和風MMOでくの一やってたら異世界に転移したので自重しない
幕間 景保の事件簿 Case4 完
「それで、犯人が分かって魔道具も取り返せたって本当なの?」
「えぇ、今ちょっと外にいる馬車に色々と積んでいて整理してもらってるんで、先に経緯を話させて頂きます」
襲撃事件の次の日、午前中に景保はルネ夫人の元へ訪れて全て解決したと伝えた。
現在、玄関ホールにて、景保とタマの他にルネ夫人以下九名がぐるりと円陣を組むように顔を突き合わせて全員が集まっている最中だ。
タマを含めた計二十の瞳が一斉に自分を注目していることに緊張を感じながらも、景保は用意してきた台詞を並べていく。
「昨日、実は僕は悪漢――いや暗殺者に襲われました。相手の目的は僕を今回の依頼から手を引かせることでした」
波打つようにざわざわと周囲から衣擦れや呟き、囁くような声が発生する。
「大丈夫だったの?」
ルネ夫人の心配する言葉に縦に首を傾け、両手を広げて無事をアピールした。
「ええ、見た通り怪我はどこにもありません。というかむしろ僕にはラッキーでした」
「ラッキー?」
暴漢に襲われてラッキーとはなかなか酔狂な言い回しをする景保にほとんどの者が眉をひそめる。
その反応を一通り観察しながら答えていく。
「そうです。なぜなら昨日の段階で僕は大したことが分かっていなかったから、情報を持った人が自分から来てくれて助かったと思いました。そして彼を尋問して幾つか分かったことがあります。これは収穫でした」
「その人が犯人ではなかったの?」
「ええ、彼は僕を脅してこの事件から離れさせる依頼を請け負っただけのただの部外者でした」
「じゃあその人から犯人が誰かを訊けたのね?」
その質問には景保は少し脱力して顔を横に振って否定する。
「いえ、仲介屋を通していたみたいでそれは分かりませんでした。彼が仲介屋から訊いていたのは、『僕が受けている依頼を止めさせる依頼をしてきたこと』『僕の簡単な見た目の特徴と狐獣人の一人娘を連れている情報を添えてきたこと』それぐらいでした。一応、その仲介屋は他の人が追っています。捕まるかどうかは分かりませんが叩いたら埃が出る身ですし、証言の裏は取れるんじゃないですかね。ただ依頼者が誰かについては十中八九、顔を隠して依頼されているでしょうし、ここからも辿るのは難しいと思います」
これは本当のことだ。魔術師ギルドに連行して、彼らの作ったよく分からない自白剤のような薬を飲まされる実験体に使われた男は気を失うまでこの情報しかもらさなかった。
景保としてはバッチリ事件解決できると期待していたのに、あまりにも得られた情報が少な過ぎて最初訊いた時はガッカリしたぐらいだ。
仲介屋を捕まえたら犯人が分かる可能性もゼロではないが、顔を晒してそんな依頼しに行く馬鹿はいないだろう。
「何だよそれ。じゃあ結局、分からずじまいってこと? でもさっき分かったって言ったよね?」
この中で一番年若く短気そうなロッソが結論を急かして声を荒げる。
ただそれはこの場にいる全員の代弁でもあり、みんな小さく頷いていた。
景保がぐるっと確認するように見つめてくる目に合わせていく。
ルネ、ロッソ、エカテリーナ、ミア、そして他の使用人たち。
自分の話を張り詰めた空気の中、じっと耳を傾ける彼らを眺め続きを紡ぐ。
「いやそうではありません。ここまででほぼ一人に絞り込めることができました」
「これだけのことでですか!?」
ミアがエプロンドレスのメイド服を揺らし怪訝そうに声を張る。
さすがに彼女からしてみればこれで何が分かるのだと言いたくなったようだ。
「そうです。よくよく考えてみるとあんまりにも襲撃が早すぎることに僕はまず気付きました。仮に外部犯だとします。ただの窃盗団や泥棒なら追い詰められてもいないのにわざわざ僕を暗殺する必要はないですよね? むしろ変なちょっかいを掛けて足が付くだけです。そしてルネ夫人を妬んだ他の金持ちや貴族の犯行であるならば、僕が捜査をしていると掴むのに早すぎるんです。そもそも僕が依頼を訊いて即日いきなりやってきたのもかなり突発的なことでした。それではさすがに僕が何のためにお屋敷に来たのかすら分からないはずです」
そこで一拍、間を開けてから結論を述べる。
「つまり、犯人は内部犯、もしくは外部に情報を漏らしている内通者がいるということになります」
「そんな!」
ルネ夫人は最も信じたく無かった事実を告げられ、みるみる顔が強張っていく。
他の面子も同様に、自分たちの同僚の中に犯人がいるなんて信じられないという様子だった。
「と言っても内通者の線も薄いと僕は思っています。なぜならロッソ君の指示でずっと二人一組みで行動しているはずです。みなさんに確認したいですが、昨日僕が帰ってから襲われるまでニ~三時間というところですが、その間に一人で行動した人物はいますか?」
「いえ、おりません。ルネ様からもそう言われておりますし、自分たちも疑われないように意識して複数人で行動するようにしておりますから。その数時間だけなら間違いないと断言できます」
この質問には使用人たちは顔を見合わせて否定した。
「ならまぁ信じていいでしょうね。内通者が複数いて口裏を合わせたのならお手上げだけど、今回のことはそこまでする必要も感じられない。使用人たちの内通者という可能性は消していいと思います」
「でも犯人の可能性はまだ残るんですよね?」
ミアが代表して突っ込みを入れてくる。
促されるままに景保は「いえ」と打ち消す前置きを置いた。
「使用人たちが内通者でもなく、単なるお金目的や恨みでの窃盗犯の場合。これは暗殺者を雇うというのに無理があります。少なくない額の依頼料を魔道具を売ったお金などで工面するなんて本末転倒。そんなことをするぐらいなら夜逃げでもした方がいいし、恨みの矛先が完全に間違っています。それに昨日は一人になる時間は無かったんですよね? だから僕の推論では、使用人の方々は全ての疑いから除外していいと思っています」
ほっと胸を撫で下ろす使用人たち。
「じゃ、じゃあ……?」
ミアが顔を上げ、ルネ、ロッソ、エカテリーナたちに複雑な思いで目を向ける。
さすがに彼らの中に犯人がいるとは誰も考えておらず、もし内部に犯人がいるなら使用人たちの内の誰かだろうと全員が思っていた。
雇い主であり忠誠を尽くすべき主人たちを疑うというのは心苦しいものがあるが、探偵役の景保が示唆するのは残りのその三人の中にしかいなかった。
「ええ、昨日捜査は順調だとルネ夫人がお屋敷中に大声で宣伝して回りましたよね。あれは全員の耳に入っているはずです。僕の捜査が上手くいっていると思い込んで暗殺者を雇う理由と金銭的余裕があり、相互に監視されていなかったのはこのお三方だけになります。部屋に篭もるとか言えば外に出る時間を作ることは比較的容易でしょう。僕が帰ったあとにすぐに町に出て裏稼業の人間に頼んで襲うまで二~三時間ってけっこうタイムアタックなところは否めませんけどね」
「でも、ルネ様たちなら逆に盗む動機が無いですよ?」
「そうなんですよね。保険金目当てとかならルネ夫人の自作自演ということも考えられたけどそういうものではないし、わざわざ捜索を依頼をするというのもおかしい。まぁポーズという線も無くはないですが」
「保険金?」
「すみません、こっちの話です」
現代の推理ものなら、お金に困って保険金を掛けた絵画や壺などを盗まれたと偽って保険会社からお金をせしめるという動機のドラマはある。
でもこの世界では保険のシステムの概念がまだない。
「ふざけるなよ。言うに事欠いて俺たちを疑うのか?」
これに耐えられず猛反発したのはやはりロッソだった。
その気位の高さからこういう反応をしてくるのは想定済みではある。
「姉さんも何か言ってやれよ! 何を黙ってるんだよ?」
「……」
ただロッソに背中を押されても姉のエカテリーナは俯いて沈黙を貫いたままだった。
さすがに不自然でここにいる面子の全ての目がそちらに向く。
まさかという思いが伝搬していった。大人しくて病弱で彼女が家宝を盗むなんて大それたことをするなんてあり得ない、と誰もが考えるも、その頑なな態度は容疑を肯定しているように見えてしまう。
そこに景保は淡々と言い放つ。
「僕が犯人と思っているのは『ロッソ』君。あなたですよ?」
「は?」
一同も仰天した。
エカテリーナが犯人かという流れになりそうだったのに、いきなりの進路変更だ。
「おいおい正気か? 俺はこの家の長男だ。家督を継げば何にもしなくても所有権は俺の物になる。それを自分から盗む馬鹿がどこにいるんだよ?」
「それを言われると弱いんですけどね、実際、動機については分かっていませんし」
「なら!」
「でも、あなたしかいないんですよ」
食って掛かりそうな勢いのロッソに対して景保は毅然と話す。
「一体どんな証拠があるっていうんだよ?」
「先程、暗殺者が依頼人からもたらされた情報で『僕の簡単な特徴と狐獣人の一人娘を連れている』と言いましたよね?」
「それのどこがおかしいんだよ?」
「その設定は昨日、僕が来訪するまでにルネ夫人が流した情報でしょうが、ルネ夫人とエカテリーナさんには直接、僕とタマは親子ではないと否定しています。三人の中でその話題が出なくて誤解したままなのはロッソ君、あなただけなんですよ」
「そんなの!」
「ええまぁ、状況証拠です。暗殺犯の男が嘘を言ってる可能性もありますし、物証はありませんね。でもさっき言った仲介屋が捕まればいくら顔を隠していても声や風体で大体分かるんじゃないでしょうかね? 十代の男の子が依頼主というのは」
「……っつ! それだって偶然が重なっただけということもあるだろう? 例えば姉さんが町で十代の男を雇ってさらに間に挟んで仲介屋に依頼した可能性だってあるはずだ」
「相当に回りくどいですが、確かにそうですね。可能性だけならいくらでもあります」
ロッソが仲介屋と会っている写真だとか、報酬の金貨にロッソの指紋が付いているだとかそういう物証があれば良かったのだが、そこまではこの世界では望めない。
これまで状況証拠の積み重ねしかないため、本当ならロッソを犯人だと断定するのは戸惑いがあった。
魔術や天恵など不確定要素が絡んでいるかもしれないので、そういうのが関わっていないと勝手に決めつけたたぶん穴だらけの自分勝手な推理をこれ見よがしに披露して間違った日には、この町にはいられなくなるほど恥ずかしく、そして失礼なことだ。
しかし、幸運の女神は景保に味方した。
「さて、犯人ついての情報がありましたが、実はここまでで盗まれた魔道具の在り処については全く手掛かりがありませんでした」
「あ」とみんな小さく口を開ける。
確かに、魔道具がどこにあるのかについては謎のままだ。
「実は全然別のルートから見つけることができました。正直、ただの運なので心苦しいんですが。もう入ってきてもらって大丈夫ですよ?」
景保が外に呼びかける。
そこから連れ立って入ってきたのは、縄で縛られた男が二人と、それを拘束する魔術師ギルドの職員が二名、それに例の黒い水晶玉を大事そうに持つ一名だった。
そこに二度目の「あ」が唱和される。
「この二人に見覚えはありませんか?」
「あ、あります!」
景保の問い掛けに使用人たちが肯定する。
それは事件の日にロッソが部屋に招いた友人と呼んでいた二人だった。
彼らは目を合わせようとせず横を向いて些細な抵抗をしているが、それがもうしゃべらなくても自ら告白しているのと同じだ。
そして彼らは、おととい景保が倉庫街で氷漬けにした窃盗団の一員でもあった。
さしものロッソも苦い顔をする。
「彼らは窃盗団で、先日、僕が捕まえたんですが、その押収品の中に見覚えのある黒い水晶玉があるのを魔術師ギルドのギルド長が発見しました」
昨日尋ねた際にギルド長がいなかったのは、彼らが隠し持っていた盗難品を実況見分するのに同席していたからだった。
その中に見知った物があってトントン拍子に景保の耳に入ることとなる。
病院で寝込んでいる彼らに回復符術を使い話させたところ全容が分かったのだ。
要は最初に彼らを出せば良かったのだが、その前に状況証拠で周りを固めたかったという狙いもある。
「あらましはこうです。彼らを友人として招き入れ、帰ったと思わせておいて自分の部屋に隠れさせる。そして夕食時に人目に見つからないよう夫人の部屋から水晶玉を盗まさせ堂々と玄関の鍵を開けて出て行くというものです。そしてロッソ君が早めに退出して内側から外された鍵を掛けるだけで密室の出来上がりです。あとは自分も含めて全員の部屋をチェックすれば外部犯に疑いの目がいくようになる。そんなところのようですね。ちなみに宝石類が失くなっていたのは彼らが欲を出してくすねただけでした」
単純どころか杜撰ですらあるが、被害者であるはずの側の人間が犯人であればこれほど狡猾なこともない。
使用人たちも、客人の帰宅への応対は誰かがしただろうという勝手な思い込みがあった。
「これでもまだ否定されますか? もしされるならこの窃盗団の二名が読書仲間ということだそうですが、彼らとの出会いから何まで全て証明して頂かないといけませんが」
景保としては、ぐうの音も出ないほど追い込んだつもりだ。
かなり運に助けられたものの、少々自分に酔っていた節がある。
そこに冷水を浴びせられるかのごとく、ぴしゃん、と乾いた音がした。
ルネ夫人が言い返しようもないロッソを平手打ちしたからだ。
「どうしてそんなことしたの! あなたがやった行為は自分の姉や無実の使用人たちを陥れることになっていたかもしれないのよ? しかも暗殺者を雇うですって? 自分のしたことが分かっているのかしら!」
ルネ夫人と会ったここ二日で景保は彼女が笑っているところしか見たことがなかった。
子供っぽくいつもおどけて明るく振る舞っていて、特殊な人間だと思っていた。その彼女が悔しさとも怒りとも分からない複雑な顔をして、唇を震わせ涙を流していた。
それを見て言葉を失う。
彼女は『母親』だ。景保は自分が母親の前でその子供を犯罪者として暴露してしまったことに気付いた。
この事実はなんと残酷なことだろうか。賢しらに正義という建前の元、このような大勢の人のいる前で、何の配慮もなく曝け出してしまった。
さながらリンチにも等しい残酷な行為。
景保の舌はロッソだけでなく、ルネの心にも切っ先を鋭くして貫いたのだ。
もっと他に良いやり方があったはずなのに、ただ犯人を暴くことのみに執着して浮かれてしまっていた。
自分の考えの無さに肝が冷える思いをする。
「……そうやって子供扱いするところだよ! 俺がなんて言われてるか知ってるか!? 母親の言う通りにしか物事を決められないマザコンだよ! 父さんが小さい頃に死んでずっと母さんの言うことを聞いてきた。それで良いと思ってきたけど、最近じゃいつ継げるのかも分からないまま暗闇を歩いている気分だったよ」
「人の甘言に惑わされている時点であなたは子供なんです。自分のしたことの結果も責任も何も考えていない。それでよく当主の資格があると思うわね」
赤く腫らした頬で激昂するロッソと、哀泣しながら整然と主張するルネの親子の遣り取りをする光景に景保は胸が痛くなった。
当然、原因はロッソだが、これ状況を作ることに加担してしまったのは自分だ。けれども、単なる部外者が立ち入れる問題ではない。
それが痛いぐらい分かり、他の人たちもそうで、立ち尽くして眺めていることしかできなかった。
ただ一人を除いて。
「二人ともやめて!」
唯一、この二人に意見できる人物――エカテリーナが細い体にぐっと力を入れて大声を出した。
あまりエカテリーナの叫びを聞いたことがなかったのだろう、どちらも一瞬で黙り目を白黒させる。
いやロッソだけはすぐに息を吹き返す。
「姉さんのそういうところだよ。普段は控えているくせに急にしゃしゃり出てくる。最近は母さんの部屋に毎晩出入りしていて、魔道具の使い方を教わっているのを知っているんだぞ? 後継者を姉さんに変更する準備をしていたんじゃないのか? 俺がその魔道具を盗んだ理由はまさにそれだよ! 困らせてやりたかったのと、もし使えるなら父さんが生きていた過去に戻りたかった! 父さんなら俺が正しいって言ってくっれるはずだ!」
「な!?」
その言い分にルネ夫人は衝撃を受けた。
言葉が出なくなった彼女の代わりに、エカテリーナが口を開く。
「それは誤解よ」
「何が誤解だって言うんだよ!?」
「確かにお母様の部屋で魔道具の使い方を教わって使っていたわ」
「ほらみろ!」
「でもね、そういうことじゃないのよ。当主の座とは何の関係もないことなのよ……ゴホッゴホッ……」
「エカテリーナ様!」
すかさずミアが彼女の背中を擦って抑えようとする。
だがエカテリーナはは白い顔をしながらも懸命に分からず屋の弟を諭すために背筋を伸ばした。
「お母様、こうなったらロッソにも見せるしかないと思います。ロッソが家督を継ぐ時にと言われていましたが、今しかないと私は思います」
「……分かったわ。渡してもらえるかしら?」
ルネ夫人から要求され、ギルド員は水晶玉を彼女に手渡した。正しき所有者に無事、返還される。
それに手を当て「ルネ・レコディアが命じます。起動しなさい」と宣言すると、水晶玉に光の筋が生まれていく。
それが一定数を超えると、
『ルネ・レコディア様の指紋認証と音声認証を確認しました。本日はどのようなご用件でしょうか?』
光が明滅し、男性のような声が発生した。
その摩訶不思議な現象を目撃したメンバーたちは悲鳴をもらす者や、ぱっくりと大口を開ける者など様々だ。
景保もその内の一人だが、最も驚きは少ない方で、どちらかというと胡散臭さを感じていた。
「主人の、『マッティ・レコディア』の記録を出して欲しいの」
『畏まりました。いつのものが宜しいでしょうか?』
「『ロッソ・レコディアが当主になった時』のを」
数瞬のあと、その場に三十前後の知らない男性が唐突に出現した。
騒然となった。ミアなど比較的若めの使用人たちは見知らぬ人物が増えたことに腰を抜かし、年配の者はその人物の顔を見て涙を流して腰を折る。
「う、嘘だ……父さん……」
ロッソは天変地異でも起きたかのように驚愕に顔をひび割れさせた。
その男は髪の色や顔立ちなどロッソによく似ている。彼を歳を取らせたら確かにこのような容貌になるのではないかと連想させるには十分だった。ただ頬がややこけていて、あまり元気ではなさそうな印象がある。
『よう、ロッソ。当主就任おめでとう。元気にしているか? 俺の体の弱いところをエカテリーナには継がせてしまったが、お前は大丈夫だよな?』
「父さん! 父さんが生き返った! あぁ……! 俺はこれがしたかったんだ!」
衆人環視の中、景保に問い詰められても、母に頬を叩かれても涙を見せなかったロッソがついにくしゃくしゃに顔面を歪ませ泣き崩れた。
男――マッティ・レコディアはしかし無様な息子を見てもその態度に変化はない。
『お前がこれを見ているということは、残念ながら俺はもう死んでいないということになる』
「は?」
『まだ幼いお前とエカテリーナを残してすまんな。本当ならお前が大人になるまでに伝えたかったことややりたかったことがいっぱいある。一緒に馬に乗って狩りにも行きたかったし、上手いラビ肉を出してくれる店で朝まで酒を飲み明かしたかった。秘蔵の骨董品の良さや、良い夜遊びの仕方とか、良い女の見つけ方も教えてやりたかった。あぁ貴族社会のうんざりするようなルールやあしらい方なんてものも必要だろうな。でもすまん、教えてやれなかったようだ。ルネがしっかりしているからたぶん大丈夫だろうが、お前には人から慕われるような男になって欲しい。馬鹿でも間違ってもいいんだ。でも人の絆を大切にする人になっていて欲しい。……これを見ているということはお前はもう二十歳だな。どんなやつになってるんだろうな? 信頼できる友達はいるか? 一生を添い遂げたいと思う女はできたか? 十八歳以上になるのとその二つがいることが当主になれる条件だ。今見てる時点でクリアしているんだろうけどな。何だそれって思うなよ? 信用できる友も守ってやりたい女もいないやつは家なんて到底守れない。俺はそう思ってるんだ』
「ストップ」
ルネ夫人がそう口に出すと、マッティがロボットのようにぴたりと停止した。
景保が目を細めて観察すると、それは熱も質量も持たないかなり精巧にできたホログラムのようなものらしい。
目線もロッソへ向けているように見えて、少し外れていた。
つまりこれは人が生き返ったのではなく――録画再生だ。
「父さん?」
父のその異様な有り様にロッソがぐしゃぐしゃの顔のまま首を傾げる。
「それはマッティではないわ。あくまで過去のマッティの記録よ」
感情を押し殺そうとしている表情のルネ夫人だが、その声は愛する者へ再び会えた偲ばれる喜びが混じっているのが分かる。
「これが『時を操る魔道具』ですか」
「そうよ。生きていた過去の言葉と映像をこれに封じ込められるの。遺言もそうだけど、懐かしい人にもう一度会える魔道具よ。マッティの残した遺品。社交界など決して得意ではない私は、これを使うことを思い付いたの。これを他の貴族たちにも貸して作り出した縁のおかげで、当主不在のまま後継人の状態が長く続く当家でも落ちぶれずに残っているのよ」
いくら外では仮面を被っていても元があの天真爛漫な性格の夫人だ。一人で切り盛りするのはよほどの苦労があったのは想像に難くない。
この特異な魔道具のおかげで他の貴族に恩を売って後ろ盾を構築してきたという背景は透けて見えた。
ただ『時間を操る』という点はある意味では間違ってはいないが、景保が考えていたものとは全然違う効果の代物で、ガッカリするべきなのか危険な物が有り触れていなかったことに安心するべきなのか、どう結論付けたらいいのか景保自身もまだ混乱している。
「条件があったなんて知らなかった! ただ母さんの裁量に任せただけだと思っていた!」
流した鼻水を袖で強引に拭き取り鼻を赤く染めたロッソが吠える。
彼の頭の中はもうこの顔以上にめちゃくちゃだろう。犯人として大勢の前で露呈し、念願の父の面影と再会し、母を恨んでいたのは誤解だと悟った。
「あの人の意向で条件を教えるわけにはいかなかったから。でもそれがあなたの負担になっていたとは思いもしなかったわ。ごめんなさい」
夫人がしおらしく頭を下げる。
「ちょっと待ってくれ。なら、なんで姉さんはそれを使うことを許されていたんだ?」
「それは……」
「お母様、私から伝えます」
すっと一歩前にエカテリーナが進み出る。
彼女は悲しそうに眼尻を下げてロッソを真摯に見つめた。
「私には今、縁談の話がきているのよ」
「は?」
彼女の年齢はおそらく二十歳前後。なら年齢的には適齢期か、貴族としてはやや遅いぐらいだろう。
狼狽えるロッソが落ち着く暇を待たずエカテリーナは先を続ける。
「お相手は『ノーリンガム帝国』の貴族よ」
「馬鹿な! 何で? しかも別の国だって!?」
まだこの世界に来て一週間ほどの景保の浅い知識では、隣国ということしか分からない。ただ反応からして滅多にない話なのだというのは伝わってくる。
「昔は戦争もしていたけど、最近はそういうこともないわよね? だから両国の親善の意味も込めた婚姻よ」
「単なる政略結婚じゃないか! いや、それは貴族としては付きまとう話だけど、こんなの――都合の良い厄介払いじゃないか」
当然、今は表立って争っていないと言えども仮想敵国への嫁入りに志願する娘などいない。あり得るとすれば、病弱でまともな縁談ができないエカテリーナのようなあぶれ者に白羽の矢を立てられたということだ。彼女のような娘ならば国としても文句が出にくい。
ロッソはそれにいち早く気付いた。
「そうね。そうかもしれないわね。でも私はこんな体だからお父様のように長く生きられるかも分からない。国の役に――いえ、あなたやお母様の役に立てるならそれで構わないのよ」
「生きてまたここに戻って来ることがないかもしれないんだよ?」
それはエカテリーナのひ弱な体のこともあるし、相手の家でどのように扱われるかも分からないことを指している。
おそらくは飼い殺しだろう。最悪、体裁を保つために数年で病気で死んだことにされ、相手の男は飄々と再婚して彼女がいたという事実はほぼ無かったみたいにされることだってある。
「承知の上よ。だからね、もう二度とあなたに会えないかもしれないから、お母様は魔道具の秘密を私に明かし、あなたへのメッセージを毎日夜にそれに残したの」
それを全て飲み込んだ上で、彼女は揺るがない決意をすでに決めていた。
エカテリーナの行動の意味は分かった。結局は全てロッソの焦りが生んだ誤解からきた事件だったということだ。
ただここではいそうですかと終わらない。
「本当にごめんなさい! 心からの謝罪を申し入れます」
急に彼女が地面に手を付き土下座をした。スカートが汚れるのもお構いなしの思い切った行動だった。
その場にいた全員が肝を潰される。
貴族で淑女であり、今回は被害者側の立場であるエカテリーナの突然の軽挙な振る舞いに誰もが唖然とした。
「な、なぜ姉さんが謝るんだよ!?」
「仮に誤解であったとしても、あなたがやったことはなぁなぁで済ましてはいけないことだからよ。長年仕えてくれた使用人たちにも疑いがいくようにし、しかもカゲヤスさんの命まで狙った。許して頂けるかは分からないけど、許してもらうしか無いでしょう。これはルネ家の人間の責務だと思っています」
いや、とさっき感じたことを景保は否定する。これは軽はずみな行いではなく、高潔な行動だ。
姉が必死に弟のために心を砕いて頭を下げるのを見て、慌てて口を開く。
「待ってください。すみません、調子に乗って暗殺者と言いましたが、ロッソ君は命まで奪おうとはしませんでした。雇われた男が勝手にそうしただけです。そこの行き違いだけは正したい」
「それでもです。それでも人を雇って襲うなんてこと、お父様が生きていらしてたらきっと殴ってでも止めたはずです」
「私からもお願いします。不肖な息子が起こした事の顛末、何卒お許し頂けないでしょうか? もちろん親子の情は捨て、更正するまで私が責任を持って教育し直します」
ルネ夫人は直接の雇い主という立場から土下座までには至らなかったが、それでも深く腰を曲げて真剣に侘びた。
『景保ぅ~』
タマが謝る二人に心を痛めたようで景保の袴を小さく引っ張ってくる。
景保としては言われるまでもなく、彼女たちにいちゃもんを付ける気は全くなかった。
「僕はそれで構いません。襲われたことも特に何とも思っていませんから」
「わ、私もそうです。奥様、エカテリーナ様、顔をお上げ下さい。私共もお客様の送り迎えなどしっかりと仕事をしていればこんな大事になる前に解決したかもしれません。どうか、今までお世話になっている分の恩をお返しさせて下さい」
ミアがそう言って同僚たちを見回すと、他の使用人たちも頷いて賛成の意を示した。
「ミア、みんな。ありがとう」
ミアの手を借りてエカテリーナが立ち上がると、一斉にロッソへと視線が向けられる。
彼は苦しそうに顔を潰したあとに、自分が言うべき言葉をようやく見つけた。
「ごめんなさい……」
と項垂れた。
□ ■ □
「という結果になりました」
「まーたお手柄を上げちゃったねぇカゲヤス君! 儂としても鼻が高いよ。うんうん、やっぱり君が魔術師ギルドに来てくれたのは女神リィム様のお導きってやつかもしれないね。今度冒険者ギルドのギルド長が帰る時間に建物の前を往復してからかってやろうかと思うんだけど、君も来るかい?」
「遠慮します」
たった二日だが、それなりに濃かった事件の依頼報告を景保は終えたところだ。
基本的に被害者であるルネが公的機関に報告をしていなかったことと、使用人や景保が問題にしなかったことでロッソはお咎め無しということになった。
ただ信頼を回復するにはこれからが大変だろう。ルネの目は増々厳しいものになるだろうし、使用人たちを見るたびに自分が犯したことを思い出すことになる。それが罰と言えば罰だ。
後から思うと、ひょっとしたらルネ夫人は勘程度のものでもロッソが犯人だと気付いていたのかもしれないとも景保はふと思うが、それは分からないままだ。
「それで? 魔道具は使ったの?」
「いえ、今は用途が浮かばなかったので保留ってことにしてもらっています。好きな時に好きなだけ使っていいとは言われていますし」
結局、あの魔道具は前情報が物々しかっただけで単なる日用品だったのだろう。
景保としては無駄足みたいなものだったが、報酬の金貨は奮発してもらえたのでそれなりに満足はしていた。
「ふーん。あ、そう言えば儂のおかげで三人の中からロッソ君に犯人を絞り込めたんだって? 感謝してくれるなら新しい魔術を見せてくれてもいいんだよ?」
「いやぁ、迷惑も掛けられているんで相殺でしょう」
「意地悪だなー。タマちゃんもそう思うよねー?」
『意地悪なところもあるけど、優しいところがもっとあるから好きなのー!』
「儂のことはー?」
『ボイドはちょっとだけ好きなのー!』
「そっかー! ……カゲヤス君に嫉妬しちゃうなぁ?」
上半身を乗り出しタマに見られていないのをいいこに、どこぞの不良だと言わんばかりにメンチ切ってくるジジ馬鹿っぷりを見せつけるボイドに閉口しながら、景保は帰り際にルネ夫人に語られたことを追走する。
『ねぇカゲヤス君。こんな話を知っている? 三十年ぐらい前にね、獣人と異種族結婚した男性が妻の死をキッカケに、幼い子供を取り上げられそうになってこの町まで逃げてきたの。でもね、やっと辿り着いたのにその子供が病気に罹るの。男は必死にその子を治す方法を探したわ。体に良いとされる薬草や魔物の素材があれば命の危険を惜しまず身を投げ打ち、高名な治療師がいれば家の前で三日三晩頼み込んだ。けどそれはどんな魔術でも薬でも治らずやがて子供は亡くなったの。治療のために東奔西走する彼は目立っていたから失意のどん底に落ちた時、みんなが励ましたわ。後追い自殺するんじゃないかってほどに弱っていた彼を放っておけないって。そうしてようやく立ち直った彼はもうこれ以上同じ悲しみが生まれないように、魔術師ギルドに入って新しい魔術の開発や魔道具の研究に勤しむことになるの』
「えっと?」
『最初の部分だけだけど、あなたとタマちゃんに作られた設定に似ていないかしら? この町で少しだけ年配の人はね、大体がこの話を知っているわ。だからね、きっとあなたとタマちゃんが困っていたら助けになってくれると思うの。そこまで計算してかまでは知らないけれどね』
「まさか……!?」
静かに微笑むルネ夫人の顔がブレる。
そして現れたのは口を尖らせたボイドだ。彼は眉間に皺を寄せ半目で景保を睨んでいた。
「ちょっと、話を聞いてる? ボケるにはまだ早くないかい?」
「ギルド長と一緒にいるから疲れたのかもしれないですね」
「グサリ! 痛たた、君の言葉はナイフのように刺さるねぇ。タマちゃん慰めてくれよーい」
『痛いの痛いの飛んでいけーなの!』
「やったー、飛んでったよー!」
『やったなのー!』
タマを膝の上に乗せてはしゃぐ時だけは無害なのになぁと景保は小さくため息を吐く。
「あぁそういえばもう一つ。君から頼まれた物はちゃんとエカテリーナ嬢に渡しておいたよ。君の故郷で疲労しにくくなるおまじないが掛かってるって話も添えておいた」
「そうですか。ありがとうございます」
景保が彼女に贈ったのは『矢避けの組紐』という大和伝の装備品だった。
遠距離攻撃の命中率を下げ、さらに少量の体力アップ効果もあるもので、腕輪や足輪にしてもいい。体力がアップすることで病弱な体質が改善できればいいと願ってプレゼントした。
指輪やイヤリングなどもあったが、常時付けるとなると人妻となる者が他の男からもらった物をこれ見よがしに付けるわけにはいかないだろうと、そこまで慮って長袖やスカートの中に隠せる組紐を選んだのだが。
「いやまぁ、それはいいんだけどさ……」
「何か?」
「これは儂の勝手な想像と前置きしておくけどね、カゲヤス君――エカテリーナ嬢に惚れちゃってたりしてない?」
「なぜですか?」
「なぜもなにも、普通ちょっと会っただけの女の子に装飾品をプレゼントなんてしないよ」
「まさか! 可哀想だなと思ったので、それでちょっとでもマシになればいいかなってあげただけですよ」
「うーん、まぁどっちでもいいんだけどねぇ。ただやっぱり彼女が国同士の政略に使われるのは回避できないだろうから、それは覚悟しておいて」
「そんなことは分かってますよ。何より無理やりではなく彼女は自分の意思でそれを選んでいますから……僕がどうこう言えるものではないです」
これは掛け値無しの本音だった。
彼女のことを気になっていたことは誤魔化してはいるが、景保自身もそれは内心で認めている。
でもそれが恋なのか同情なのか尊敬なのかはまだ判断しかねるところだった。考えるだけでこそばゆくなってくる。ただ、あそこまで肉体的にか弱い女性が、その中身の精神がとても凛々しくまばゆいほどに輝きを放っていたことに賞賛すら覚えたのは確かだ。
あそこまで家族のためとは言え、自己犠牲を払えるものなのだろうかと関心して胸を打たれた。だから応援という形でサポートするアイテムを譲ったのだ。
願わくば、彼女が知らない土地でもせめて介添無しでも立てるようにと。
レベルは百でも恋愛レベル一の初心者にはまだまだ難しいといったところか。
「それが自分の口で言えているから大丈夫だろうけどねぇ。……そうだ、次の依頼が終わったら旅行に行ってみないかい?」
「旅行ですか?」
いきなりの申し出に首を捻る。
「ちょっと遠回りにはなるけど他の町の魔術師ギルドに挨拶回りをしつつ『ノーリンガム帝国』なんてどうだい?」
「へぇ、面白いですね?」
彼女が身を粉にして送り込まれる国がどんなものか見てやりたいという思いはあった。
さらに叶うなら、彼女の夫となる予定の男の人となりぐらいは見てやりたいという気持ちは淡く芽生えている。
もしどうしようもないクズだったら……自分を制御できそうな気がしなかった。
「いや……自重なんてする必要ないのかな?」
「ん? 何か言った?」
「いえ、こっちの話です」
「そう? なら、じゃあ決定だね」
「ええ、分かりました」
満足気にボイドがしてやったりというふうに、悪い笑みを浮かべる。
それに気付いた時にはもう遅かった。
「いやー、次の依頼、がっつり戦闘がありそうな雰囲気なんてけっこう断られるかと思ったんだけどねぇ。やってくれるって言うんだからまいったなぁ。助かるわー。いよ、魔術師ギルドの救世主!」
「え、あ、ちょ……」
「次はだね、近くの村が蜘蛛の大群に襲われたようでね、その調査と、可能なら全部退治してきて欲しいんだ。冒険者ギルドのやつらが尻込みしている間に解決してきてね?」
「えぇ……」
『景保ちょろいの!』
「タマにまで言われるのか……」
苦労人、景保の受難は続く。
「えぇ、今ちょっと外にいる馬車に色々と積んでいて整理してもらってるんで、先に経緯を話させて頂きます」
襲撃事件の次の日、午前中に景保はルネ夫人の元へ訪れて全て解決したと伝えた。
現在、玄関ホールにて、景保とタマの他にルネ夫人以下九名がぐるりと円陣を組むように顔を突き合わせて全員が集まっている最中だ。
タマを含めた計二十の瞳が一斉に自分を注目していることに緊張を感じながらも、景保は用意してきた台詞を並べていく。
「昨日、実は僕は悪漢――いや暗殺者に襲われました。相手の目的は僕を今回の依頼から手を引かせることでした」
波打つようにざわざわと周囲から衣擦れや呟き、囁くような声が発生する。
「大丈夫だったの?」
ルネ夫人の心配する言葉に縦に首を傾け、両手を広げて無事をアピールした。
「ええ、見た通り怪我はどこにもありません。というかむしろ僕にはラッキーでした」
「ラッキー?」
暴漢に襲われてラッキーとはなかなか酔狂な言い回しをする景保にほとんどの者が眉をひそめる。
その反応を一通り観察しながら答えていく。
「そうです。なぜなら昨日の段階で僕は大したことが分かっていなかったから、情報を持った人が自分から来てくれて助かったと思いました。そして彼を尋問して幾つか分かったことがあります。これは収穫でした」
「その人が犯人ではなかったの?」
「ええ、彼は僕を脅してこの事件から離れさせる依頼を請け負っただけのただの部外者でした」
「じゃあその人から犯人が誰かを訊けたのね?」
その質問には景保は少し脱力して顔を横に振って否定する。
「いえ、仲介屋を通していたみたいでそれは分かりませんでした。彼が仲介屋から訊いていたのは、『僕が受けている依頼を止めさせる依頼をしてきたこと』『僕の簡単な見た目の特徴と狐獣人の一人娘を連れている情報を添えてきたこと』それぐらいでした。一応、その仲介屋は他の人が追っています。捕まるかどうかは分かりませんが叩いたら埃が出る身ですし、証言の裏は取れるんじゃないですかね。ただ依頼者が誰かについては十中八九、顔を隠して依頼されているでしょうし、ここからも辿るのは難しいと思います」
これは本当のことだ。魔術師ギルドに連行して、彼らの作ったよく分からない自白剤のような薬を飲まされる実験体に使われた男は気を失うまでこの情報しかもらさなかった。
景保としてはバッチリ事件解決できると期待していたのに、あまりにも得られた情報が少な過ぎて最初訊いた時はガッカリしたぐらいだ。
仲介屋を捕まえたら犯人が分かる可能性もゼロではないが、顔を晒してそんな依頼しに行く馬鹿はいないだろう。
「何だよそれ。じゃあ結局、分からずじまいってこと? でもさっき分かったって言ったよね?」
この中で一番年若く短気そうなロッソが結論を急かして声を荒げる。
ただそれはこの場にいる全員の代弁でもあり、みんな小さく頷いていた。
景保がぐるっと確認するように見つめてくる目に合わせていく。
ルネ、ロッソ、エカテリーナ、ミア、そして他の使用人たち。
自分の話を張り詰めた空気の中、じっと耳を傾ける彼らを眺め続きを紡ぐ。
「いやそうではありません。ここまででほぼ一人に絞り込めることができました」
「これだけのことでですか!?」
ミアがエプロンドレスのメイド服を揺らし怪訝そうに声を張る。
さすがに彼女からしてみればこれで何が分かるのだと言いたくなったようだ。
「そうです。よくよく考えてみるとあんまりにも襲撃が早すぎることに僕はまず気付きました。仮に外部犯だとします。ただの窃盗団や泥棒なら追い詰められてもいないのにわざわざ僕を暗殺する必要はないですよね? むしろ変なちょっかいを掛けて足が付くだけです。そしてルネ夫人を妬んだ他の金持ちや貴族の犯行であるならば、僕が捜査をしていると掴むのに早すぎるんです。そもそも僕が依頼を訊いて即日いきなりやってきたのもかなり突発的なことでした。それではさすがに僕が何のためにお屋敷に来たのかすら分からないはずです」
そこで一拍、間を開けてから結論を述べる。
「つまり、犯人は内部犯、もしくは外部に情報を漏らしている内通者がいるということになります」
「そんな!」
ルネ夫人は最も信じたく無かった事実を告げられ、みるみる顔が強張っていく。
他の面子も同様に、自分たちの同僚の中に犯人がいるなんて信じられないという様子だった。
「と言っても内通者の線も薄いと僕は思っています。なぜならロッソ君の指示でずっと二人一組みで行動しているはずです。みなさんに確認したいですが、昨日僕が帰ってから襲われるまでニ~三時間というところですが、その間に一人で行動した人物はいますか?」
「いえ、おりません。ルネ様からもそう言われておりますし、自分たちも疑われないように意識して複数人で行動するようにしておりますから。その数時間だけなら間違いないと断言できます」
この質問には使用人たちは顔を見合わせて否定した。
「ならまぁ信じていいでしょうね。内通者が複数いて口裏を合わせたのならお手上げだけど、今回のことはそこまでする必要も感じられない。使用人たちの内通者という可能性は消していいと思います」
「でも犯人の可能性はまだ残るんですよね?」
ミアが代表して突っ込みを入れてくる。
促されるままに景保は「いえ」と打ち消す前置きを置いた。
「使用人たちが内通者でもなく、単なるお金目的や恨みでの窃盗犯の場合。これは暗殺者を雇うというのに無理があります。少なくない額の依頼料を魔道具を売ったお金などで工面するなんて本末転倒。そんなことをするぐらいなら夜逃げでもした方がいいし、恨みの矛先が完全に間違っています。それに昨日は一人になる時間は無かったんですよね? だから僕の推論では、使用人の方々は全ての疑いから除外していいと思っています」
ほっと胸を撫で下ろす使用人たち。
「じゃ、じゃあ……?」
ミアが顔を上げ、ルネ、ロッソ、エカテリーナたちに複雑な思いで目を向ける。
さすがに彼らの中に犯人がいるとは誰も考えておらず、もし内部に犯人がいるなら使用人たちの内の誰かだろうと全員が思っていた。
雇い主であり忠誠を尽くすべき主人たちを疑うというのは心苦しいものがあるが、探偵役の景保が示唆するのは残りのその三人の中にしかいなかった。
「ええ、昨日捜査は順調だとルネ夫人がお屋敷中に大声で宣伝して回りましたよね。あれは全員の耳に入っているはずです。僕の捜査が上手くいっていると思い込んで暗殺者を雇う理由と金銭的余裕があり、相互に監視されていなかったのはこのお三方だけになります。部屋に篭もるとか言えば外に出る時間を作ることは比較的容易でしょう。僕が帰ったあとにすぐに町に出て裏稼業の人間に頼んで襲うまで二~三時間ってけっこうタイムアタックなところは否めませんけどね」
「でも、ルネ様たちなら逆に盗む動機が無いですよ?」
「そうなんですよね。保険金目当てとかならルネ夫人の自作自演ということも考えられたけどそういうものではないし、わざわざ捜索を依頼をするというのもおかしい。まぁポーズという線も無くはないですが」
「保険金?」
「すみません、こっちの話です」
現代の推理ものなら、お金に困って保険金を掛けた絵画や壺などを盗まれたと偽って保険会社からお金をせしめるという動機のドラマはある。
でもこの世界では保険のシステムの概念がまだない。
「ふざけるなよ。言うに事欠いて俺たちを疑うのか?」
これに耐えられず猛反発したのはやはりロッソだった。
その気位の高さからこういう反応をしてくるのは想定済みではある。
「姉さんも何か言ってやれよ! 何を黙ってるんだよ?」
「……」
ただロッソに背中を押されても姉のエカテリーナは俯いて沈黙を貫いたままだった。
さすがに不自然でここにいる面子の全ての目がそちらに向く。
まさかという思いが伝搬していった。大人しくて病弱で彼女が家宝を盗むなんて大それたことをするなんてあり得ない、と誰もが考えるも、その頑なな態度は容疑を肯定しているように見えてしまう。
そこに景保は淡々と言い放つ。
「僕が犯人と思っているのは『ロッソ』君。あなたですよ?」
「は?」
一同も仰天した。
エカテリーナが犯人かという流れになりそうだったのに、いきなりの進路変更だ。
「おいおい正気か? 俺はこの家の長男だ。家督を継げば何にもしなくても所有権は俺の物になる。それを自分から盗む馬鹿がどこにいるんだよ?」
「それを言われると弱いんですけどね、実際、動機については分かっていませんし」
「なら!」
「でも、あなたしかいないんですよ」
食って掛かりそうな勢いのロッソに対して景保は毅然と話す。
「一体どんな証拠があるっていうんだよ?」
「先程、暗殺者が依頼人からもたらされた情報で『僕の簡単な特徴と狐獣人の一人娘を連れている』と言いましたよね?」
「それのどこがおかしいんだよ?」
「その設定は昨日、僕が来訪するまでにルネ夫人が流した情報でしょうが、ルネ夫人とエカテリーナさんには直接、僕とタマは親子ではないと否定しています。三人の中でその話題が出なくて誤解したままなのはロッソ君、あなただけなんですよ」
「そんなの!」
「ええまぁ、状況証拠です。暗殺犯の男が嘘を言ってる可能性もありますし、物証はありませんね。でもさっき言った仲介屋が捕まればいくら顔を隠していても声や風体で大体分かるんじゃないでしょうかね? 十代の男の子が依頼主というのは」
「……っつ! それだって偶然が重なっただけということもあるだろう? 例えば姉さんが町で十代の男を雇ってさらに間に挟んで仲介屋に依頼した可能性だってあるはずだ」
「相当に回りくどいですが、確かにそうですね。可能性だけならいくらでもあります」
ロッソが仲介屋と会っている写真だとか、報酬の金貨にロッソの指紋が付いているだとかそういう物証があれば良かったのだが、そこまではこの世界では望めない。
これまで状況証拠の積み重ねしかないため、本当ならロッソを犯人だと断定するのは戸惑いがあった。
魔術や天恵など不確定要素が絡んでいるかもしれないので、そういうのが関わっていないと勝手に決めつけたたぶん穴だらけの自分勝手な推理をこれ見よがしに披露して間違った日には、この町にはいられなくなるほど恥ずかしく、そして失礼なことだ。
しかし、幸運の女神は景保に味方した。
「さて、犯人ついての情報がありましたが、実はここまでで盗まれた魔道具の在り処については全く手掛かりがありませんでした」
「あ」とみんな小さく口を開ける。
確かに、魔道具がどこにあるのかについては謎のままだ。
「実は全然別のルートから見つけることができました。正直、ただの運なので心苦しいんですが。もう入ってきてもらって大丈夫ですよ?」
景保が外に呼びかける。
そこから連れ立って入ってきたのは、縄で縛られた男が二人と、それを拘束する魔術師ギルドの職員が二名、それに例の黒い水晶玉を大事そうに持つ一名だった。
そこに二度目の「あ」が唱和される。
「この二人に見覚えはありませんか?」
「あ、あります!」
景保の問い掛けに使用人たちが肯定する。
それは事件の日にロッソが部屋に招いた友人と呼んでいた二人だった。
彼らは目を合わせようとせず横を向いて些細な抵抗をしているが、それがもうしゃべらなくても自ら告白しているのと同じだ。
そして彼らは、おととい景保が倉庫街で氷漬けにした窃盗団の一員でもあった。
さしものロッソも苦い顔をする。
「彼らは窃盗団で、先日、僕が捕まえたんですが、その押収品の中に見覚えのある黒い水晶玉があるのを魔術師ギルドのギルド長が発見しました」
昨日尋ねた際にギルド長がいなかったのは、彼らが隠し持っていた盗難品を実況見分するのに同席していたからだった。
その中に見知った物があってトントン拍子に景保の耳に入ることとなる。
病院で寝込んでいる彼らに回復符術を使い話させたところ全容が分かったのだ。
要は最初に彼らを出せば良かったのだが、その前に状況証拠で周りを固めたかったという狙いもある。
「あらましはこうです。彼らを友人として招き入れ、帰ったと思わせておいて自分の部屋に隠れさせる。そして夕食時に人目に見つからないよう夫人の部屋から水晶玉を盗まさせ堂々と玄関の鍵を開けて出て行くというものです。そしてロッソ君が早めに退出して内側から外された鍵を掛けるだけで密室の出来上がりです。あとは自分も含めて全員の部屋をチェックすれば外部犯に疑いの目がいくようになる。そんなところのようですね。ちなみに宝石類が失くなっていたのは彼らが欲を出してくすねただけでした」
単純どころか杜撰ですらあるが、被害者であるはずの側の人間が犯人であればこれほど狡猾なこともない。
使用人たちも、客人の帰宅への応対は誰かがしただろうという勝手な思い込みがあった。
「これでもまだ否定されますか? もしされるならこの窃盗団の二名が読書仲間ということだそうですが、彼らとの出会いから何まで全て証明して頂かないといけませんが」
景保としては、ぐうの音も出ないほど追い込んだつもりだ。
かなり運に助けられたものの、少々自分に酔っていた節がある。
そこに冷水を浴びせられるかのごとく、ぴしゃん、と乾いた音がした。
ルネ夫人が言い返しようもないロッソを平手打ちしたからだ。
「どうしてそんなことしたの! あなたがやった行為は自分の姉や無実の使用人たちを陥れることになっていたかもしれないのよ? しかも暗殺者を雇うですって? 自分のしたことが分かっているのかしら!」
ルネ夫人と会ったここ二日で景保は彼女が笑っているところしか見たことがなかった。
子供っぽくいつもおどけて明るく振る舞っていて、特殊な人間だと思っていた。その彼女が悔しさとも怒りとも分からない複雑な顔をして、唇を震わせ涙を流していた。
それを見て言葉を失う。
彼女は『母親』だ。景保は自分が母親の前でその子供を犯罪者として暴露してしまったことに気付いた。
この事実はなんと残酷なことだろうか。賢しらに正義という建前の元、このような大勢の人のいる前で、何の配慮もなく曝け出してしまった。
さながらリンチにも等しい残酷な行為。
景保の舌はロッソだけでなく、ルネの心にも切っ先を鋭くして貫いたのだ。
もっと他に良いやり方があったはずなのに、ただ犯人を暴くことのみに執着して浮かれてしまっていた。
自分の考えの無さに肝が冷える思いをする。
「……そうやって子供扱いするところだよ! 俺がなんて言われてるか知ってるか!? 母親の言う通りにしか物事を決められないマザコンだよ! 父さんが小さい頃に死んでずっと母さんの言うことを聞いてきた。それで良いと思ってきたけど、最近じゃいつ継げるのかも分からないまま暗闇を歩いている気分だったよ」
「人の甘言に惑わされている時点であなたは子供なんです。自分のしたことの結果も責任も何も考えていない。それでよく当主の資格があると思うわね」
赤く腫らした頬で激昂するロッソと、哀泣しながら整然と主張するルネの親子の遣り取りをする光景に景保は胸が痛くなった。
当然、原因はロッソだが、これ状況を作ることに加担してしまったのは自分だ。けれども、単なる部外者が立ち入れる問題ではない。
それが痛いぐらい分かり、他の人たちもそうで、立ち尽くして眺めていることしかできなかった。
ただ一人を除いて。
「二人ともやめて!」
唯一、この二人に意見できる人物――エカテリーナが細い体にぐっと力を入れて大声を出した。
あまりエカテリーナの叫びを聞いたことがなかったのだろう、どちらも一瞬で黙り目を白黒させる。
いやロッソだけはすぐに息を吹き返す。
「姉さんのそういうところだよ。普段は控えているくせに急にしゃしゃり出てくる。最近は母さんの部屋に毎晩出入りしていて、魔道具の使い方を教わっているのを知っているんだぞ? 後継者を姉さんに変更する準備をしていたんじゃないのか? 俺がその魔道具を盗んだ理由はまさにそれだよ! 困らせてやりたかったのと、もし使えるなら父さんが生きていた過去に戻りたかった! 父さんなら俺が正しいって言ってくっれるはずだ!」
「な!?」
その言い分にルネ夫人は衝撃を受けた。
言葉が出なくなった彼女の代わりに、エカテリーナが口を開く。
「それは誤解よ」
「何が誤解だって言うんだよ!?」
「確かにお母様の部屋で魔道具の使い方を教わって使っていたわ」
「ほらみろ!」
「でもね、そういうことじゃないのよ。当主の座とは何の関係もないことなのよ……ゴホッゴホッ……」
「エカテリーナ様!」
すかさずミアが彼女の背中を擦って抑えようとする。
だがエカテリーナはは白い顔をしながらも懸命に分からず屋の弟を諭すために背筋を伸ばした。
「お母様、こうなったらロッソにも見せるしかないと思います。ロッソが家督を継ぐ時にと言われていましたが、今しかないと私は思います」
「……分かったわ。渡してもらえるかしら?」
ルネ夫人から要求され、ギルド員は水晶玉を彼女に手渡した。正しき所有者に無事、返還される。
それに手を当て「ルネ・レコディアが命じます。起動しなさい」と宣言すると、水晶玉に光の筋が生まれていく。
それが一定数を超えると、
『ルネ・レコディア様の指紋認証と音声認証を確認しました。本日はどのようなご用件でしょうか?』
光が明滅し、男性のような声が発生した。
その摩訶不思議な現象を目撃したメンバーたちは悲鳴をもらす者や、ぱっくりと大口を開ける者など様々だ。
景保もその内の一人だが、最も驚きは少ない方で、どちらかというと胡散臭さを感じていた。
「主人の、『マッティ・レコディア』の記録を出して欲しいの」
『畏まりました。いつのものが宜しいでしょうか?』
「『ロッソ・レコディアが当主になった時』のを」
数瞬のあと、その場に三十前後の知らない男性が唐突に出現した。
騒然となった。ミアなど比較的若めの使用人たちは見知らぬ人物が増えたことに腰を抜かし、年配の者はその人物の顔を見て涙を流して腰を折る。
「う、嘘だ……父さん……」
ロッソは天変地異でも起きたかのように驚愕に顔をひび割れさせた。
その男は髪の色や顔立ちなどロッソによく似ている。彼を歳を取らせたら確かにこのような容貌になるのではないかと連想させるには十分だった。ただ頬がややこけていて、あまり元気ではなさそうな印象がある。
『よう、ロッソ。当主就任おめでとう。元気にしているか? 俺の体の弱いところをエカテリーナには継がせてしまったが、お前は大丈夫だよな?』
「父さん! 父さんが生き返った! あぁ……! 俺はこれがしたかったんだ!」
衆人環視の中、景保に問い詰められても、母に頬を叩かれても涙を見せなかったロッソがついにくしゃくしゃに顔面を歪ませ泣き崩れた。
男――マッティ・レコディアはしかし無様な息子を見てもその態度に変化はない。
『お前がこれを見ているということは、残念ながら俺はもう死んでいないということになる』
「は?」
『まだ幼いお前とエカテリーナを残してすまんな。本当ならお前が大人になるまでに伝えたかったことややりたかったことがいっぱいある。一緒に馬に乗って狩りにも行きたかったし、上手いラビ肉を出してくれる店で朝まで酒を飲み明かしたかった。秘蔵の骨董品の良さや、良い夜遊びの仕方とか、良い女の見つけ方も教えてやりたかった。あぁ貴族社会のうんざりするようなルールやあしらい方なんてものも必要だろうな。でもすまん、教えてやれなかったようだ。ルネがしっかりしているからたぶん大丈夫だろうが、お前には人から慕われるような男になって欲しい。馬鹿でも間違ってもいいんだ。でも人の絆を大切にする人になっていて欲しい。……これを見ているということはお前はもう二十歳だな。どんなやつになってるんだろうな? 信頼できる友達はいるか? 一生を添い遂げたいと思う女はできたか? 十八歳以上になるのとその二つがいることが当主になれる条件だ。今見てる時点でクリアしているんだろうけどな。何だそれって思うなよ? 信用できる友も守ってやりたい女もいないやつは家なんて到底守れない。俺はそう思ってるんだ』
「ストップ」
ルネ夫人がそう口に出すと、マッティがロボットのようにぴたりと停止した。
景保が目を細めて観察すると、それは熱も質量も持たないかなり精巧にできたホログラムのようなものらしい。
目線もロッソへ向けているように見えて、少し外れていた。
つまりこれは人が生き返ったのではなく――録画再生だ。
「父さん?」
父のその異様な有り様にロッソがぐしゃぐしゃの顔のまま首を傾げる。
「それはマッティではないわ。あくまで過去のマッティの記録よ」
感情を押し殺そうとしている表情のルネ夫人だが、その声は愛する者へ再び会えた偲ばれる喜びが混じっているのが分かる。
「これが『時を操る魔道具』ですか」
「そうよ。生きていた過去の言葉と映像をこれに封じ込められるの。遺言もそうだけど、懐かしい人にもう一度会える魔道具よ。マッティの残した遺品。社交界など決して得意ではない私は、これを使うことを思い付いたの。これを他の貴族たちにも貸して作り出した縁のおかげで、当主不在のまま後継人の状態が長く続く当家でも落ちぶれずに残っているのよ」
いくら外では仮面を被っていても元があの天真爛漫な性格の夫人だ。一人で切り盛りするのはよほどの苦労があったのは想像に難くない。
この特異な魔道具のおかげで他の貴族に恩を売って後ろ盾を構築してきたという背景は透けて見えた。
ただ『時間を操る』という点はある意味では間違ってはいないが、景保が考えていたものとは全然違う効果の代物で、ガッカリするべきなのか危険な物が有り触れていなかったことに安心するべきなのか、どう結論付けたらいいのか景保自身もまだ混乱している。
「条件があったなんて知らなかった! ただ母さんの裁量に任せただけだと思っていた!」
流した鼻水を袖で強引に拭き取り鼻を赤く染めたロッソが吠える。
彼の頭の中はもうこの顔以上にめちゃくちゃだろう。犯人として大勢の前で露呈し、念願の父の面影と再会し、母を恨んでいたのは誤解だと悟った。
「あの人の意向で条件を教えるわけにはいかなかったから。でもそれがあなたの負担になっていたとは思いもしなかったわ。ごめんなさい」
夫人がしおらしく頭を下げる。
「ちょっと待ってくれ。なら、なんで姉さんはそれを使うことを許されていたんだ?」
「それは……」
「お母様、私から伝えます」
すっと一歩前にエカテリーナが進み出る。
彼女は悲しそうに眼尻を下げてロッソを真摯に見つめた。
「私には今、縁談の話がきているのよ」
「は?」
彼女の年齢はおそらく二十歳前後。なら年齢的には適齢期か、貴族としてはやや遅いぐらいだろう。
狼狽えるロッソが落ち着く暇を待たずエカテリーナは先を続ける。
「お相手は『ノーリンガム帝国』の貴族よ」
「馬鹿な! 何で? しかも別の国だって!?」
まだこの世界に来て一週間ほどの景保の浅い知識では、隣国ということしか分からない。ただ反応からして滅多にない話なのだというのは伝わってくる。
「昔は戦争もしていたけど、最近はそういうこともないわよね? だから両国の親善の意味も込めた婚姻よ」
「単なる政略結婚じゃないか! いや、それは貴族としては付きまとう話だけど、こんなの――都合の良い厄介払いじゃないか」
当然、今は表立って争っていないと言えども仮想敵国への嫁入りに志願する娘などいない。あり得るとすれば、病弱でまともな縁談ができないエカテリーナのようなあぶれ者に白羽の矢を立てられたということだ。彼女のような娘ならば国としても文句が出にくい。
ロッソはそれにいち早く気付いた。
「そうね。そうかもしれないわね。でも私はこんな体だからお父様のように長く生きられるかも分からない。国の役に――いえ、あなたやお母様の役に立てるならそれで構わないのよ」
「生きてまたここに戻って来ることがないかもしれないんだよ?」
それはエカテリーナのひ弱な体のこともあるし、相手の家でどのように扱われるかも分からないことを指している。
おそらくは飼い殺しだろう。最悪、体裁を保つために数年で病気で死んだことにされ、相手の男は飄々と再婚して彼女がいたという事実はほぼ無かったみたいにされることだってある。
「承知の上よ。だからね、もう二度とあなたに会えないかもしれないから、お母様は魔道具の秘密を私に明かし、あなたへのメッセージを毎日夜にそれに残したの」
それを全て飲み込んだ上で、彼女は揺るがない決意をすでに決めていた。
エカテリーナの行動の意味は分かった。結局は全てロッソの焦りが生んだ誤解からきた事件だったということだ。
ただここではいそうですかと終わらない。
「本当にごめんなさい! 心からの謝罪を申し入れます」
急に彼女が地面に手を付き土下座をした。スカートが汚れるのもお構いなしの思い切った行動だった。
その場にいた全員が肝を潰される。
貴族で淑女であり、今回は被害者側の立場であるエカテリーナの突然の軽挙な振る舞いに誰もが唖然とした。
「な、なぜ姉さんが謝るんだよ!?」
「仮に誤解であったとしても、あなたがやったことはなぁなぁで済ましてはいけないことだからよ。長年仕えてくれた使用人たちにも疑いがいくようにし、しかもカゲヤスさんの命まで狙った。許して頂けるかは分からないけど、許してもらうしか無いでしょう。これはルネ家の人間の責務だと思っています」
いや、とさっき感じたことを景保は否定する。これは軽はずみな行いではなく、高潔な行動だ。
姉が必死に弟のために心を砕いて頭を下げるのを見て、慌てて口を開く。
「待ってください。すみません、調子に乗って暗殺者と言いましたが、ロッソ君は命まで奪おうとはしませんでした。雇われた男が勝手にそうしただけです。そこの行き違いだけは正したい」
「それでもです。それでも人を雇って襲うなんてこと、お父様が生きていらしてたらきっと殴ってでも止めたはずです」
「私からもお願いします。不肖な息子が起こした事の顛末、何卒お許し頂けないでしょうか? もちろん親子の情は捨て、更正するまで私が責任を持って教育し直します」
ルネ夫人は直接の雇い主という立場から土下座までには至らなかったが、それでも深く腰を曲げて真剣に侘びた。
『景保ぅ~』
タマが謝る二人に心を痛めたようで景保の袴を小さく引っ張ってくる。
景保としては言われるまでもなく、彼女たちにいちゃもんを付ける気は全くなかった。
「僕はそれで構いません。襲われたことも特に何とも思っていませんから」
「わ、私もそうです。奥様、エカテリーナ様、顔をお上げ下さい。私共もお客様の送り迎えなどしっかりと仕事をしていればこんな大事になる前に解決したかもしれません。どうか、今までお世話になっている分の恩をお返しさせて下さい」
ミアがそう言って同僚たちを見回すと、他の使用人たちも頷いて賛成の意を示した。
「ミア、みんな。ありがとう」
ミアの手を借りてエカテリーナが立ち上がると、一斉にロッソへと視線が向けられる。
彼は苦しそうに顔を潰したあとに、自分が言うべき言葉をようやく見つけた。
「ごめんなさい……」
と項垂れた。
□ ■ □
「という結果になりました」
「まーたお手柄を上げちゃったねぇカゲヤス君! 儂としても鼻が高いよ。うんうん、やっぱり君が魔術師ギルドに来てくれたのは女神リィム様のお導きってやつかもしれないね。今度冒険者ギルドのギルド長が帰る時間に建物の前を往復してからかってやろうかと思うんだけど、君も来るかい?」
「遠慮します」
たった二日だが、それなりに濃かった事件の依頼報告を景保は終えたところだ。
基本的に被害者であるルネが公的機関に報告をしていなかったことと、使用人や景保が問題にしなかったことでロッソはお咎め無しということになった。
ただ信頼を回復するにはこれからが大変だろう。ルネの目は増々厳しいものになるだろうし、使用人たちを見るたびに自分が犯したことを思い出すことになる。それが罰と言えば罰だ。
後から思うと、ひょっとしたらルネ夫人は勘程度のものでもロッソが犯人だと気付いていたのかもしれないとも景保はふと思うが、それは分からないままだ。
「それで? 魔道具は使ったの?」
「いえ、今は用途が浮かばなかったので保留ってことにしてもらっています。好きな時に好きなだけ使っていいとは言われていますし」
結局、あの魔道具は前情報が物々しかっただけで単なる日用品だったのだろう。
景保としては無駄足みたいなものだったが、報酬の金貨は奮発してもらえたのでそれなりに満足はしていた。
「ふーん。あ、そう言えば儂のおかげで三人の中からロッソ君に犯人を絞り込めたんだって? 感謝してくれるなら新しい魔術を見せてくれてもいいんだよ?」
「いやぁ、迷惑も掛けられているんで相殺でしょう」
「意地悪だなー。タマちゃんもそう思うよねー?」
『意地悪なところもあるけど、優しいところがもっとあるから好きなのー!』
「儂のことはー?」
『ボイドはちょっとだけ好きなのー!』
「そっかー! ……カゲヤス君に嫉妬しちゃうなぁ?」
上半身を乗り出しタマに見られていないのをいいこに、どこぞの不良だと言わんばかりにメンチ切ってくるジジ馬鹿っぷりを見せつけるボイドに閉口しながら、景保は帰り際にルネ夫人に語られたことを追走する。
『ねぇカゲヤス君。こんな話を知っている? 三十年ぐらい前にね、獣人と異種族結婚した男性が妻の死をキッカケに、幼い子供を取り上げられそうになってこの町まで逃げてきたの。でもね、やっと辿り着いたのにその子供が病気に罹るの。男は必死にその子を治す方法を探したわ。体に良いとされる薬草や魔物の素材があれば命の危険を惜しまず身を投げ打ち、高名な治療師がいれば家の前で三日三晩頼み込んだ。けどそれはどんな魔術でも薬でも治らずやがて子供は亡くなったの。治療のために東奔西走する彼は目立っていたから失意のどん底に落ちた時、みんなが励ましたわ。後追い自殺するんじゃないかってほどに弱っていた彼を放っておけないって。そうしてようやく立ち直った彼はもうこれ以上同じ悲しみが生まれないように、魔術師ギルドに入って新しい魔術の開発や魔道具の研究に勤しむことになるの』
「えっと?」
『最初の部分だけだけど、あなたとタマちゃんに作られた設定に似ていないかしら? この町で少しだけ年配の人はね、大体がこの話を知っているわ。だからね、きっとあなたとタマちゃんが困っていたら助けになってくれると思うの。そこまで計算してかまでは知らないけれどね』
「まさか……!?」
静かに微笑むルネ夫人の顔がブレる。
そして現れたのは口を尖らせたボイドだ。彼は眉間に皺を寄せ半目で景保を睨んでいた。
「ちょっと、話を聞いてる? ボケるにはまだ早くないかい?」
「ギルド長と一緒にいるから疲れたのかもしれないですね」
「グサリ! 痛たた、君の言葉はナイフのように刺さるねぇ。タマちゃん慰めてくれよーい」
『痛いの痛いの飛んでいけーなの!』
「やったー、飛んでったよー!」
『やったなのー!』
タマを膝の上に乗せてはしゃぐ時だけは無害なのになぁと景保は小さくため息を吐く。
「あぁそういえばもう一つ。君から頼まれた物はちゃんとエカテリーナ嬢に渡しておいたよ。君の故郷で疲労しにくくなるおまじないが掛かってるって話も添えておいた」
「そうですか。ありがとうございます」
景保が彼女に贈ったのは『矢避けの組紐』という大和伝の装備品だった。
遠距離攻撃の命中率を下げ、さらに少量の体力アップ効果もあるもので、腕輪や足輪にしてもいい。体力がアップすることで病弱な体質が改善できればいいと願ってプレゼントした。
指輪やイヤリングなどもあったが、常時付けるとなると人妻となる者が他の男からもらった物をこれ見よがしに付けるわけにはいかないだろうと、そこまで慮って長袖やスカートの中に隠せる組紐を選んだのだが。
「いやまぁ、それはいいんだけどさ……」
「何か?」
「これは儂の勝手な想像と前置きしておくけどね、カゲヤス君――エカテリーナ嬢に惚れちゃってたりしてない?」
「なぜですか?」
「なぜもなにも、普通ちょっと会っただけの女の子に装飾品をプレゼントなんてしないよ」
「まさか! 可哀想だなと思ったので、それでちょっとでもマシになればいいかなってあげただけですよ」
「うーん、まぁどっちでもいいんだけどねぇ。ただやっぱり彼女が国同士の政略に使われるのは回避できないだろうから、それは覚悟しておいて」
「そんなことは分かってますよ。何より無理やりではなく彼女は自分の意思でそれを選んでいますから……僕がどうこう言えるものではないです」
これは掛け値無しの本音だった。
彼女のことを気になっていたことは誤魔化してはいるが、景保自身もそれは内心で認めている。
でもそれが恋なのか同情なのか尊敬なのかはまだ判断しかねるところだった。考えるだけでこそばゆくなってくる。ただ、あそこまで肉体的にか弱い女性が、その中身の精神がとても凛々しくまばゆいほどに輝きを放っていたことに賞賛すら覚えたのは確かだ。
あそこまで家族のためとは言え、自己犠牲を払えるものなのだろうかと関心して胸を打たれた。だから応援という形でサポートするアイテムを譲ったのだ。
願わくば、彼女が知らない土地でもせめて介添無しでも立てるようにと。
レベルは百でも恋愛レベル一の初心者にはまだまだ難しいといったところか。
「それが自分の口で言えているから大丈夫だろうけどねぇ。……そうだ、次の依頼が終わったら旅行に行ってみないかい?」
「旅行ですか?」
いきなりの申し出に首を捻る。
「ちょっと遠回りにはなるけど他の町の魔術師ギルドに挨拶回りをしつつ『ノーリンガム帝国』なんてどうだい?」
「へぇ、面白いですね?」
彼女が身を粉にして送り込まれる国がどんなものか見てやりたいという思いはあった。
さらに叶うなら、彼女の夫となる予定の男の人となりぐらいは見てやりたいという気持ちは淡く芽生えている。
もしどうしようもないクズだったら……自分を制御できそうな気がしなかった。
「いや……自重なんてする必要ないのかな?」
「ん? 何か言った?」
「いえ、こっちの話です」
「そう? なら、じゃあ決定だね」
「ええ、分かりました」
満足気にボイドがしてやったりというふうに、悪い笑みを浮かべる。
それに気付いた時にはもう遅かった。
「いやー、次の依頼、がっつり戦闘がありそうな雰囲気なんてけっこう断られるかと思ったんだけどねぇ。やってくれるって言うんだからまいったなぁ。助かるわー。いよ、魔術師ギルドの救世主!」
「え、あ、ちょ……」
「次はだね、近くの村が蜘蛛の大群に襲われたようでね、その調査と、可能なら全部退治してきて欲しいんだ。冒険者ギルドのやつらが尻込みしている間に解決してきてね?」
「えぇ……」
『景保ちょろいの!』
「タマにまで言われるのか……」
苦労人、景保の受難は続く。
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