碧き舞い花Ⅱ

御島いる

234:アレスの昔話

 隠れても無駄なことはわかっている。

 それでもアレスは木箱の陰に身を潜めて息を整える。

 ゆらり、はらり――。

 視界に碧き花びらが閃いたのを見て、アレスは動き出す。陰から出る際、花弁が腕をかすり、血が滲んだ。

「っく……」

 入り組んだ箱たちを縫っていくアレスを碧花が追ってくる。ィエドゥははじめからだが、今はムェイがどこにいるのかもわからない。アレスはそんな親友に声を投げかける。

「セラ! しっかりしろよ! あんな小手先だけのやつに操られてるんじゃねーよ!」

 アレスの声は虚しく木箱に吸い込まれていくばかりだ。ィエドゥへの挑発を兼ねても、手品師が姿を見せる気配は当然ない。ムェイがおかしくなったは紛れもなく、ィエドゥの仕業だ。恐らく『傀儡の糸』。ムェイの機巧の身体は限りなく生体に近いが、人工物であることこに変わりはない。ただ疑問なのは、セラの想いまで形作るムェイの機脳が簡単に自我を失うだろうか。

「おれなんかより、吊ってる糸を切れよ!」

 叫ぶアレスの行く手を阻むように、木箱を破壊して花びらが現れた。挟み撃ちだ。

「くそっ」

 アレスは壊れた木箱と反対側に積まれた木箱の群れに駆け上がる。セラを模倣した彼女だ、遊歩は万全。体勢を崩すことなく大きな木箱の上に転がり上がる。そして止まることなく立ち上がり、少し離れたところにある木箱へと飛び移ろうとした。

 だが止まった。

 木箱と木箱の隙間から碧き花が飛び上がってきた。後方からも花が迫る。そうして次第に囲まれた。

「まったく厄介なもの教えてくれたよ、エァンダは。こうなった時のために弱点の一つや二つおれにだけ教えといてくれりゃよかったんじゃないのか? もしもの時は、おれがセラを止めるって約束してんだからよ!」

 碧き花々に目を細め、アレスはムェイ=セラとの約束を想う。





 セラとしての能力。機脳生命体としての能力。その両者の学習能力をもってしても、ムェイが影の秘伝を習得するのは難しいことだった。それほどの難度。ナパードすらできないアレスにとっては想像もつかないことだ。けれども少しだけ分かち合える部分もあった。

 アレス自身セラの真似をするにあたり、多くの努力をした。その頃の自身に重なった。だから、エァンダが休憩を許した折に、アレスは親友に自分の経験を語って励ましたことがあった。





 ~〇~〇~〇~

「おれもセラになりきるの、大変だったなぁ」

 夕日に染まるトー・カポリ。案山子のような樹々の影が長く長く伸びる。

 アレスとムェイは『虎の目』が使っていたログハウスの壁に並んで背をつけていた。

「そもそもさ、戦いなんてしたことがなかったとこからはじめたからな」

「そうなの?……そういえば本当のアレスのこと、聞いてないんだ、わたし。一緒に旅したっていう嘘しか聞いてないっ」

「あぁ……そういや、そうだな。悪い」

「よろしい、ぃっ!」

 わざとらしく胸を張ったかと思うと、傷が痛んだようでムェイは身体を縮こまらせた。

「おい、大丈夫か? やっぱ休憩は回復だけに専念して――」

「アレスの嘘に、心が痛みました……」

「なっ!」

「ふふっ、冗談っ。半分ね。はい、じゃあ続き」

「……なんか、やりづれぇな。てか、半分は本気なのかよ」

「当たり前でしょ! 話すタイミング、もっと前にもあったし」

「いや、まあ、そーなんだけどよ……悪かったよ、ほんと」

「あ、うそ、ごめん、ごめん。半分っていうのは、本当に身体が痛かったの」

「おい、怪我してなかったら叩いてるぞっ!」

「あはは~、こわ~いっ」

「ったくよぉ……かわいいやつめっ」

 アレスは愛おしくなってムェイ抱きついて揺すった。

「たいっ、痛いっぃたいっ!」

「あっ」アレスははっとして離れる。「ごめん」

「もぉ、アレス嫌いっ」

 ぷいっとそっぽを向くムェイ。また愛おしいことこの上ない。アレスは過ちを犯してでももう一度抱きしめたくなったその衝動をぐぬぬっと押し殺した。

「ごめんって、な?」

 アレスがムェイの白金の後頭部に謝ると、にっとしたセラの顔が振り返ってきた。夕日の優しい温かさに似た笑顔だ。

「許すっ。今ので心の痛み治ったからね、ありがとアレス」

「……どう、いたしまして?」

「うん、じゃあ聞かせて、本当のアレスの昔話」

「ああ。つっても、そんな改まって聞くほど大したことないぞ」





 そうしてアレスは語った。

 はじまりは『揺蕩う雲塊』の子どもたちにせがまれて、『碧き舞い花』を読み聞かせたことだった。それから子どもたちにセラとアレスの、瞳と髪の色が一緒だと言われ、読み聞かせに留まらずセラを演じてみせることになった。子どもたちに喜んでもらうために、その質を徐々に上げていったアレスは、そのうちにセラと自分の差について考えるようになった。

 同年代の女の子が異空という広い舞台で活躍している。では自分は。

 アレスのセラへの想いは憧れに、愛になった。自分もセラのようになりたいと思うほどに。

 それから外見はもちろん、中身もセラになりきろうと努力をはじめたアレス。この時は純粋に異空のために戦うこと、いつしか本物のセラと共に戦うことを目標にしていた。少ない情報から得られたものを自分なりに解釈し、セラを作り上げた。

 大部分においてセラに近づいたアレス。しかし、この頃『碧き舞い花』を名乗り悪事を働く者が異空中に現れはじめていた。

 怒りだ。

 愛すべき憧れの存在を汚す輩たち。生半可な気持ちで『碧き舞い花』を騙る輩に、アレスは怒りと嫌悪に包まれた。

 憧れという自身の感情があるということ。それは心まで完全にセラになりきることができないということ。アレスはそれを、最初からわかっていた。だからこの出来事に自分の役目があるのだと思った。

 偽者を排除する。

 その使命を悟った時に、肩に碧き花の入れ墨を彫ったのだ。

 〇~〇~〇~〇

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