碧き舞い花Ⅱ

御島いる

238:五線が映した記憶

 激痛の連続にキノセはもう悲鳴すら上げられないほど朦朧としていた。それでも、彼が悲鳴を上げていないにも関わらず激痛が続くのは、きっとィエドゥが鈴だけで成り立つように切り替えたのだろう。

 落ちた衝撃で転がった指揮棒は、手を伸ばしても届かない。

 キノセはいつしか、五線の瞳を閉じていた。そうして瞼に映るのは幼き日の記憶だった。





 ~〇~〇~〇~

 キノセ・ワルキューは、孤児だった。ワルキュー夫妻は彼が産まれるとすぐに、事故でその命を落とした。まだ己の力だけで生きることのできないキノセは孤児院で育つことになった。院長をはじめとした大人たちや、似たような境遇の子どもたちに囲まれて。

 ただキノセは生まれながらに誇り高い気質だった。それが災いしてか、幸いしてか、彼は物心つく頃には、境遇を甘んじて受け入れることなく、他の子どもたちと健やかに育つことをよしとしなかった。這い上がるために彼が選んだのが、ミュズアで最も気高き者である指揮者になることだった。

 孤児院には定期的に楽団が訪れ、演奏を披露していた。キノセはその時々の指揮者の動きをつぶさに観察し、界音を操る術を周囲に内緒で身に着けていった。

 そんなある日、また楽団の定期演奏会があった。その時の指揮者が当時、心色指揮法を開発し名を博していたメルディン・ヲーファその人だった。

 キノセは彼の指揮が、これまで見てきた他の指揮者たちと違うことに気が付いた。専門的なことはわからないが、確実に違った。演奏者が楽器により奏でる旋律が、メルディンが奏でる界音の音によって厚みや緻密さを増していた。心地よく鼓膜を揺らすだけではなく、身体、それから心まで響く。

 メルディンの指揮に感動し魅了されたその日から、キノセは野心的にその指揮をものにしようと特訓した。昼も夜も、孤児院を抜け出し独り『旋律の森』に入ると、ひたすらに手を振った。その特訓をはじめるころには、すでに界音を操ることはできていたキノセだったが、どれだけ思い描いてもメルディンの指揮に近づかない日々が続いた。試行錯誤を重ねに重ねたある日、彼は気づいた。

 自分には指揮棒がないのだと。

 これだけ練習してもできないのであれば、メルディンと自分の違いは指揮棒と手ということだ。キノセはそう考えた。だが指揮棒は高価で、指揮者の資格がない者はそもそも買うことすら許されない。キノセにはどれだけ手を振っても、手の届かないものだった。

 それから五ヶ月。その間も特訓を続けたキノセだったが、やはりメルディンの指揮には到底及ばない。

 だから彼は再びメルディンが孤児院に来たとき、直接指揮のやり方を教わろうと帰り際のメルディンを呼び止めた。今なら他の大人の指揮者たちより上手い自信が彼にはあった。その自信と実力を見せることで、子どもだとあしらわれることもないと自負していた。

「どうしたら、あなたのような指揮ができますか!」





 キノセの見立て通り、界音を指揮してみせるとメルディンはすぐさま彼を孤児院から引き取り、弟子にした。だが、彼がすぐに指揮棒を手にすることは許されなかった。それだけではなく、師は手での指揮も禁止したのだ。

 腑に落ちないキノセであったが、その理由をメルディンはしっかりと説明してくれた。

「指揮棒~がなくて~も、指揮はできま~す。もう知っています~ね」

 弟子となった当日。メルディンの邸宅のダイニングでの夕食の折だ。

 長テーブルの両端にそれぞれかけた師弟。キノセは熱心に五線の瞳を、メルディンの三日月のように細められた目に向ける。

「はい」

「です~が、手で~の指揮は、指示する界音~を曖昧にしてしまうので~す」

「曖昧に? お言葉ですがメルディン様。俺の指揮は正確に界音を捉えていたと思います」

「あなたの指揮~は、演奏のため~の、音楽~の指揮で~す。端的に言え~ば、ただの指揮者~に毛が生えたもの~です。ミュズアの指揮者~はもっと複雑~に界音~を使いこなすので~すよ。そのため~には指揮棒によ~って、界音~を正確に指示する必要~があるのです~よ」

「手では限界がある……だとしても、どうして禁止なのですか?」

「曖昧な指揮~は、危険なのです~よ」

「危険?」

「見せてあげましょ~う」

 メルディンは懐から指揮棒を取り出した。そしてテーブルの中心に置いてある燭台に並んだ、複数の蝋燭に向かって小さく振るった。すると蝋燭の火が同じように燃え盛った。しばらくそれを見るとメルディンはまた指揮棒を振るって火を元の大きさに戻した。

「今~火の界音によ~って、それぞれの蝋燭の火力~を増しまし~た。次~は同じこと~を手~でやってみま~すよ」

 メルディンは燭台に向かって今度は手を小気味よく振った。火が燃え盛る。だが今度は、全てが同等ではなく、火力の変わらないものや、反対にさっき以上に大きく燃える蝋燭もあった。

「ご覧の通~りで~す。これがも~し、もっと大きく界音を操る場合だった~らと、考えてみてくだ~さい」

 言いながら、指揮棒で蝋燭の火を整えるメルディン。

「大事~が起きないよ~うに、手で~の指揮~を禁止するのです~よ」

「なるほど、理解しました」

「安心しな~さい、すぐにでも~もあなた~に指揮者~の資格~を与えるよう~に、協会~に推薦しますか~ら、キノセ」

「はい! ありがとうございます」

 〇~〇~〇~〇

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