碧き舞い花Ⅱ
262:ユフォン、語る
「あの日。ええと、サパルさんに『名無しの鍵』の話を聞いた日、セラが僕の手紙を燃やした時、鍵は僕の中に宿ったんだ。最初は当然気づかなかった。けどある日、僕は物語を書いてたんだけど、不意に自分が知らない光景が浮かんできたんだ。いいや、その場に行って見てたんだ。ヴェィルがいてフェルさんがいて……かと思ったらまた別の場所、それを何度か繰り返して、頭がぐちゃぐちゃになって、僕は書きかけの物語の前に戻ってた。戸惑ったし、怖かったよ。けど、少しずつ冷静になりながら、体験したことを思い返してみたんだ。そして気付いた。過去の出来事をその場で見てきたんだって。それから、その理由を考えてみた。マカの線も思ったけど、僕にはそんな才能はないし、フェズであっても時軸の流れを遡るマカなんて使えない。時の遡行は誰にもできないものだから。だから前提から覆すものが理由だと思った。そういったものを僕はその時直近で知ったばかりだったから、すぐにそこに思い至ったよ。これは『名無しの鍵』の力だって。そこに考えが至ってからは、実験だった。どうして鍵の力が発動したのか。自由に使えるものなのか。身体への影響はないのか。そうこうしているうちに、行きついたのが幽体での時遡行だった。鍵の使い方もわかって、幽体だと長時間、それも自由に行き来できたんだ。生身だと乱調で、戻ってくると頭がガンガン痛んだ」
「あまり褒められたことじゃないね、ユフォンくん」サパルが息を吐きながら言った。「どうして俺に報せてくれんかったんだ」
「すみません、サパルさん。でも言い訳になってしまうかもしれませんが、僕は過去を知ることでヴェィルの弱点なんかがわかるんじゃないかって思ったんです。……もちろん、物語に深みを与えるためにいろいろ知りたいという好奇心がなかったかと言えば、嘘になりますけど」
「で、わかったのか、あいつの弱点」フェズがスーッと浮かびながらユフォンを覗き込む。「まあ俺がいれば勝てるけど」
「弱点って言うのかはちょっと難しいところだけど、勝ち目はあると思う。……あとフェズ、君は装置がなきゃ思念体を保てないし、魔素も使えないだろ」
「魔素が使えれば勝てんだよ、絶対」
むくれる天才を余所に、セラは筆師に問う。「その勝ち目ってなんなの?」
「そうだね。ヴェィルたちの昔話はあとですることにして、今はそれだ」
ユフォンは言うと、卓の対面にいたケルバに目を向けた。
「ケルバ、君の方が詳しく話せるんじゃないかな。ただ見てた僕と違って」
「……そうだね」ケルバは少し考えてから、頷いた。「じゃあここからは俺が。あいつらがこれからしそうなことがわかるのも俺くらいだろうし」
「待ってくださる」
話し出そうとするケルバを止めたのはネルだった。ごめんあそばせとケルバに謝罪の言葉を述べながら、ユフォンに真っすぐとサファイアを向ける。
「ユフォン、異空にとって重要な話の腰を折ってでも、今謝るべきですわ、わたしたち」
それからネルフォーネは親友のサファイアを真摯に見つめた。
「セラ、嘘吐きましたわ、わたし。ユフォンがどこに行ったのか、知らないと」
セラは優しく微笑みを返す。「うん、知ってる」
「え?」
「ごめんよ、ネル」
ユフォンはセラにでなくネルに謝った。セラに向けられた困惑の顔をネルは彼に向けた。
「実はセラは君と別れた後もここに残って、僕らの話を聞いていたんだ。だから僕が無事だってことは知ってたってことになる」
「そう、でしたの…‥? いえ、そうだとしても、それまでは心配させていたのですよ? あなた、戻ってきてから謝ったのかしら? どたばたに乗じて、なかったことにするのはさすがに酷いことですわよ?」
「そうです!」声を上げたのはヒュエリだ。「わたしもフェルさんにユフォンくんは無事だと聞くまで、ずっと心配で、なにも手が着かなくて……うぅ、っぐすん……」
当時のことを思い出したのか、ヒュエリは涙ぐんで鼻を啜った。
「あぁ……ははっ」ユフォンは苦笑してから、深々と頭を下げた。「ごめんさない、ヒュエリさん。セラも。この際だから、みんなの元を離れることになった経緯も話すよ」
筆師は頭を上げると、師と愛する人を見つめた。それから一度短く息を吐き、続ける。
「僕は過去を体験している最中、未来が気になったんだ。それで、試そうとしたんだけど、時軸の先端より先に行くことはできなかったんだ。過去への遡行……つまりそれは時軸の上を移動するってことなんだけど、それができないっていう概念を閉じて僕は移動してた。けど、時軸が伸びる先、到達していない未来という時には移動ではいけないんだって知ったよ」
「そうなれば」壁に寄りかかったエァンダが少々急かすように言う。「お前はその概念を閉じる方向に考え至った、違うか?」
「うん。ただ、実行しても、なにもなかったんだ。『未来』っていうものはなかったんだ。それはもちろん絶望的だって意味じゃない。本当になにもなかった。真っ暗とか真っ白とかそういう表現もできないんだけど、とにかくなにもなかった。そうして現代の肉体に幽体を戻したら、目の前にフェルさんがいたんだ。そして教えてくれたよ、『未来』は決まった形を持たないもので、その時が来るまで誰にも体験することはできないんだって。その概念を閉じて僕だけが先に進んでも、結局は時軸がまだその時を迎えていないから、なにもない」
「でもフェルさんやセラには予見の力がある」サパルが首を傾げた。「その時に視るのはなんなんだ? 予見とは一体?」
「もちろん『未来』ですよ、サパルさん。僕も気になって聞いたんだけど、予見で視るのは決まった形を持たない『未来』にごく僅かだけ存在する決定事項。時軸にとっての道しるべらしいんだ。フェルさんくらいに未来が視えると、色々明確に視えるらしいんだけど、例えばセラ、君は悪夢の中で未来を視ていただろ? ズィーの死を。君を庇って命を落とすことは決まっていた。夢での光景と現実で起きた光景は違っただろうけど、結果は同じだった。例えが最悪でごめんよ、でもそういうことらしいんだ」
セラは小さく首を横に振る。「大丈夫」
「それで話を戻すと、僕が『未来』を体験しようとしたことがフェルさんの予見に影響を与えてしまったらしいんだ。僕は時軸にとって異質な存在になってしまったらしくて、それで僕がいる予見が壊れた。そこでフェルさんは僕に、新しくできた決定事項を見せたんだ。異質な存在である僕に予見を共有させて、予見者側にすることで時軸を騙すことができる。それがフェルさんの考えだった。そのうえさらに慎重に慎重を重ねて、時軸から隔離された空間に入ることになった。これが僕がみんなの前から姿を消した理由」
そこで言葉を切ったユフォンは一瞬息を詰まらせた。
「……でも、僕は安心しきっていた。フェルさんが言うんだから大丈夫だって高を括ってた。でも、きっと今の状況を招いたのは僕のせいだ。僕が見せてもらった未来では、フェルさんもゼィロスさんも……こんな未来じゃ、なかったのにっ……」
強く拳を握るユフォン。セラは彼の隣に移動して、その手をそっと取った。
「ユフォンのせいじゃないよ。ヴェィルがわたしたちの想像以上だっただけ。フェル叔母さんの想像以上だっただけ」
「違う、僕が――」
「ううん、フェル叔母さんは予見の上の力を使ってた。ただ見るだけじゃない造る力、未来想造の力を。ヴェィルがそれに気づいて想造を絶する力でそれを破った。だから、フェル叔母さんが描いた未来にならなかった」
「そんな、いいよセラ、慰めるために嘘なんて……」
「嘘じゃないですよ、ユフォンくん」ヒュエリだ。「わたしもヴェィルが話しているのを聞きましたから……」
「自分を責めないで。自分だけで、背負わないで。わたしの隣にユフォンがいるように、ユフォンの隣にはわたしがいるんだから」
優しいサファイアを見つめ返し、ユフォンは悲しげに笑う。
「ははっ……」
その弱く、湿った笑い声が食堂に浸み渡った。
「あまり褒められたことじゃないね、ユフォンくん」サパルが息を吐きながら言った。「どうして俺に報せてくれんかったんだ」
「すみません、サパルさん。でも言い訳になってしまうかもしれませんが、僕は過去を知ることでヴェィルの弱点なんかがわかるんじゃないかって思ったんです。……もちろん、物語に深みを与えるためにいろいろ知りたいという好奇心がなかったかと言えば、嘘になりますけど」
「で、わかったのか、あいつの弱点」フェズがスーッと浮かびながらユフォンを覗き込む。「まあ俺がいれば勝てるけど」
「弱点って言うのかはちょっと難しいところだけど、勝ち目はあると思う。……あとフェズ、君は装置がなきゃ思念体を保てないし、魔素も使えないだろ」
「魔素が使えれば勝てんだよ、絶対」
むくれる天才を余所に、セラは筆師に問う。「その勝ち目ってなんなの?」
「そうだね。ヴェィルたちの昔話はあとですることにして、今はそれだ」
ユフォンは言うと、卓の対面にいたケルバに目を向けた。
「ケルバ、君の方が詳しく話せるんじゃないかな。ただ見てた僕と違って」
「……そうだね」ケルバは少し考えてから、頷いた。「じゃあここからは俺が。あいつらがこれからしそうなことがわかるのも俺くらいだろうし」
「待ってくださる」
話し出そうとするケルバを止めたのはネルだった。ごめんあそばせとケルバに謝罪の言葉を述べながら、ユフォンに真っすぐとサファイアを向ける。
「ユフォン、異空にとって重要な話の腰を折ってでも、今謝るべきですわ、わたしたち」
それからネルフォーネは親友のサファイアを真摯に見つめた。
「セラ、嘘吐きましたわ、わたし。ユフォンがどこに行ったのか、知らないと」
セラは優しく微笑みを返す。「うん、知ってる」
「え?」
「ごめんよ、ネル」
ユフォンはセラにでなくネルに謝った。セラに向けられた困惑の顔をネルは彼に向けた。
「実はセラは君と別れた後もここに残って、僕らの話を聞いていたんだ。だから僕が無事だってことは知ってたってことになる」
「そう、でしたの…‥? いえ、そうだとしても、それまでは心配させていたのですよ? あなた、戻ってきてから謝ったのかしら? どたばたに乗じて、なかったことにするのはさすがに酷いことですわよ?」
「そうです!」声を上げたのはヒュエリだ。「わたしもフェルさんにユフォンくんは無事だと聞くまで、ずっと心配で、なにも手が着かなくて……うぅ、っぐすん……」
当時のことを思い出したのか、ヒュエリは涙ぐんで鼻を啜った。
「あぁ……ははっ」ユフォンは苦笑してから、深々と頭を下げた。「ごめんさない、ヒュエリさん。セラも。この際だから、みんなの元を離れることになった経緯も話すよ」
筆師は頭を上げると、師と愛する人を見つめた。それから一度短く息を吐き、続ける。
「僕は過去を体験している最中、未来が気になったんだ。それで、試そうとしたんだけど、時軸の先端より先に行くことはできなかったんだ。過去への遡行……つまりそれは時軸の上を移動するってことなんだけど、それができないっていう概念を閉じて僕は移動してた。けど、時軸が伸びる先、到達していない未来という時には移動ではいけないんだって知ったよ」
「そうなれば」壁に寄りかかったエァンダが少々急かすように言う。「お前はその概念を閉じる方向に考え至った、違うか?」
「うん。ただ、実行しても、なにもなかったんだ。『未来』っていうものはなかったんだ。それはもちろん絶望的だって意味じゃない。本当になにもなかった。真っ暗とか真っ白とかそういう表現もできないんだけど、とにかくなにもなかった。そうして現代の肉体に幽体を戻したら、目の前にフェルさんがいたんだ。そして教えてくれたよ、『未来』は決まった形を持たないもので、その時が来るまで誰にも体験することはできないんだって。その概念を閉じて僕だけが先に進んでも、結局は時軸がまだその時を迎えていないから、なにもない」
「でもフェルさんやセラには予見の力がある」サパルが首を傾げた。「その時に視るのはなんなんだ? 予見とは一体?」
「もちろん『未来』ですよ、サパルさん。僕も気になって聞いたんだけど、予見で視るのは決まった形を持たない『未来』にごく僅かだけ存在する決定事項。時軸にとっての道しるべらしいんだ。フェルさんくらいに未来が視えると、色々明確に視えるらしいんだけど、例えばセラ、君は悪夢の中で未来を視ていただろ? ズィーの死を。君を庇って命を落とすことは決まっていた。夢での光景と現実で起きた光景は違っただろうけど、結果は同じだった。例えが最悪でごめんよ、でもそういうことらしいんだ」
セラは小さく首を横に振る。「大丈夫」
「それで話を戻すと、僕が『未来』を体験しようとしたことがフェルさんの予見に影響を与えてしまったらしいんだ。僕は時軸にとって異質な存在になってしまったらしくて、それで僕がいる予見が壊れた。そこでフェルさんは僕に、新しくできた決定事項を見せたんだ。異質な存在である僕に予見を共有させて、予見者側にすることで時軸を騙すことができる。それがフェルさんの考えだった。そのうえさらに慎重に慎重を重ねて、時軸から隔離された空間に入ることになった。これが僕がみんなの前から姿を消した理由」
そこで言葉を切ったユフォンは一瞬息を詰まらせた。
「……でも、僕は安心しきっていた。フェルさんが言うんだから大丈夫だって高を括ってた。でも、きっと今の状況を招いたのは僕のせいだ。僕が見せてもらった未来では、フェルさんもゼィロスさんも……こんな未来じゃ、なかったのにっ……」
強く拳を握るユフォン。セラは彼の隣に移動して、その手をそっと取った。
「ユフォンのせいじゃないよ。ヴェィルがわたしたちの想像以上だっただけ。フェル叔母さんの想像以上だっただけ」
「違う、僕が――」
「ううん、フェル叔母さんは予見の上の力を使ってた。ただ見るだけじゃない造る力、未来想造の力を。ヴェィルがそれに気づいて想造を絶する力でそれを破った。だから、フェル叔母さんが描いた未来にならなかった」
「そんな、いいよセラ、慰めるために嘘なんて……」
「嘘じゃないですよ、ユフォンくん」ヒュエリだ。「わたしもヴェィルが話しているのを聞きましたから……」
「自分を責めないで。自分だけで、背負わないで。わたしの隣にユフォンがいるように、ユフォンの隣にはわたしがいるんだから」
優しいサファイアを見つめ返し、ユフォンは悲しげに笑う。
「ははっ……」
その弱く、湿った笑い声が食堂に浸み渡った。
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