碧き舞い花Ⅱ

御島いる

99:空の掌

 息が上がるのが早い。
 一ヶ月ヲーンにいた時も、身体は動かしていた。戦いからは離れていたが、鈍っていないはずだった。ヲーンを離れてからも険しい世界での遊歩で呼吸が乱れることはなかった。
 今朝起きてから、確実に、急激に、彼女の身体は衰えていた。
「はぁ、はぁ、うぁっ……! っく」
 隙が大きくなったところに、アレスの蹴り。セラはログハウスの壁に強かに叩きつけられた。
「威勢がよかったのは最初だけかい」アレスは切っ先をセラの眉間に当てがう。「所詮は偽物だねぇ」
「偽物じゃないっ……」
 セラは向けられた刃を握り、自分の顔の前からどける。
「おぉ、勇気ある」
 そのまま握り続けた剣に、手には血がにじむ。だがそれも気にせず、セラは剣を横に倒しながらアレスの身体を引き付けた。そうして空いた手でアレスの腰から短剣を抜き、流れるように敵の腿を斬った。
「っつぅ……」アレスが後方へ抜けたセラを睨む。「自分のがないからって、他人の奪うんだねぇ。偽物がしそうなこった」
「偽物、偽物、うるさいのよっ! わたしは、セラ!」
 サファイアにエメラルドが煌めいて、消えた。
「わたしが、セラ!」
 そしてその宣言に応えるように、今度は碧きヴェールが彼女の身体を包んだ。
「なに…‥それ……まさか、本当に嬢ちゃ……貴方様が――」
「セラ?」
「ジルェアス!」
「「セラ!」」
 その呼びかけは四つの声で構成されていた。
 こんなに近くにいるのに、誰一人の気配も感じなかった。セラはその事実と、巡り会えたことに目の端を湿らせる。




 強い気配が二つある場所を目指したら、そこにはセラとセラに似た服装の女がいて、争っていた。
 四人で駆けよりながら、別に示し合わせたわけでもないのに、揃って彼女の名を呼んだ。エァンダが疑問形だったことが気にならないでもないが、愛しの人を目の前に思考は邪魔だった。
 ユフォンは碧きヴェールを纏う彼女に向かって、一人抜きん出て走る。
 もう一度、今度は一人でその名を口にする。「セラ!」
「ユ――」
 聞き取れたのはそこまでだった。
「セラ!?」
 三度目の呼びかけは、彼女には届かない。
 セラは、花を散らして消え去った。
 遅いとわかりながらも、掴めるわけないとわかりながらも、伸ばした手を中空で閉じるユフォン。せめて花びらを掴みたかったという彼の想いとは裏腹に、開かれたその手にはひとひらの花びらもなかった。
「セラ……」
「……あの方が、セラ様、なのかい?」
 消沈するユフォンにバンダナを口元に巻いた女が声をかけてきた。
「そうなんだろ? だって今の、どうみてもナパードだった。な、そうだろ?……ってあんたまさか、ユフォン・ホイコントロかい?」
「……そういうあなたは」
 問いながら、ユフォンは女の肩にある舞い花の入れ墨に目を止める。
「おれはアレス・アージェント。異空一のセラ様信者だ」
「そして」ユフォンは鋭く重たい声で、アレスの言葉を継ぐように言う。「偽の『碧き舞い花』を殺して回ってる、本物・・。その入れ墨、記事に書いてあったよ『碧き舞い花』の異名の起源かもしれないってね」
「本物だなんておこがましい、あれはジュンバーの野郎が勝手に」
「ジュンバー……そっか、情報源はあそこか。とりあえず、あなたの身柄はここで拘束します」
 遅れて駆けつけたキノセ、サパル、エァンダがユフォンに並ぶ。当然三人にも会話は聞こえていただろう。なにより、すでにサパルは鍵束から鍵をちぎって、アレスに向かって回していた。
「ちょっと! なにさ、これ!」
 アレスの手から剣が落ち、両手首が現れた金具に身体の前で絞められた。
「どうーゆうことさ、捕まることなんてしてないよ、おれはっ!」
 吠えるアレスに、サパルが近づいていき今度は彼女の脚に鍵を向けながら言う。
「偽『碧き舞い花』連続殺害は連盟で脅威認定されている。今は被害者が限定されてるが、いつ関係ない人間にその手が及ぶかわからないからね」
 サパルが足首を拘束するとアレスは暴れてバランスを崩すが、それをしっかりとサパルが支える。
「ふっざけんなっ! おれはセラ様のために! 『碧き舞い花』の名を汚す雑草を摘んでるだけだ! いくらセラ様の仲間だろうと、許さないよ!」
「セラは!」ユフォンがアレスを上回る大声で彼女の口を遮った。「彼女はそんなこと望んでない! あなたがやってることが、そもそも『碧き舞い花』の名を貶めて――」
 言葉の途中のユフォンをエァンダが前に出て遮った。その険しい顔をログハウスの扉に向けながら、ユフォンを腕で後ろに軽く押す。そしてキノセも合わせ、後方の二人に顔を向けずに言う。
「ユフォン、キノセ。お前ら、その女連れて戻れ。ここは俺とサパルで――」
 途中で言葉を止めたかと思うと、エァンダは身を翻してユフォンの腕を強く、扉の方へ引っ張った。
 ユフォンは体勢を崩しながら後退る最中、エァンダの向こうに孔雀石色マラカイトの花が舞っているのを見た。

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