碧き舞い花Ⅱ

御島いる

85:眠りから覚める者たち

 仮面が暗闇に浮かぶ。
 二つ。
 一つは仮面だけ。空いた穴の向こうには暗闇しかない。
 一つは頭蓋を模したか、そのものか。猫のような眼が覗く仮面。
「ムェイの完成度はどうです?」
「外見はルルさんと同等、寸分違わない精度です。ヌロゥさんもそこだけは認めてくださいましたよ。ただ、まだ器として耐えうる力はないでしょう。ここからは情報による学習から、実戦による経験が必要でしょう」
「そうですか。では、そうしてください」
 と、その暗闇に、燃えるような瞳が現れた。
「戻ったわ」
「これはこれは、ルルさん」
「びしょ濡れですね」
「本当なら乾かしてから来たかったわよ。でも、早く起きてほしいんだもの」
「同感です。では、はじめてください」
 暗闇の中、靄が揺らめいた。




 ~〇~〇~〇~
 繭を打つ、雨音。
 目覚めの時は近いようだ。
 ――はやくパパに会いたいな。
 大きくなった自分を見て、父がどんな反応をするだろうかと、真っ白な繭の中で浅くなりはじめた眠りの中、ユールは胸を躍らせていた。
 もぞもぞと身体を動かす。もう少し、本当にあと少しで外に出られる。成長を終え、またプルサージと共に生活できるのだ。
 期待が、覚醒を加速させる。
 全身を大まかにしか動かせなかった身体が細かく動かせるようになってきた。まだ目は開かない。
 ついに指先まで正確に、思い通りに動き出す。
 眠気は閉じた瞳にだけ残っていて、それがなくなれば……そう考えているそばから、ユールの瞼はゆっくりと上がった。
 繭の中、記憶よりも大きい手を伸ばし、繭に指を差し込む。力を込め、両側に裂いていく。繭を打っていた雨の音はくぐもっていたのだと知る。鮮明となった雨音は、彼女の成長を祝う拍手のようだった。
 ぴちゃ……。
 月夜。ユールは一糸纏わぬ姿で、繭を出た。
 そして目を瞠る。
 真っ赤だった。肉食獣の死体が転がっていた。幼い自分が転がっていた。父が、転がっていた。
 そしてその中心、ユールの目の前に女がいた。優雅に浮かんだずぶ濡れの女が、ユールを燃えるような瞳でじっと見て、笑んでいた。その口が動き、鋭い歯が覗いた。
「おはよう、ちょうちょちゃん」
 ~〇~〇~〇~




 トゥイントではピョウウォルを含めた賢者たちが目覚めて、三日が経った。
 しかし薬の副作用で目覚めて数日はぼんやりとしてしまうとのことで、彼らは起きたはいいが未だにまどろみの中だ。
 テントの中、ケン・セイが横になる布の傍ら、真っ白な草原に胡坐をかくイソラ。
「今頃、魔導・闘技トーナメントはじまってるのかなぁ……」
 自身がヒィズルを初めて出た時から、参加することを望んでいた大会だった。しかしその機会には今のところ恵まれていない。
『夜霧』との戦いや連盟内での組手。自分が井の中の蛙になってしまっていないか、自分の実力が異空でどれほどまでに通用するのか、知っておきたかったというのが彼女の心持だった。
「ま、大会はまたあるだろうし、ね、お師匠様」
 イソラの呼びかけにケン・セイは呼吸とは違う息を発した。
「今度大会があったら、お師匠様も出てくださいねっ! そしたらあたしと真剣勝負できるし、にしし」
 笑いかけるイソラの背後、テントに入ろうとする人物の気配があった。
 三人。
 ィルとゼィロス、それから知った気配だが名前が浮かばない人物。白輝の刃の知将の気配だ。彼の気配はとてつもなく小さい。死にかけだった。
 イソラは立ち上がり、テントの入り口に駆け寄った。
「ィルさん、ゼィロスさん!……っ!? どうしたの、この人っ!」
 ィルとゼィロスに両脇を抱えられ、引きずられる白き鎧の男。やはりイソラが思った通りの人物だったが、直接会話という会話をしたことがない故に名前はまだ浮かばない。
「ケン・セイさんの隣にゥ」
「ああ」
「あたし、布広げるっ」
 イソラは二人に先立って戻り、テントの端に畳まれた清潔な布を草原の上に敷き広げる。
「なにがあったの、ゼィロスさん!」
 問いかけたイソラは、ゼィロスも重傷には程遠いが所々に傷があり、薄汚れていることに気づく。なにか戦いでもあったのだろうか。
「ホワッグマーラが襲撃されてる」ゼィロスはィルと共に男を寝かせながら答える。「ズーデルだ。イソラちょうどいい、お前もついてきてくれ。少しでも戦力があった方がいい」
「うんっ!」
 イソラが間髪入れず頷くと、ゼィロスはィルに向き直る。
「グースを頼んだぞ、ィル」
「当然ゥ」
 ナマズ顔が力強く答えると同時に、テントには大勢のこれまたナマズ顔がなだれ込んできた。それぞれがグースの周りで迅速な動きを見せはじめる。
「行くぞ、イソラ」
 そう言ってゼィロスがイソラに触れようとした折のことだった。彼女を呼ぶ声がしたのは。
「イソラ……」
「えっ」
 その声はケン・セイのものだった。
 ケン・セイが、右手をつき、上体を起こして彼女の方を向いていた。
「お師匠様っ!」
 起きたのだ。
 イソラは駆け出し、草原を膝で滑る。そして師匠をがっしりと抱き込んだ。
「おはよう! おはよう、お師匠様っ!」
「……ぅ」
 まだ寝ぼけているようではあったが、その反応には戸惑いが乗っていた。状況を理解しきれていないまでも、反応はできている。
 ゼィロスが驚きの声を漏らす。「……起きたのか、ケン・セイ」
「……ゼィロス、イソラ、いったい」
「薬の副作用がほとんど切れたんだゥ、あと少しすれば、ちゃんと頭も回るゥ」
「薬?……『賢者狩り』の睡眠から起こす薬か?」
「そうゥ。イソラたちが解決してくれたんだゥ」
「そうだったのか。後で詳しく聞くとしよう。今はホワッグマーラだ。イソラーー」
「あ、うん、今行く」
「いや、いい。そうじゃない」ゼィロスはケン・セイから離れたイソラを手で制した。「ケン・セイについていてやれ。俺は一人で戻る」
「……わかった。でも、お師匠様がちゃんと起きたら、一緒に行くよ!」
「駄目だ。長い間寝ていたんだ、身体は鈍ってるはず。無理をさせれば、今度は眠るだけじゃすまないぞ」
「そっか――」
 冷静さを欠いていた。ホワッグマーラで戦いが起きていること、ケン・セイが目覚めたことに頭の整理が追い付いていなかった。ケン・セイを本当に失うという脅しめいたゼィロスの正確な判断に、イソラはぞっとしつつも心を落ち着かせる。
「――うん」
「ではな」
 白い空間に赤紫の光が閃いた。




 それから半刻も経たない頃合いだった。
 ホワッグマーラに向けていた感覚が、突然にして彷徨った。
「ぇ……」
「イソラ…‥」
 訝しんで小さく声を零したイソラに、意識がはっきりしだしたケン・セイが険しい表情を向けてきた。感覚においては師匠を上回るイソラ。彼もなにかを感じているのだろうが、全てを把握できているとは思えず、彼女は自分が思ったままを口にする。
「ホワッグマーラ、消えちゃった……!」

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