碧き舞い花Ⅱ
115:星夜へ誘う群青の
〇~〇~〇~〇
「――、――、――」
ただただ空気が漏れているだけの音が、ブァルシュの口から零れる。
「動くなよ、お前ら………」
ルファの声は慌ただしく、この状況に驚いているようにも見えた。窮地が一転、好機になろうとしているのだから当然だろう。
「まだ、こいつは生きてる。救いてえだろ?……なら、俺がいなくなってからゆっくり、やれよ」
「お前を……」
ブァルシュの絶え絶えの声が、振り絞られた。
「逃がすくらい……ならば、この命、もろともぉ……っ」
「いけません、ブァルシュ様!」
なにかを察したビズが叫ぶよりも早く、エァンダは動いていた。
群青を散らして、二人の元へ現れると手を伸ばした。
だが、遅かった。
彼の手は虚しく、谷の壁面に触れた。赤橙の花が散る中、エァンダは壁を一度、殴った。
逃がした。逃げられた。
「……エァンダ、帰ろう」
彼の肩にビズが優しく手を置いた。その声には優しさに交じって悲しみがあって、仲間を失ったことを重く受け止めていることは、エァンダにもわかった。
「あの人は生きてるよ」
「そうだね。みんなの死を無駄にしないためにも、ちゃんとけりをつけないとだね」
「……」
エァンダは振り向いてビズの顔を見つめる。その顔には強い意志が宿っていて、精悍だった。だからエァンダは口を噤んだのだった。
彼はビズも、ゼィロスも気づいていないのだと知って、ある事実を内に潜ませたのだった。
~〇~〇~〇~
「その気づいたことって、今もゼィロスさんに言ってないのか?」
サパルはエァンダの回顧を遮って聞いた。
「ああ、言ってない。お前に教える気もないぞ?」
「いや、知りたいところではあるけど、無理強いするつもりはない。けど、ゼィロスさんには話しておいてもいいじゃないか」
「いいや、もういいんだよ。ガキの思い過ごしだったんだよ。今言ったら恥かくだけ、笑われる」
「そうなのか?」
「そうなんだよ」エァンダはあっけらかんと言った。「てか、まだ話終わってないんだけど。俺がゼィロスの弟子になって、それから一人で旅することになったっていう結構重要な部分が残ってる」
「僕と会う前までの話?」
「まあ、そういうことになるな」
話していてだいぶ落ち着いてきたのだろう、エァンダは普段の調子で続きを語りはじめた。
~〇~〇~〇~
久方ぶりに故郷の大地を踏んだエァンダは、その日から三日、毎日ミャクナス湖畔に座っていた。ビズもゼィロスも後処理で忙しかったのかもしれないが、とにかく彼のことをそっとしておいてくれた。
考える時間はたくさんあった。
自分がこれからやるべきこと。
やなくてはいけないこと。
ゼィグラーシスと、自分の声が頭の中に反響する。
進むべき道。
師との真の決別。
行方知れずの兄弟子の捜索。
そのどちらにも、探す力が必要だ。
そして、ルファを超えるためには力と技術がいる。知識と経験もいる。
闇雲でもそれは可能かもしれない。そんな自信もあった。
ただ一つだけ、ナパスの師を持たなければいけないことがあった。
「エァンダ」
三日目の夕方だった。
エァンダが考えをまとめ上げるのを待っていたようなタイミングで、その人物は浜を踏み鳴らして彼の背後に現れた。
「お前の今後が決まった」
「へぇ、俺抜きで? ま、どーでもいいけど」エァンダは振り返り、夕映えするエメラルドで黄緑の瞳を見つめた。「俺もあんたに用があるんだ、ゼィロス」
二つの長い影が、浜に伸びていた。日は傾き、遥か上空は群青に染まり、一番星を輝かせていた。
その日の夜。
ゼィロスの家に場所を移し、エァンダは『ナパスの影』についての話を聞いた。そして特別に見習いの時期を飛ばし、すでにその一員としてエァンダを認めるものとする王の令が出たこと。ただしゼィロスから修行を受けるという条件つきだということ。それらも合わせて。
それについてエァンダは快諾した。
彼もまた、騒ぎを抑えたナパードを正しく学び直す必要があった。そのためにゼィロスの弟子になる申し出をしようとしていたところだった。さらに影の役目を負えば、ルファを追うのに有益な情報が入りやすいはずという判断だった。
「では、これを」
ゼィロスはエァンダの首に立体十字と三つの円で作られたペンダントをかけた。
「『記憶の羅針盤』だ。知っている世界に跳ぶ指標をくれる。本来は成人の証しだが、その時まで大人と一緒に世界移動をしていては不便だろうからな」
「悪いね」
「それでエァンダ、これも伝えておかないといけないんだが」
ゼィロスはどこか深刻な顔でエァンダを見つめる。
「なに?」
「お前の兄弟子」
「フェース?」エァンダははっとする。ゼィロスの顔から最悪を予想した。「……もしかして、死んだのか」
しかしゼィロスから返ってきたのは予想と反した言葉で、そして予想外の言葉だった。
「いや。フェース・ドイク・ツァルカは影が追うべき者になった」
「は?」
〇~〇~〇~〇
「――、――、――」
ただただ空気が漏れているだけの音が、ブァルシュの口から零れる。
「動くなよ、お前ら………」
ルファの声は慌ただしく、この状況に驚いているようにも見えた。窮地が一転、好機になろうとしているのだから当然だろう。
「まだ、こいつは生きてる。救いてえだろ?……なら、俺がいなくなってからゆっくり、やれよ」
「お前を……」
ブァルシュの絶え絶えの声が、振り絞られた。
「逃がすくらい……ならば、この命、もろともぉ……っ」
「いけません、ブァルシュ様!」
なにかを察したビズが叫ぶよりも早く、エァンダは動いていた。
群青を散らして、二人の元へ現れると手を伸ばした。
だが、遅かった。
彼の手は虚しく、谷の壁面に触れた。赤橙の花が散る中、エァンダは壁を一度、殴った。
逃がした。逃げられた。
「……エァンダ、帰ろう」
彼の肩にビズが優しく手を置いた。その声には優しさに交じって悲しみがあって、仲間を失ったことを重く受け止めていることは、エァンダにもわかった。
「あの人は生きてるよ」
「そうだね。みんなの死を無駄にしないためにも、ちゃんとけりをつけないとだね」
「……」
エァンダは振り向いてビズの顔を見つめる。その顔には強い意志が宿っていて、精悍だった。だからエァンダは口を噤んだのだった。
彼はビズも、ゼィロスも気づいていないのだと知って、ある事実を内に潜ませたのだった。
~〇~〇~〇~
「その気づいたことって、今もゼィロスさんに言ってないのか?」
サパルはエァンダの回顧を遮って聞いた。
「ああ、言ってない。お前に教える気もないぞ?」
「いや、知りたいところではあるけど、無理強いするつもりはない。けど、ゼィロスさんには話しておいてもいいじゃないか」
「いいや、もういいんだよ。ガキの思い過ごしだったんだよ。今言ったら恥かくだけ、笑われる」
「そうなのか?」
「そうなんだよ」エァンダはあっけらかんと言った。「てか、まだ話終わってないんだけど。俺がゼィロスの弟子になって、それから一人で旅することになったっていう結構重要な部分が残ってる」
「僕と会う前までの話?」
「まあ、そういうことになるな」
話していてだいぶ落ち着いてきたのだろう、エァンダは普段の調子で続きを語りはじめた。
~〇~〇~〇~
久方ぶりに故郷の大地を踏んだエァンダは、その日から三日、毎日ミャクナス湖畔に座っていた。ビズもゼィロスも後処理で忙しかったのかもしれないが、とにかく彼のことをそっとしておいてくれた。
考える時間はたくさんあった。
自分がこれからやるべきこと。
やなくてはいけないこと。
ゼィグラーシスと、自分の声が頭の中に反響する。
進むべき道。
師との真の決別。
行方知れずの兄弟子の捜索。
そのどちらにも、探す力が必要だ。
そして、ルファを超えるためには力と技術がいる。知識と経験もいる。
闇雲でもそれは可能かもしれない。そんな自信もあった。
ただ一つだけ、ナパスの師を持たなければいけないことがあった。
「エァンダ」
三日目の夕方だった。
エァンダが考えをまとめ上げるのを待っていたようなタイミングで、その人物は浜を踏み鳴らして彼の背後に現れた。
「お前の今後が決まった」
「へぇ、俺抜きで? ま、どーでもいいけど」エァンダは振り返り、夕映えするエメラルドで黄緑の瞳を見つめた。「俺もあんたに用があるんだ、ゼィロス」
二つの長い影が、浜に伸びていた。日は傾き、遥か上空は群青に染まり、一番星を輝かせていた。
その日の夜。
ゼィロスの家に場所を移し、エァンダは『ナパスの影』についての話を聞いた。そして特別に見習いの時期を飛ばし、すでにその一員としてエァンダを認めるものとする王の令が出たこと。ただしゼィロスから修行を受けるという条件つきだということ。それらも合わせて。
それについてエァンダは快諾した。
彼もまた、騒ぎを抑えたナパードを正しく学び直す必要があった。そのためにゼィロスの弟子になる申し出をしようとしていたところだった。さらに影の役目を負えば、ルファを追うのに有益な情報が入りやすいはずという判断だった。
「では、これを」
ゼィロスはエァンダの首に立体十字と三つの円で作られたペンダントをかけた。
「『記憶の羅針盤』だ。知っている世界に跳ぶ指標をくれる。本来は成人の証しだが、その時まで大人と一緒に世界移動をしていては不便だろうからな」
「悪いね」
「それでエァンダ、これも伝えておかないといけないんだが」
ゼィロスはどこか深刻な顔でエァンダを見つめる。
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