碧き舞い花Ⅱ
118:未完の大器
〇~〇~〇~〇
エァンダはすぐにナパードでルファの背後をとった。剣も抜いた。もう、切っ先は敵の首につく。
だがその前に、無音の花が咲いた。
剣は空を突く。
音もなく消えたルファの行方を探す。
「こっちだ、エァンダ」
トタン屋根の上に腰かけたルファ。余裕を通り越した気だるげな表情でエァンダを見下ろす。
「それよか、できてんじゃねーか」ちらりとゼィロスに目を向けるルファ。「まさかあいつに教わったんじゃねえだろうな」
「……だったらなに」
「お前も、ゼィロスかよっ!」
屋根の上で激昂したルファは音もなく消えた。その場所にはマラカイトの花だけが残る。エァンダは辺りを警戒する。音はなくても、姿を現すのは輝きと一緒だ。
視界の右端にマラカイトを捉えた。その瞬間にエァンダは剣を振っていた。だが、空振りだった。
「そっちじゃねえよ」
背中を殺気がなぞり、悪寒を走らせる。
「っ!」
すぐさま振り向きざまに剣を振り抜くエァンダだったが、それもまた虚しく花々の隙間を裂いただけだった。
「それも違えよ」
その声を聞いた時、エァンダの身体は大きく吹き飛び、ガラクタの建物の絶妙なバランスを崩した。崩落がエァンダを襲う。
「エァンダ!」
瓦解の音の中、ゼィロスの叫びが聞こえたが邪魔だと思った。ルファの音を聞きたいのだと。ナパードはおろか、生命活動の音すら聞こえない男の音を。
瓦礫を押し退け、身体を出すとすぐさまその場でナパードをした。瓦礫の山をルファの押し出した空気の塊が掃除した。
「おいおい、逆じゃねえか? 俺を追ってきたんだろ、チビ公?」
「……っ」
瓦礫で切れた頬の傷を手の甲で拭うエァンダ。
「せっかく俺から離れられたのに追ってくるんだ、殺す気なんだろ? だがどうだ、追われて逃げてんのはお前の方だ、笑わせる。ゼィロスに教えを乞ったからそうなんだぜ、エァンダ。あの時俺に殺されなかったってのに、ゼィロスには殺されたってわけだ、その才能をなっ!」
斜め後ろに現れた当のゼィロスを、ルファは見向きもせず蹴り倒す。
「ぐぁ」
そうしてエァンダから視線を外して、倒れたゼィロスを見下ろす。
「見ろよ、この体たらくを! 机に向かってばかりいるからそうなるんだ。……あぁ、虚しいぜ、こんなんでも殺したいと思える俺の心の愚かさが」
音もなく爪の剣をゼィロスに向ける。それから彼のことなど警戒していないと言わんばかりに視線を逸らし、エァンダに子どものような笑顔を向けてきた。
「なぁ、チビ公。やっぱ俺と一緒に来いよ。そうすりゃ、ちゃんと強くなれる。お前は特別なんだ。その才能の器はちゃんと仕上げるべきだ。俺となら、それができるぞ、な?」
「……」
エメラルドに懐かしい笑顔を映し込むエァンダの表情は、全く柔らかくはならなかった。
「俺はあんたが許せないんだ、ルファ」
「あん?」
「殺しを仕事にしたって別に構わない。けど、ナパスの民が殺されることに底知れない怒りを覚える。ナパスを脅かすものに心がざわつく」
「俺もナパスだぞ」
「もちろんわかってる。けどあんたは、ナパスを殺した。戦士だった影の三人はともかく、フェースの親を殺した。ナパスにとって、あんたは敵だ、ルファ」
「……」
「……」
静かな殺気が路地に漂った。
「そうかい」ルファはゼィロスから離れ、エァンダと正対する。「一応弟子だったよしみで手心を加えてやってたってのにな。最後のチャンスをフイにしたな、チビ公」
「俺には師匠だったよしみでどうこうってことは、なかったけど?」
ルファの額に青筋が浮かんだ。
殺気がピンと張り詰めて、ビリビリと空気を震わせた。
群青と孔雀石が空気に滲み出て、泡が膨らむようにじんわりと広がって二人を包み込む。
「はんっ、じゃあ俺には勝てねえなぁ!」
ルファの声を皮切りに、泡はぱんと弾け、二人が剣をぶつけた。
静かだった。
エァンダが出す呼吸と足捌きと衣擦れの音だけが、耳に届く。他の音はなにもない。
ゼィロスはエァンダに加勢すべきだと立ち上がったが、どうにも手を出せないで、傍観者に成り下がってしまっていた。
隙が無い。弟弟子にも、弟子にもだ。
二人だけの戦場だった。一騎打ちの決闘。
ルファはともかく、エァンダが急に彼の知る領域を出たことに驚きが隠せない。ビズラス以上の才の器。今その器には鍛錬によって得たものとは違う、なにかが満ちていた。とてつもなく大きな力だ。
さっきまで手も足も出ないといった様子だったのに、一体なにがエァンダに力を与える。感情の昂揚によって体の動きがよくなることはある。深い集中を生み出すこともある。ルファがエァンダに教えた、ゼィロスの知らない技術という線もある。
だがそれにしても、そういうことだとしても、跳躍の幅が大きすぎる。
成人前の少年が、ナパスの影の実力者と対等にやり合っていることなど、誰が想像できる。目の当たりにしている自分を疑いたくなるゼィロスだった。
だが彼の疑いに綻びが見えはじめるのに、そう時間はかからなかった。
はじめこそエァンダの急激な変化に圧倒され、苛立ちさえ見せていたルファだったが、徐々に冷静を取り戻すと、エァンダを護りに専念させはじめた。
エァンダが立てる音が大きくなるのをゼィロスは感じていた。乱れてきている。
器はまだ未完成。隙間があり、そこからとてつもない力が漏れている。
このままではエァンダの命は奪われる。
きっとこの先、ルファを倒すことのできるのはエァンダだけだろう。今ではない未来、完成された器を持った彼ならば、難くなく果たせるだろう。
だから今は器を壊してはいけない。
ゼィロスは赤紫の閃光に消えた。
〇~〇~〇~〇
エァンダはすぐにナパードでルファの背後をとった。剣も抜いた。もう、切っ先は敵の首につく。
だがその前に、無音の花が咲いた。
剣は空を突く。
音もなく消えたルファの行方を探す。
「こっちだ、エァンダ」
トタン屋根の上に腰かけたルファ。余裕を通り越した気だるげな表情でエァンダを見下ろす。
「それよか、できてんじゃねーか」ちらりとゼィロスに目を向けるルファ。「まさかあいつに教わったんじゃねえだろうな」
「……だったらなに」
「お前も、ゼィロスかよっ!」
屋根の上で激昂したルファは音もなく消えた。その場所にはマラカイトの花だけが残る。エァンダは辺りを警戒する。音はなくても、姿を現すのは輝きと一緒だ。
視界の右端にマラカイトを捉えた。その瞬間にエァンダは剣を振っていた。だが、空振りだった。
「そっちじゃねえよ」
背中を殺気がなぞり、悪寒を走らせる。
「っ!」
すぐさま振り向きざまに剣を振り抜くエァンダだったが、それもまた虚しく花々の隙間を裂いただけだった。
「それも違えよ」
その声を聞いた時、エァンダの身体は大きく吹き飛び、ガラクタの建物の絶妙なバランスを崩した。崩落がエァンダを襲う。
「エァンダ!」
瓦解の音の中、ゼィロスの叫びが聞こえたが邪魔だと思った。ルファの音を聞きたいのだと。ナパードはおろか、生命活動の音すら聞こえない男の音を。
瓦礫を押し退け、身体を出すとすぐさまその場でナパードをした。瓦礫の山をルファの押し出した空気の塊が掃除した。
「おいおい、逆じゃねえか? 俺を追ってきたんだろ、チビ公?」
「……っ」
瓦礫で切れた頬の傷を手の甲で拭うエァンダ。
「せっかく俺から離れられたのに追ってくるんだ、殺す気なんだろ? だがどうだ、追われて逃げてんのはお前の方だ、笑わせる。ゼィロスに教えを乞ったからそうなんだぜ、エァンダ。あの時俺に殺されなかったってのに、ゼィロスには殺されたってわけだ、その才能をなっ!」
斜め後ろに現れた当のゼィロスを、ルファは見向きもせず蹴り倒す。
「ぐぁ」
そうしてエァンダから視線を外して、倒れたゼィロスを見下ろす。
「見ろよ、この体たらくを! 机に向かってばかりいるからそうなるんだ。……あぁ、虚しいぜ、こんなんでも殺したいと思える俺の心の愚かさが」
音もなく爪の剣をゼィロスに向ける。それから彼のことなど警戒していないと言わんばかりに視線を逸らし、エァンダに子どものような笑顔を向けてきた。
「なぁ、チビ公。やっぱ俺と一緒に来いよ。そうすりゃ、ちゃんと強くなれる。お前は特別なんだ。その才能の器はちゃんと仕上げるべきだ。俺となら、それができるぞ、な?」
「……」
エメラルドに懐かしい笑顔を映し込むエァンダの表情は、全く柔らかくはならなかった。
「俺はあんたが許せないんだ、ルファ」
「あん?」
「殺しを仕事にしたって別に構わない。けど、ナパスの民が殺されることに底知れない怒りを覚える。ナパスを脅かすものに心がざわつく」
「俺もナパスだぞ」
「もちろんわかってる。けどあんたは、ナパスを殺した。戦士だった影の三人はともかく、フェースの親を殺した。ナパスにとって、あんたは敵だ、ルファ」
「……」
「……」
静かな殺気が路地に漂った。
「そうかい」ルファはゼィロスから離れ、エァンダと正対する。「一応弟子だったよしみで手心を加えてやってたってのにな。最後のチャンスをフイにしたな、チビ公」
「俺には師匠だったよしみでどうこうってことは、なかったけど?」
ルファの額に青筋が浮かんだ。
殺気がピンと張り詰めて、ビリビリと空気を震わせた。
群青と孔雀石が空気に滲み出て、泡が膨らむようにじんわりと広がって二人を包み込む。
「はんっ、じゃあ俺には勝てねえなぁ!」
ルファの声を皮切りに、泡はぱんと弾け、二人が剣をぶつけた。
静かだった。
エァンダが出す呼吸と足捌きと衣擦れの音だけが、耳に届く。他の音はなにもない。
ゼィロスはエァンダに加勢すべきだと立ち上がったが、どうにも手を出せないで、傍観者に成り下がってしまっていた。
隙が無い。弟弟子にも、弟子にもだ。
二人だけの戦場だった。一騎打ちの決闘。
ルファはともかく、エァンダが急に彼の知る領域を出たことに驚きが隠せない。ビズラス以上の才の器。今その器には鍛錬によって得たものとは違う、なにかが満ちていた。とてつもなく大きな力だ。
さっきまで手も足も出ないといった様子だったのに、一体なにがエァンダに力を与える。感情の昂揚によって体の動きがよくなることはある。深い集中を生み出すこともある。ルファがエァンダに教えた、ゼィロスの知らない技術という線もある。
だがそれにしても、そういうことだとしても、跳躍の幅が大きすぎる。
成人前の少年が、ナパスの影の実力者と対等にやり合っていることなど、誰が想像できる。目の当たりにしている自分を疑いたくなるゼィロスだった。
だが彼の疑いに綻びが見えはじめるのに、そう時間はかからなかった。
はじめこそエァンダの急激な変化に圧倒され、苛立ちさえ見せていたルファだったが、徐々に冷静を取り戻すと、エァンダを護りに専念させはじめた。
エァンダが立てる音が大きくなるのをゼィロスは感じていた。乱れてきている。
器はまだ未完成。隙間があり、そこからとてつもない力が漏れている。
このままではエァンダの命は奪われる。
きっとこの先、ルファを倒すことのできるのはエァンダだけだろう。今ではない未来、完成された器を持った彼ならば、難くなく果たせるだろう。
だから今は器を壊してはいけない。
ゼィロスは赤紫の閃光に消えた。
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