碧き舞い花Ⅱ

御島いる

73:竜、死して終わらず。

 ぼとっ、ぼと……。
 鮮血が瓦礫に吸い込まれていく。
 血。
 竜人の血。レキィレフォの血。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 鋭い爪で抉られた脇腹を押さえながら、シァンは逆鱗竜人を虚ろに睨む。無傷の敵が彼女に向かってくる。
 負けるわけには、いかない。
 あんな見せかけだけの竜人に、負けることは許されない。
 自分の中には血も、魂も、本物が籠っているのだ。誇り高き竜の意思を、簡単に折るわけにはいかない。
 朦朧とする意識の中、ヒィズルでのある日を思う。自身に流れる血について知った日のことを。




 ~〇~〇~〇~
「感覚を連結させる……痛みも分散できる……あたしにそんな力があったんだ」
 さすらい義団と共にヒィズルを訪れたシァンは、ある日、角の折れた竜人デラバン・シュ・ノーリュアに竜の逆鉾の前に呼び出された。
 そこで彼から、ハーフである彼女が持つもう一つの血についての話をされたところだった。
「今度レキィレフォを訪ねて、使い方を教えてもらうといい」
「うん、みんなにも相談してみる。ありがと、デラバンさん・・
「……さんはやめなさい、シァンちゃん。今まで通りデラバンでいい」
「……だってもう」
 シァンは逆鉾に向ける目を細める。
「団長は最後まで避難誘導をされていた。守護団団長としての任を全うされたのだ。いや、竜人の父として一人でも多くの愛すべき者を守ったんだ。責任なんてものは関係なくな。その志は今でも俺を導くものだ。いつまでも、あの人は俺の団長だ。だから、その娘であるシァンちゃんは、今まで通り生意気でいい」
「……生意気って、ひどい」
「ふんっ。実際そうだろ?」
「あっそ……そういうこと言うんじゃ」シァン上がった口角に、涙が伝う。「お給料、下げてもらっちゃおうかな」
「団長はやりかねないからな、謝るよ、シァンちゃん」
「うん……許したげる、デラバン」
 そうして偉大な竜人の父の死を静かに悼み、涙の引いたシァンが道場で稽古をつけてもらっている仲間たちの元へ向かおうとしたところ、デラバンが彼女を呼び止めた。
「まだ話すことがあるんだ、シァンちゃん。君の本当の父親について」
「本当の?」
「ああ、こっちもちゃんと知っておいてほしいと思う」
 虹架諸島観察守護団団長ヒューゴス・ド・ガースは養子のシアンにとっては義父。もちろん彼女は心から彼のことを本当の父親だと思っている。優しく、親ばかな、偉大なる竜人。しかしそんな彼でも、彼女に両親のことを話したことはなかった。
 シァンがそのことを気にしたことがなかったということもあるが、姉であるウィスカについては守護団に勤めていた二人の忘れ形見だと、聞きもしないのに何度か口にしていた。だから、なにかあるのだろうなとは子どもながらにシァンは思っていた。
 その真実が今、デラバンの竜の口から語られる。
「シァンちゃんの父親は、ワィバーだ」
 その言葉に沈黙が下りた。
 シァンは最初、デラバンが冗談を言っているのだと思った。ワィバーとはつまり、ワィバー・ノ・グラドであって、虹架諸島の裏社会を牛耳るグラド一家の首領だった男だ。他に思い当たるワィバーは彼女にはいなかった。
 確かにワィバーは子どもが多いことで知られていた。だからと言って自分がそうであることなど、誰が想像するだろうか。自分が悪人の子であることなど。
「ショックを受けるのも仕方ないだろう」デラバンが沈黙を破り、芯のある声で言う。「しかし、シァンちゃんの二人の父はどちらも偉大だということを知っておいてほしいんだ。団長は表から、ワィバーは裏から。二人とも虹架諸島と竜人を守っていた」
「ワィバーも守ってた?」
「ああ」
 それからシァンはデラバンから、ワィバーが悪事の裏でやっていたことをすべて聞いた。『夜霧』との関係についても。当然、表立ってやっていたことは褒められたものではない。それでも確かに、守護団対反社会勢力班の長として、一番グラド一家と接することの多かったデラバンが語るすべてに偽りはなく、真実なのだとシァンは理解した。
 現在ヒィズルに生き残った竜人たちの数は決して多いとは言えない。それでも全滅しなかったのは、ワィバーをはじめとするグラド一家が最後の最後まで『夜霧』に抗ったおかげだった。
 すべては竜人を護るため。
 その覚悟は汚れに隠されたまま、多くの者の目に触れることはなかった。多くの者がグラド一家を、ワィバーを恨んだまま命を終えたのだろう。
 シァンは逆鉾にそっと手を触れる。冷たいが、温もりのある質感だった。なにかが伝わってきて、彼女は胸の中に、そのなにかが、ともしびとなって揺らめいた気がした。
 そして全てを話し終えたデラバンは、最後にこう付け加えた。
「誇り高き竜人の血と想いが、君の中には宿ってる。それを忘れないでくれ、シァンちゃん」
 引いたはずの涙が溢れて、シァンの竜の眼は輪郭をおぼろげにしていた。
 ~〇~〇~〇~




 あの時、心に揺らめいた灯。
 なにか。
 なにかが、なんなのか。シァンはこの窮地にわかったような気がした。
 これは偉大な二人の父の遺志なのだ。
 なにがどうなったかはわからない。どうして灯が揺らめいたかなんてわからない。
 ただ、自分はレキィレフォの血も引いている。
 雑な素人考えだが、きっとあの慰霊碑に触れたことで、繋がったのだ。眠った賢者たちよりも強い結びつきを持った、竜人の英霊たちと。
 感情的なものではなく、本当に繋がったのだ。
 そう思っていると、灯に自分のものではない感情が燃えているように感じられた。
 悪いことをしていたことへの償い。多くを救えなかった罪悪感や後悔。
 見守ってくれている。信じて託してくれている。
 竜の覚悟。
 引き継ぐんだ。
 気高くも柔和な眼差しが思い浮かぶ。
 きっと、大丈夫だ。




 シァンは一片ひとひらの逆鱗花の葉を、口に運んだ。



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