それにわたしは兄さんを信じるって言ったでしょ」
「じゃあどうしたっていうんだ」
「うーん、強いて言えば『彼』もそうだけど、友達と離れることになっちゃったことが、寂しいからかな……」
不意に隣を歩くヴェィルがフェルの肩を抱き寄せた。
「俺もだ。けど、みんながみんな出て行っちゃうわけじゃない。それに帰ってくる人だっているだろうし」
「うん、そうだね」
肩を抱く兄の手にそっと自分の手を重ねるフェル。なにをとは言えない祈りも一緒に重ねた。
ずっと消えない。膨れるばかりの不安。
それを少しでも拭いたかった。
『彼』の心配が杞憂に終わってほしい。
ただ一言、「ただいま」が聞きたい。
「うん……そうだね」
フェルは俯いたまま首肯した。
二人は民が新たな道を歩み出したことを報告するために『彼』を訪ねた。しかし『彼』に会うことはできなかった。『彼』の存在が消えていたのだ。
「もしかして、俺たちがしたことに怒ったのかな……」
「……」
~〇~〇~〇~
『彼』は超凡な存在だ。
三権によって力を与えられたフェルたちでも、到底その域に踏み入ることはできない存在。それなのに『彼』は三権を造り、そこからフェルたちを生み出しただけで、権力者になることはなかった。
ひっそりとフェルたちの暮らしぶりを眺めている。それで充分だと『彼』は言う。それで落ち着くのだと。
『彼』には古い記憶がないらしい。
自らが『人』であったことすら、三権を生み出すほんのちょっと前に知り、思い出したと。それが三権を造り出し、フェルたちを生み出すきっかけになったのだ。
フェルは真っ白な空間にいた。
この空間が『彼』だ。ここを通して、フェルたちを見ている。
フェルは自分の輝きと同じ色のこの空間が大好きだった。『彼』と同じ白だということを恐れ多くも誇らしく思っていた。
『フェル。君はこの世界の外に出たことはないんだよね』
ヴェィルのことを相談すると、『彼』の声が空間からフェルの耳に入り込む。
「はい」
『世界というものが、時の樹の蔦だということは知っているよね』
「はい」
『じゃあ、その蔦や時の樹そのものを囲む空の部分……空はどうなっていると思う?』
「質問なさるということは、この世界の空とは違うってことですよね。うーん……そんな話、外に出たことのある人からも聞いたことないなぁ……」
『あまりに一瞬しか見えないから、気にしてないんだろうね。いいかい、答えはね。白くて黒い、黒くて白いだ」
「……白なのに黒くて、黒なのに白いってことですか? そんな色、あるんですか?」
『機会があったら見るといい。言葉ではどうしても伝わることに限度があるから』
「わかりました……けどわかりません。これはいったいどういう話ですか? 最初は外の世界に関係したことかと思っていました。けど、違いますよね?」
『そう。外の世界で生きていく云々も、世界を造る云々も、それらを認める認めない云々の話も、僕にしてみればどっちでもいいんだ。三権でここ以外の世界を造ったのも、ずっと同じ場所にいるのも退屈だろうと思ったからだし、想造の力は自由に使っていいものだしね』
「じゃあ――」
『けど、問題は世界を造ることを、本当に君たちの中の誰かが思い付いたのかどうか。そこにあるんだ』
「わたしたちの中の誰かじゃなかったら、それはあなたしかいないんじゃ……」
フェルは困惑するばかりだ。話の要領が全くつかめない。想像をはるかに超えた次元の話なのかもしれなかった。
『ここで空の話と繋がる。昼と夜。陰と陽。影と光。黒と白。何事にも、そういった相反するものが存在する。対立し混ざりあうことで均衡を保っているんだ』
フェルは引っ掛かった言葉を呟いた。「黒と白」
不安げに眉を顰める彼女に、『彼』はすかさず言う。
『誤解しないでね、フェル。ヴェィルに黒、フェルに白。それは僕が決めたことだから。つまり、僕が言いたいことはわかるかい?』
「……あなたが白なら、均衡を保つために黒がある」
『惜しい。均衡だけじゃないよね、僕が言ったのは』
「対立、ですか? でも、最後には均衡を保つんですよね?」
『自然界はそうなんだけどね。意思……想いが絡んでくるとそう単純にはいかないんだよ、フェル。僕に意思があるように、黒の存在にも意思があるんだ。……あいつにもね』
「あいつ?……あの、もしかして昔のことを?」
『うん……今思い出してる。今までまったく思い出せなかったのに不思議だね。……ああ、そうか。僕は負けたんだな……死んだのか……』
不意にフェルのことを忘れたように、『彼』は独り言を続ける。
『それでも存在してる僕を、あいつは追ってきてた……。死の樹を経由してるから、あいつも弱ってる……。弱ってるけど、動き出してる。なにがなんでも幻想の種の力を、全部自分のものにするため……。もう、手遅れか……? いや、彼が僕に到達したんだ、未来はある。なら託すべきか……なんせ僕は勝てなかったんだから。でも託すのは種の力じゃない……僕とあいつとは別の力が必要だ……。種を成長させて、花を咲かすことのできる人……そんな人に託そう……。にして、そもそもどう託す?……いや方法はあるな……三権の中で待てばいい……。大樹の象徴となるべき人だ、運命が導くだろう……。きっと永い戦いになるな……。でも、それでいい。僕にはそれくらいしか、もうできることがないから……』
そこで『彼』の独り言は止まった。だが『彼』はまだフェルの存在を忘れているようで、なにも発しなかった。
フェルはたまらず声をかけた。「あの……?」
『ああっ、フェル。そうだ、いたんだよね。ごめん、すっかり忘れてしまって』
「いえ、あなたの記憶が戻ったのなら、幸いです」
『今の僕の独り言、聞いてたよね?』
「はい……ごめんなさい。でも、その、よくわからなかったです」
『そうだろうね。とても大きすぎて、理解なんてできないんだ。君にも、僕にもね』
「え? でも、あなたの過去なんじゃ……?」
『僕らは一部でしかないんだよ、フェル。壮大ななにかのね』
フェルは困惑しつつも頷いて見せる。「はぁ……」
『本当に誰かが世界を造ることを思い付いたならそれでいいんだ。けど黒が動いているかもしれないなら、白の僕も動かないといけない。僕はここを離れることになるけど――』
「離れる!?」
『うん、離れる』
「え、どういう……なん? え?」
『そういうことだから、フェル、想いのままにね』
「え、ちょ――」
突然に白い空間は消え去った。
「――行ってらっしゃい?」
戸惑いのまま、フェルはそう零した。
~〇~〇~〇~
一週間前のこの出来事を、フェルはヴェィルには話さなかった。どうしてか、話さない方がいいと思った。予見を視たわけでもないのに。
――想いのままにね。
「どうしたフェル。やっぱり最近おかしいぞ、お前。元気がない。まだ怒ってるのか、俺が勝手に決めたこと」
「怒ってないよ、兄さん。みんなも賛成してくれて決まったことだし、それにわたしは兄さんを信じるって言ったでしょ」
「じゃあどうしたっていうんだ」
「うーん、強いて言えば『彼』もそうだけど、友達と離れることになっちゃったことが、寂しいからかな……」
不意に隣を歩くヴェィルがフェルの肩を抱き寄せた。
「俺もだ。けど、みんながみんな出て行っちゃうわけじゃない。それに帰ってくる人だっているだろうし」
「うん、そうだね」
肩を抱く兄の手にそっと自分の手を重ねるフェル。なにをとは言えない祈りも一緒に重ねた。
ずっと消えない。膨れるばかりの不安。
それを少しでも拭いたかった。
『彼』の心配が杞憂に終わってほしい。
ただ一言、「ただいま」が聞きたい。
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