碧き舞い花Ⅱ

御島いる

202:殴る声

「おっと、ショーを続けるにもこれではな」

 ィエドゥは斬り刻まれ、血に汚れたタキシードを見て、大げさに驚いた。そうして懐から煌白布を取り出すと、セラからその姿を一瞬だけ隠した。布が落ち、床の白と同化して消えると、タキシードはまったくの新品に変わっていた。

「さあ、続きをやろう」

 どこから出したのか、手の甲や指の間でコインを弄ぶィエドゥ。ぴたりと親指の上でコインを止めると、それをセラに向かって弾いた。

 セラはすぐに顔を横に倒した。ヴェールの残像にぽっかりと穴が空いた。

 弾いたコインとは思えない早さ、まるで弾丸だ。

 だが今のセラは弾丸を超える速さに到達できる。ナパードではないのに、ナパードをしたように一瞬でィエドゥの背後に立った。

 背後から剣を振るいながら、セラはィエドゥがその場で新たなコインを弾くのを感じ取る。それには殺気がなく、目的は攻撃ではなく防御だと思われた。タキシードの肩を超えたコインがセラの一太刀を受け止めた。

 ただ一枚のコインが、まるで城壁のように堅牢な盾となった。

 剣を引き、セラは二の手を打つ。するとまたィエドゥは振り返ることなくコインを弾いた。コインが回転しながら舞いはじめる中、セラはフォルセスの通り道の空間を伸縮する。超加速の一撃がィエドゥの背を裂いた。

 虚しい音を立ててコインが落ちた。

「ぬ゛ぁっ……」

 前のめって、そのまま受け身を取りながらセラから離れるィエドゥ。

「……あぁ、参ったな……参った、参った」

 立ち上がりながら言うィエドゥはわざとらしい。まるで誰かに見せるように芝居がかった大げさな動作で背中をさする。そして手に着いた血を見て、またわざとらしく驚いて見せる。

「せっかく新調した衣装をすぐ斬られてしまった。血もいっぱい出てしまった。ううむ、俺では『碧き舞い花』に勝つことはできないのだろうか……」

「なにを……」

「ふふ、劣勢の演出さ、舞い花。観客の応援により、今、この出血とは比にならない信仰が俺に注がれた」

 嘘ではない。セラはィエドゥの気配の高まりに、想造の時間切れを心配した。





 昼間でもくっきりと月が二つ。乾燥した涼風に揺れる原色の草木。

 キノセはウェル・ザデレァの戦場に立っていた。しかし現在の光景ではない。記憶にある戦火だった。『黒・白・七色戦争』だ。

 ィエドゥ・マァグドルの立方体から放たれた光に目を閉じ、また開いたらここにいた。

「幻覚を見せられてるのか……」

 セラにあげたはずの指揮棒を持つ自分が、当時の自分だと気付くのに時間は要らなかった。色々考えたいことがあったが、迫る怒号に身体が勝手に動く。

『夜霧』の兵を音で吹き飛ばす。

「うああぁああ!」

 その叫びはキノセのものでも、吹き飛ばした兵のものでもなかった。

 キノセの心の内が震えた。

 声のしたほうを見ると、そこには自身が率いていた隊の一員がいた。今でも忘れることはない。この時の体験は、大きな決意のきっかけとなったのだから。

 倒れていく。

 倒れていく。

 倒れていく。

 そうして彼の部下たちは全滅した。

 その光景を目にすると、キノセは『夜霧』の兵を吹き飛ばす場面に戻された。そしてまた仲間の死が繰り返される。

「嫌がらせかよ……」

 兵を吹き飛ばしたキノセは仲間の悲鳴を聞きながら吐き捨てた。

「どうせ――」

 また兵士を吹き飛ばす。

「――なら」

 悲鳴が鼓膜を震わせる。

「ジルェアスに――」

 また兵士を吹き飛ばす。

「――殴られるとこまで見せろよ!」

 ゼィグラーシス。

 不意にセラの声が聞こえた気がした。

 いや、聞こえたんだ。

 キノセの手元から碧い輝きが放たれた。彼が五線の目を向けると、指揮棒が碧き花を散らしながら姿を変えた。

 乳白色の光沢の指揮棒。

 セラの声を記録した指揮棒。

「俺の背中を押すのはいつだってお前だな、ジルエァス。……いや、背中じゃなくて顔か。しかも押すっていうか殴るしな、お前は」

 口角を上げながら、キノセはまだ碧が残る指揮棒を天に向かって振るった。





 数多の赤い鳥居が囲む中、同じ色の糸がこんがらがって、イソラはその中で虚ろに項垂れていた。

 救いに行ったはずなのに、囚われた。

 まただ。

『土竜の田園』の人々、イソラ……。

「……イソラ…………セラ……」

 イソラは小さく、口から零した。

 彼女は無力な自分を呪う。

「…………ごめん」

 涙が頬を伝って落ちて、心の水面のを波立たせた。

 波紋の広がりが、鳥居を、糸を、黒く染めていく。そうしてイソラを黒が縁取って、次第に染み入って肌も黒一色となった。白金の髪と瞳のサファイアを残して。



 碧。



 黒い糸の塊の中、一本の碧い糸が光っていた。

 イソラがそれに気づくことはなかった。


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