碧き舞い花Ⅱ
240:最年少の指揮者
〇~〇~〇~〇
「いままで思ってたんだけどさ、そもそもメルディン様が変人だよな?」
「わかる。あの人のあれ、なんだっけ変な指揮法。あれもさ、使えない指揮法だったてことだろ? 他の指揮者様、誰も使ってないし」
「あー、確かに。そもそも界音を指揮しないなんて指揮じゃなくね?」
「指揮者擬きってな」
その日、キノセは今までにない陰口を耳にした。
メルディンに対する誹謗中傷だ。
我慢ならなかった。自分のことなら別によかった。だから黙って聞き流していた。しかし、師のこととなれば頭に昇った血を鎮めることはできない。
「お前ら!」
キノセは自席から立ち上がると、陰口を宣っていた二人の机へ詰め寄った。
「あ?」
「なに?」
「聞こえてないとでも思ってたか?」
二人はキノセの言葉に視線を合わせて肩を竦めた。
「は?」
「なんのこと?」
薄ら笑いを浮かべる二人。キセノはそれに対して、鼻で笑った。
「そっか。そうだよな、お前らみたいな凡人の耳じゃ、聞こえない範疇なんだろうな。悪かったよ、俺の感覚で話し進めてさ」
「はぁ? なにお前」
「調子乗ってんじゃねーぞ」
「調子? 乗れなきゃ指揮者なんて務まんないだろ」
「そういうのを言ってんだよ!」
一人がキノセの胸元を掴んできた。
「お前、指揮者の家で暮らしてるからっていい気になってんじゃねーぞ。だいたい、メルディン様なんて指揮者の中じゃ下の下……なんで指揮者わかんねーくらいだよ!」
「……それはさすがに」
啖呵を切った相方に、もう一人はさすがに言い過ぎだと思ったのだろう。苦い顔をして周囲を見回した。キノセも周囲の目には気づいた。みんながみんな、関わらないようにしながら観察している。
どうでもいい。
キノセはとにかくメルディンへの言葉が許せなかった。胸元を掴む同窓の手首を強く握った。
「いっ……」
「メルディン様がどうして指揮者かわからないって?」
「ってーな。離せっ」
「それはお前に才能がないからだろ。メルディン様はミュズア一の指揮者だ」
「っざっけな。指揮できなくなんだろ」
「できなくてもいいだろ、お前なんか」
言いながら、キノセは同窓を突き放す。机を動かしながら後退った彼が、キノセを睨んだ。そして拳を握ると、キノセに殴りかかってきた。
咄嗟にキノセは手を振るった。火の界音を指揮した。
ぼわっと大きな火炎が二人の間に盛った。
「うわぁあっ」
同窓は慌てて飛び退いた。服に火が燃え移り、悲鳴を上げてはたき消していく。悲鳴を上げたのは彼だけでなく、周囲の人間もそうだった。そして悲鳴こそ上げはしないが、キノセも自分がしたことの過ちに気付いた。
炎はすぐには消えず、机や壁、天井を焼きはじめていた。
動揺の中、キノセはすぐに行動を起こした。水の界音での消火活動だ。
しかし、動揺はあまりにも大きく、火を消せるほどの水を出すことができなかった。部屋から逃げ出していく同窓たち。広がる火の手。キノセはそれでも水を出し続けた。
ついに火の手に囲まれたキノセ。悔しさと怒りが込み上げてきた。そして情けなさも。
火炎によって乾燥した空気。そこにはもうキノセが指揮できる水分はないに等しかった。
自分で起こしたことの始末もできない。それも、このことによってメルディンの顔に泥を塗ることになる。
「俺はなにをっ――」
熱せられた空気を吸い込み、その苦しさにキノセは膝をついて伏した。酸素が減ってきたのか、意識が薄れてきた。途端、脳裏に浮かぶ景色があった。
火事だ。
今、目の前にしているものとは違う火事。キノセは天井を見上げ、赤ん坊の泣き声を聴いていた。その泣き声は自分のものだと彼は知っていた。
これはキノセの両親が命を落とした事故。キセノだけが助かった事故の記憶。
彼は生まれて間もないころの記憶を覚えていた。
指揮者を目指すきっかけは、実のところここにあったのかもしれない。
親を殺してしまった自分を制御するため。
知識をつけていくことで、自分がやったことの正体を知った。だから指揮者にならなければいけなかった。地位や名声は二の次だった。本当は、自分の無意識で誰かの命を奪ってしまうことに、恐怖していたのだ。誰ともつるまないかったのも、きっと恐れからだ。
ああ、いっそのことここで終わろうか。本当はあの時死ぬはずだったのだから。
キノセは涙を床に落とした。
と、その時、燃え盛る炎の音の外に、人の声をキノセは聞いた。
学園の教育者たちの声だ。
「水を持ってこい! それを界音で増幅させるんだ!」
その声を聞いて、キノセは急に冷静になった。空気中の水分も使えないのかと、教育者たちを心の底から見下した。そもそもキノセが空気中の水分を界音で操ることができたのは、指揮棒を使った訓練の時にメルディンから教わったからだ。つまりはやはり、間違いなく、メルディンの実力は貶められるものではないのだ。そしてその師から教わっている身として、あんな情けない奴らに助けられることになるなど、それこそ師の不名誉に繋がる。それはキノセにとって癪に障ることだった。
血の繋がりもない、見ず知らずの子どもに真剣に向き合ってくれた。自分の制御すらも二の次にするほど、彼にとってメルディンの存在は大きいのだ。
キノセは乾いていく床の涙を睨んだ。そしてすくっと身体を上げると、床の涙の上で手を大きく振り上げた。
大噴水。
操られた界音によって莫大に膨れ上がった水は、そのまま部屋中を渦巻く大洪水となって、扉や窓から飛び出していった。火の気配など、全く残らなかった。
ずぶ濡れのキノセは、同じくずぶ濡れになった部屋の扉の向こうの教育者や同窓たちに、五線の瞳を強く差し向けた。
「メルディン・ヲーファは偉大な指揮者だ!」
それから数日、キノセは十二歳にして指揮者になった。これはミュズア史上最年少の記録だ。
キノセはその才能により大衆の心を掴み、若くして人気の指揮者の仲間入りするが、旋律協会はキノセと師であるメルディンをよく思っていなかった。
キノセに指揮者の資格が与えられてから三年後。キノセが心色指揮法の訓練をはじめて間もない頃、メルディンのもとに旋律協会からの遣いが来て、辞令が出された。
こうしてメルディンは『界音の指揮者』として賢者に認定され、弟子であるキノセを連れ、ミュズアの代表として『賢者評議会』に参加することになった。
~〇~〇~〇~
「いままで思ってたんだけどさ、そもそもメルディン様が変人だよな?」
「わかる。あの人のあれ、なんだっけ変な指揮法。あれもさ、使えない指揮法だったてことだろ? 他の指揮者様、誰も使ってないし」
「あー、確かに。そもそも界音を指揮しないなんて指揮じゃなくね?」
「指揮者擬きってな」
その日、キノセは今までにない陰口を耳にした。
メルディンに対する誹謗中傷だ。
我慢ならなかった。自分のことなら別によかった。だから黙って聞き流していた。しかし、師のこととなれば頭に昇った血を鎮めることはできない。
「お前ら!」
キノセは自席から立ち上がると、陰口を宣っていた二人の机へ詰め寄った。
「あ?」
「なに?」
「聞こえてないとでも思ってたか?」
二人はキノセの言葉に視線を合わせて肩を竦めた。
「は?」
「なんのこと?」
薄ら笑いを浮かべる二人。キセノはそれに対して、鼻で笑った。
「そっか。そうだよな、お前らみたいな凡人の耳じゃ、聞こえない範疇なんだろうな。悪かったよ、俺の感覚で話し進めてさ」
「はぁ? なにお前」
「調子乗ってんじゃねーぞ」
「調子? 乗れなきゃ指揮者なんて務まんないだろ」
「そういうのを言ってんだよ!」
一人がキノセの胸元を掴んできた。
「お前、指揮者の家で暮らしてるからっていい気になってんじゃねーぞ。だいたい、メルディン様なんて指揮者の中じゃ下の下……なんで指揮者わかんねーくらいだよ!」
「……それはさすがに」
啖呵を切った相方に、もう一人はさすがに言い過ぎだと思ったのだろう。苦い顔をして周囲を見回した。キノセも周囲の目には気づいた。みんながみんな、関わらないようにしながら観察している。
どうでもいい。
キノセはとにかくメルディンへの言葉が許せなかった。胸元を掴む同窓の手首を強く握った。
「いっ……」
「メルディン様がどうして指揮者かわからないって?」
「ってーな。離せっ」
「それはお前に才能がないからだろ。メルディン様はミュズア一の指揮者だ」
「っざっけな。指揮できなくなんだろ」
「できなくてもいいだろ、お前なんか」
言いながら、キノセは同窓を突き放す。机を動かしながら後退った彼が、キノセを睨んだ。そして拳を握ると、キノセに殴りかかってきた。
咄嗟にキノセは手を振るった。火の界音を指揮した。
ぼわっと大きな火炎が二人の間に盛った。
「うわぁあっ」
同窓は慌てて飛び退いた。服に火が燃え移り、悲鳴を上げてはたき消していく。悲鳴を上げたのは彼だけでなく、周囲の人間もそうだった。そして悲鳴こそ上げはしないが、キノセも自分がしたことの過ちに気付いた。
炎はすぐには消えず、机や壁、天井を焼きはじめていた。
動揺の中、キノセはすぐに行動を起こした。水の界音での消火活動だ。
しかし、動揺はあまりにも大きく、火を消せるほどの水を出すことができなかった。部屋から逃げ出していく同窓たち。広がる火の手。キノセはそれでも水を出し続けた。
ついに火の手に囲まれたキノセ。悔しさと怒りが込み上げてきた。そして情けなさも。
火炎によって乾燥した空気。そこにはもうキノセが指揮できる水分はないに等しかった。
自分で起こしたことの始末もできない。それも、このことによってメルディンの顔に泥を塗ることになる。
「俺はなにをっ――」
熱せられた空気を吸い込み、その苦しさにキノセは膝をついて伏した。酸素が減ってきたのか、意識が薄れてきた。途端、脳裏に浮かぶ景色があった。
火事だ。
今、目の前にしているものとは違う火事。キノセは天井を見上げ、赤ん坊の泣き声を聴いていた。その泣き声は自分のものだと彼は知っていた。
これはキノセの両親が命を落とした事故。キセノだけが助かった事故の記憶。
彼は生まれて間もないころの記憶を覚えていた。
指揮者を目指すきっかけは、実のところここにあったのかもしれない。
親を殺してしまった自分を制御するため。
知識をつけていくことで、自分がやったことの正体を知った。だから指揮者にならなければいけなかった。地位や名声は二の次だった。本当は、自分の無意識で誰かの命を奪ってしまうことに、恐怖していたのだ。誰ともつるまないかったのも、きっと恐れからだ。
ああ、いっそのことここで終わろうか。本当はあの時死ぬはずだったのだから。
キノセは涙を床に落とした。
と、その時、燃え盛る炎の音の外に、人の声をキノセは聞いた。
学園の教育者たちの声だ。
「水を持ってこい! それを界音で増幅させるんだ!」
その声を聞いて、キノセは急に冷静になった。空気中の水分も使えないのかと、教育者たちを心の底から見下した。そもそもキノセが空気中の水分を界音で操ることができたのは、指揮棒を使った訓練の時にメルディンから教わったからだ。つまりはやはり、間違いなく、メルディンの実力は貶められるものではないのだ。そしてその師から教わっている身として、あんな情けない奴らに助けられることになるなど、それこそ師の不名誉に繋がる。それはキノセにとって癪に障ることだった。
血の繋がりもない、見ず知らずの子どもに真剣に向き合ってくれた。自分の制御すらも二の次にするほど、彼にとってメルディンの存在は大きいのだ。
キノセは乾いていく床の涙を睨んだ。そしてすくっと身体を上げると、床の涙の上で手を大きく振り上げた。
大噴水。
操られた界音によって莫大に膨れ上がった水は、そのまま部屋中を渦巻く大洪水となって、扉や窓から飛び出していった。火の気配など、全く残らなかった。
ずぶ濡れのキノセは、同じくずぶ濡れになった部屋の扉の向こうの教育者や同窓たちに、五線の瞳を強く差し向けた。
「メルディン・ヲーファは偉大な指揮者だ!」
それから数日、キノセは十二歳にして指揮者になった。これはミュズア史上最年少の記録だ。
キノセはその才能により大衆の心を掴み、若くして人気の指揮者の仲間入りするが、旋律協会はキノセと師であるメルディンをよく思っていなかった。
キノセに指揮者の資格が与えられてから三年後。キノセが心色指揮法の訓練をはじめて間もない頃、メルディンのもとに旋律協会からの遣いが来て、辞令が出された。
こうしてメルディンは『界音の指揮者』として賢者に認定され、弟子であるキノセを連れ、ミュズアの代表として『賢者評議会』に参加することになった。
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