碧き舞い花Ⅱ

御島いる

127:親子の絆

「チキショー! いきなりなにしやがるっ!」
 騒がしく立ち上がりながら、イソラに腕を伸ばす大男。だがその手がイソラを掴む可能性は皆無だ。雑な動きでこの盲目の戦士が捉えられるはずがない。
 するりと男の腕を潜り抜け、イソラは男の子に寄り添った。「大丈夫?」
「……」男の子は戸惑っているようだっだが、それも束の間、声を上げる。「危ないっ!」
 イソラの背後で男が拳を振り下ろしていた。しかしその動きは途中で止まる。イソラはなにもしていない。彼の動きに鍵をかけたのは、言うまでもなく追ってきていたルピだ。
「ちょっとどういう状況?」
 入り口に寄りかかったルピが、指で鍵を弄びながら言った。
「なんだ、これ……動けねぇ………」
 どうにか動こうとする大男を、イソラは男の子から離れて睨み上げる。
「組手ならともかく! 子どもに暴力だなんて最低っ! それに! 大人なら少しくらい食べないで我慢するべきだよ!」
「ああなるほどな……っは!」大男は動けないまま鼻を鳴らした。「アスロンの仲間かなんかか知らねえが、口出しすんなよ。これがこの世界のやり方だ。戦士が戦うには万全の状態じゃなきゃいけねえ。そこにいるガキには、地上に戻ればたらふく食わせてやれるんだ。そのためにも、今は俺が力をつけなきゃならねえんだよ!」
「……」
 イソラは眉を顰めた。口も態度も悪い。でも目の前の男が口にしたのは、子どものためを思っての言葉だった。それに彼女は戸惑った。
「ちょっと待った」ルピがイソラの横に並んだ。「イソラ、騙されかけてる」
「え?」
「わたしは全部見たわけじゃないけど、その子がこの男に暴力振るわれたんだろ?」
「うん。そう! そしてこの子のご飯も食べちゃったの!」
「だからそれは今後のためだろ! ガキにはこれから先、食べ物に困らない未来がくるんだよ」
「それはいいよ」ルピが男を呆れた様子で睨み上げる。「その考えは見上げたものだけどさ、おじさん。暴力が駄目だから。別に口で言えば間に合うことじゃん」
「あ! そうだよ! そうそう」イソラは戸惑いを払拭する。ビシッと男の顔を指さす。「暴力! そもそもそれが駄目って言いに来たんだから! それに肉が食べたいって言ってた! それってやっぱり自分のためだよね! この子のためだなんて少しも思ってないんでしょ! この場しのぎで言ったんでしょ!」
「なんだと? 勝手に決めつけんじゃねえよ。俺は本当にガキのために、地上を取り戻してーんだよ。なによりこいつの母親をな!」
「お母さんを?」
「母親を?」
「嬢さん方、ノヅギンの素行に問題があるのは認めよう」
 小屋にテムとアスロンを引き連れてゴンヮドが入ってきた。
「だが、こいつの心意気は本物だ。結果が出ずに苛ついて子どもに手を上げることが許されないことも、こいつはわかっている。どうか責めないでやってくれ。君たちが来たことで状況が変われば、なにもかも元通りになるんだ。そうすれば前のように――」
「やめろ、じいさん」大男ノヅギンは引きつった顔でゴンヮドを制してからイソラとルピを見やる。「悪かったな。悪かったよ。俺が全部悪い。かっかしてたっていうのは言い訳になっちまうけどよ、俺だってこんなことしたくねえんだ、本当はよ」
「……」
「……」
 イソラはルピと向き合う。それから二人して息を大きく吐いて、謝罪の言葉を口にした。
「ごめんなさい。あたしもすぐに足が出ちゃって……」
「こっちも言いたい放題言った。謝るよ」
 ルピが鍵を回して男を解放する。すると、男がイソラに殴りかかった。
 気を抜いていたが、イソラはその拳を難なく交わした。「なにっ!?」
「っちぇ。一発殴り返したかったのによ」ノヅギンは笑った。「お前強いな、てかその目、見えてないのか?」
「目は見えないよ。けど、ちゃんと見えてるから」
「は? それはどういう――」
「それより!」イソラはまた大男の顔を指さした。「ちゃんと謝って。この子に」
「……あ、ああ」
 ノヅギンはバツが悪そうに男の子に目を向け、それから逸らす。それをイソラが睨みをきかせる。
「そう、だな……」
 気恥ずかしそうにして男の前に歩み寄ると、ノヅギンは膝を折って視線の高さを合わせた。
「アビット……そのう、悪かったよ。今までも、お前にばっかあたってさ。できの悪い、親父だよな。早く母さんと太陽の下で暮らそうな」
 抱こうか抱かまいかと迷う仕草を見せるノヅギン。それをイソラたちが見守る中、親が行動に出るより早く、アビットが無言で勢いよく彼に抱きついた。
 恐る恐るノヅギンもアビットの背に手を回す様子を見ながら、イソラは優しく笑むのだった。そしてその光景に、ふと浮かぶものがあった。ユールとの戦いの中、夢で見た赤ん坊を抱く男女の姿。
 イソラを抱くザァトとハツカ。
 あのイソラは赤ん坊だし、見ているのは父と子の抱擁のはずで両親が揃っているわけではない。似ているかと問われれば、似ていない光景。けれどもそこに間違いなく親子の絆が共通してあった。
 イソラの心では懐かしみから来る温かさと、記憶との繋がりの曖昧さからくる冷たさが、決して交わることなく渦巻いていた。
「イソラ?」とルピが彼女の顔を覗く。
「ん?」
 はっとなったイソラは、すでに親子の抱擁が終わっていることを感じ取った。その小屋にはイソラとルピ、それからアビットだけが残されていて、彼がぼーっとしているイソラを不思議そうに見ていた。
「行くよ」
「あ、うん」
 ルピに言われるまま続いて、イソラは開け放たれた扉へ向かう。だが小屋を出ようとする二人をアビットの恥ずかしそうにした声が止めた。
「……お姉ちゃんたち」
 呼びかけに二人は足を止めて振り返る。するとアビットは二人から目を逸らして、短く言う。
「ありがと……」
「どういたしまして。でもちょっと早いかな」とイソラは笑う。「これから地上とお母さんを取り戻すんだから。ねっ?」
「……うんっ!」
 男の子が大きく頷くのを見て、イソラはニシシと笑い、ルピはちいさく鼻を鳴らした。

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