和風MMOでくの一やってたら異世界に転移したので自重しない

ペンギン二号

19 ここで立たなきゃ女がすたる!

 何も考えられない私は、ただただたゆたう海のような広大な水の上を、ゆっくりとどんぶらこっこと穏やかに流されていた。
 あー気持ち良い。


 全身を浸す水は生暖かいぬるま湯で、指を動かすのすらも億劫になるほど人をダメにする心地の良い世界だった。
 きっとここは何年も何十年も掛けて少しずつゆったりと沈んでいき、やがて自分という存在が消失するまで待つ場所だ。
 溶けてされて混ざって、そして最終的に別の物になる。
 漠然とそれが‘分かる’。なのに一欠けらも不快感も不安も生まれない。
 数秒だろうか、数時間だろうか、それとももう何日も経ったのかもしれない。時間もあやふやで何も考えず何も動かずにのんびりとしている。


 ふと微かな声が聞こえた気がした。目だけできょろきょろしたが何にもない。
 またぼーっと青い空だけを見つめる無為な時間を過ごす。


 今度は手に暖かい鼓動を感じた。でも私にはもう手は無い。比喩じゃなく手足はすでに水に溶けていた。なのに感覚だけは何となくまだあった。
 それはここに留まるだけの能天気な私にまだ優しく訴えてくる。とても懐かしくて純粋だった。
 無意識的に擦り寄るそのナニカに手を伸ばそうとするも、その肉体が私にはもう無いことに気付いた。
 それはとても残念だった。それに触れたい。何でそんなに私に構うの? 私は大丈夫だよと諭してあげたい。
 だから思い出す。自分の手足を。指の一本一本、爪の先まで。
 高速で水の中から私の肉と骨が再構築されていく。


 そうして出来上がった腕の先、指に絡みつき訴え続けるナニカに触れ――急に意識が覚醒した。




「痛っ!」




 すぐさまピリっと電撃が走るかのごとく背中に痛みが走った。


 体が軋み朦朧とする意識の中、頭を抑える。
 重りでも付いていそうな固いまぶたを懸命に開けて目と記憶にピントを合わせると、次第に景色が色を持ち始め、盛大に自分が吹っ飛ばされたことが理解できた。
 人外の膂力で蹴られ、飛ばされた先で木に強引に叩き付けられたらしい。木と私の頑丈勝負は私の勝ちらしく、後ろの幹は無茶苦茶な破砕面を残して後ろに倒れている。


 ウィンドウに映るHPバーは三割ほど削れていた。『たった一撃で』だ。つまりさっきのを三~四発直撃を食らったらおそらく私は死ぬ。数値的にはゲームの頃とそんなに差異はないけど、死神の鎌がもう首元まできていたことに気付き、冷や汗が止まらなかった。
 こんなものが数発で私という存在がいなくなるなんて、ハッキリ言うと薄ら寒い感情しか湧かない。なまじ防御力のおかげで痛みが減っているせいか納得がいかなかった。とにかく思考がまとまらず上手く考えられないでいる。


 口の中で鉄の味がする唾をぺっと吐き出したら、赤い血の色が混じっていて震えた。
 全身が微熱があるように熱くけだるい。でも熱いと感じるのはまだマシだ。本当にやばいのは何にも感じないことなんだから。


 木に背をもたれながら感触がある右手を見ると、そこには豆太郎がいて気遣うようにペロペロと私の手を一心不乱に舐めていた。
 気付くまでに時間を要し、そこまで感覚が鈍っていたことに今更ながらに驚く。




『あーちゃん! あーちゃん! あーちゃん!』




 ほとんど泣いているみたいな声で介抱してくれていたらしい。
 心配させないよう自然と頭を撫でようとしたらほとんど力が入らず、自分の手が小刻みに震えていた。止めようとしても止まらない。
 この世界に来て私はこの超人的なボディのおかげで体と精神が乖離かいりしている。本当にゲームしているときと変わらずどこか一歩引いている自分がいたのだ。それがここで初めて心と体が一致したように体が危険信号を発していた。
 怖い。直面した出来事におののくばかりだ。




「平気……よ」 




 それでも小さな相棒のためと気休めに台詞を吐いたのに、思いとは裏腹に覇気が全く込められなかった。
 見た目よりは痛みは感じない。いや痛いんだけど、でも普通の人ならぐちゃぐちゃのミンチになる傷も、ここまでやられてもなお体は軽症程度のものだ。
 HPと損傷具合が全然釣り合ってなくて、これぐらいが数発で死ぬって逆にもろ過ぎないかとまた文句を言いたくなる。
 でも息は詰まったし、何よりこの世界に来て初めての痛みと、あの糸による罠との精神的なショック、それに直面した死の危険が複雑に私に絡みつき、驚くほど鈍重に体が動かない。
 要するに心が折れていた。




「どれくらい気絶してた?」


『……いっぷんくらい』




 そんなものか。生身ですら気絶なんて体験したことないのにこの体でするとは思わなかったな。


 答えてくれてから、いつも快活で無垢な豆太郎が悪いことをしたかのように目を下に伏せ、歯に物が挟まったみたいに口をもごもごとしていたのが引っ掛かった。
 だから不思議になって尋ねる。




「どうしたの?」


『……あーちゃん、にげよう? まーはあーちゃんがけがするのみたくない』


「そんなこと……」




 まさかそんなことを告げられると思ってなかったので、答えに窮し絶句する。
 逃げようという思いやりは嬉しいけど、一体どこに逃げるというのか。土蜘蛛姫の固有フィールドに囚われ活動可能な範囲は彼女の手の内でしかない。


 いや違うか。豆太郎はそんなことを言いたいんじゃない。ゲームではプログラムされていなかった感情がこの世界では発露して、私が失われる恐怖を間近に実感してしまい言わずにはいられないんだ。
 そりゃそうだ、私だって豆太郎が怪我をしたら悲しいし危ないところには近寄らせたくない。
 ゲームだったら勝ち目の無いゾンビ特攻なんて珍しくもなかったけど、命が尊くなればここまで変わるものか。




『まーはあーちゃんがぶじならなんでもいいよ。ねぇ、いっしょににげようよ? あれはみんながなんとかしてくれるよ』




 正直、涙を瞼に溜め今にも決壊して溢れ出しそうな豆太郎からの真摯な申し出には心を打たれた。
 思わず弱気な心がそれを受け入れそうになる。


 元より勝ち目が薄い戦いだった。
 適正レベル五人で挑む相手にたった二人で挑む方がどうかしている。しかも突発的に現れたイベントエンカウントせいで装備の準備や連携もあやふやなまま始まってしまった。さらにこちらには回復アイテムなどの制限も掛かっている。 
 もしこれが大和伝のイベントであれば抗議クレームが殺到すること間違いなしのクエストだろう。
 数日、適当に放置してたらすぐにアップデート調整が行われ、お詫びという名のどうでも良いアイテムの配布でお茶を濁されてお仕舞い。そんなこともあったよなぁと記憶の隅に片付けられるそんな程度のものだ。


 ――だけど、私にとってこれは現実リアルだった。


 まるで悪夢のようであるが、避けては通れない遥か高くそびえる壁。
 登頂は私みたいなどこにでもいるような人間では不可能。十数万人いるユーザーの中の、その上位数パーセントですら努力の末に成し得られるかどうか、という難易度である。
 私たちが悪いわけじゃない。最初から無謀だったんだ。


 弱気が私の体をがんじがらめの糸みたいに巻きついて甘く囁く。
 これは毒だ。土蜘蛛姫の毒が私を冒している。もちろん言葉そのものの意味ではない。勇気を蝕む病毒が私の体に注ぎ込まれた。


 逃げるなら早い方がいいだろう。無理なら命乞いだ、どちらにせよ土蜘蛛姫をこれ以上怒らせる前にさっさとするべきだ。


 そう頭は思考したが、なぜだか足が動かなかった。
 別に立てないほど損傷しているわけでもない。状態異常にされていることもない。なのに鉛のように微動だにしなかった。


 直後、鼓膜を揺るがす爆音が空気を伝わって聞こえてきた。顔を向けると砂塵が上がっている。
 そこから飛び出してきたのは、今も砲撃と錯覚しそうな激しい猛攻に正面でタゲを取りながら耐え忍ぶ玄武で、それを後方から間断無く回復とバフ・デバフで必死に援護をし続ける景保さんがいた。
 玄武は服や髪が土埃に塗れて薄汚れていたが、必死に上位者である土蜘蛛姫の集中攻撃を凌ぎ、盾だけじゃなく時には符術を使い土壁を出して目くらましにしたり足場にしたり体勢を崩すことに使ったりとあの手この手を駆使して粘っている。そのおかげであの辺りの地面は震災に遭ったかのようにボロボロだった。


 単なるNPCのAIじゃとっくにやられている。この世界に来て、彼女は明らかに成長していた。例えレベル八十しかなくても知識や経験、持てる術を使い上級者プレイヤー以上に善戦を維持している。


 彼らを見捨ててでも生き延びる。
 それで私は


 脳裏にここに来てからの出来事が蘇る。
 まだ二週間も経ってないのに、濃く充実していたと思う。知らない世界を見られていっぱい新しい人と出会って私は何を為せたんだろう。


 唐突に浮かんだのはリズが、大人たちを前にしてその小さな体で私を庇おうとしてくれたことだ。大人たちの敵意を前に怯まず『勇気』を示してくれた。あんなこと‘葵’にはできない。


 その次はヘイルウッド、オッテン、コニーの三人組みの男の子たちだ。殴られても蹴られても圧倒的強者を前にしても、守るべきものを守ろうと意地を貫き通した。あんな『意気地』‘葵’にはない。


 ジェシカさんだって剣を持ってる男に立ち塞がってくれた。ひょっとしたら自分が斬られるかもしれない覚悟を持って阻んでくれた。あんな『決意』‘葵’には持てない。


 意地を貫き通したみんながいた。彼ら彼女らを救い笑顔を見ることが楽しい日々だった。
 それが終わる。
 未来や可能性が、手から零れ落ちていき失われてしまうことが怖かった。
 景保さんはここをゲームの世界の可能性もあると言ったけど、私にはやはり生身の人たちにしか見えない。




「私は……」




 ――何をしている? あの子たちは自分より強い相手でも私を救おうと立ち向かったじゃないか。
 こんな強い体を持っているくせに守ってくれたみんなを置いて尻尾を巻いて逃げるっていうの? 無様に許しを乞うというの?
 ふざけんな、ふざけんなよ‘葵’。弱いやつしか相手できない浅ましいやつはお前の方じゃないか!


 忍者服を力いっぱい握る。この情けない気持ちの行き場が無かった。味合わされた屈辱を払拭する術が無かった。




「私は……」




 ここでもし逃げたらどうなる? あの化物土蜘蛛姫が解き放たれたら止められる人間がこの世界にいるのか?
 いたとしてもそれは一体いつになる。それまでに私を助けようとしてくれたリズやあの子たちが襲われない保証なんて無いんだぞ?
 お前はなんだ? 強気をくじき、弱きを助けるって決めたんじゃなかったのか?
 勝てないかもしれない相手にビビって腰抜かしてる場合か?
 今やることは言い訳や理由を考えることじゃない。衝動に身を任せることだ。


 ――自分のために立てないのなら、誰かのために立て!


 守ってあげたい人たちの顔を浮かべる。どくんと心臓が跳ねた。そして凍りついたような体に血が巡り熱を帯びて少しずつほぐれていく。抱いた決心は胸に火を灯しそれが流れ私を突き動かす。
 何度やっても動かなかった固まった足がようやく動いた。




「ここで立たなきゃ女がすたる!」




 こんな被弾が何度も続けばやがて死に至るのだという確信もある。
 この世界で初めて死の危険に晒され、手が小刻みに震えているのは決してダメージのせいだけではないのも理解していた。
 それでも引くわけにはいかない。せめてやれるだけやらないと。私はまだ何にもやれてないのだから。


 立ち上がり拳を力いっぱい握る。もう震えてはいなかった。
 それから目線を落とし豆太郎に顔を向ける。
 彼はまだ憂う双眼で私の答えを待っていた。


 思えば相棒と言いながらただ連れ回しているだけだった。
 この戦いも豆太郎は納得して参加しているんじゃない。私がいるから着いてきているだけだ。
 だからこの子の配慮すら押し退けて我を通すにはきちんと話さないといけない。




「ねぇ、豆太郎? もしここで逃げたとしても私は傷を負うわ」


『きず?』


「うん、体じゃなくて心にね、一生消えない『後悔』って傷が残るの。それは時には叩かれるよりも痛くて、術符でもアイテムでも治らなくなっちゃうの」




 途端にしょげかえり麻呂みたいな眉を曇らせる。




『かわいそう……』


「だからここで逃げられないの。あいつを倒さない限りは」




 ――嘘だ、単なる身勝手な私のエゴだ。




『でもつよいよ?』


「分かってる。さっきのはびっくりしたけど気を付けるしもう食らわない」




 ――妄想だ。注意してどうなるものでもない。




『かてるの?』


「勝てるよ」




 ――欺瞞ぎまんだ。新しい攻撃方法を使用されることが分かり、勝てる確率はさらに減った。




『たおしたらきずつかない?』


「ええ、それどころか元気になっちゃうかも」


『だったら、まーはしんじる。あーちゃんが、きっとかつって』


「ごめんね、あなたの相棒がこんな向こう見ずで我がままで」


『ううん、あーちゃんはよわいひとをたすけてかっこういいよ。あたらしいところにつれていってくれるし、まーとうまれたときからずっといっしょにいてくれた。だからあーちゃんのしたいことをしてほしい』


「ごめん、ありがとう」




 正直、私の物言いは卑怯だという自覚があった。
 こんなふうに伝えれば豆太郎が反発することなんてできやしないのを分かってて言っている。
 一体、何が私をここまで突き動かすのだろう。




『カカカカカ、ヨク耐エヨルワ。人ニ召喚サレシ時点デソノ力ノ大半ヲ制限サレテオルノニ、健気ナコトヨノウ。妾ノヨウニ奪イ尽クセバ存分ニ発揮デキルトイウノニ』


『主を守り人を守るのが我が主命。人を憎み続け成仏すら叶わず現世に執着する呪い神のろいがみ風情に言われる筋合いはない』




 玄武と土蜘蛛姫の会話がこちらにまで届いてきていた。
 呪い神ってなんだ? 隠し設定だろうか。




『カカ、吠エロ吠エロ! 貴様ラノ絶望ハ妾ノ愉悦。人間ニ使ワレ尻尾ヲフル亀ヨ、腹ヲ見セテ命乞イヲシロ』


『その亀一人すら倒せぬお主は虫けら以下のようだな?』


『貴様ァッ!』




 怒りに任せて土蜘蛛姫が地団太を始める。大地を踏みしめるごとに地震ばりに地面が揺れ、足元にあった大岩がとばっちりを食らったように砕かれた。
 さすがの威力だ。
 ややあってそれで溜飲が下がったのか、ピタリと固まる。
 そしてほんの少しだけ俯いた面を上げ、とても愉快そうな邪悪な笑みを深めた。




『ソウイエバ、逃ゲタ人間共ハ今頃ドウナッテイルカノウ? 上手ク逃ゲテオレバヨイガ――マサカ小蜘蛛タチニ襲ワレテオラネバイイガナァ?』




 激震が脳を揺さぶる。
 忘れていた。完全に忘れていた。
 土蜘蛛姫戦は、雑魚敵の蜘蛛も一緒に戦いに加わってくるのだ。道のりは無限のように湧き出て、結界を張ったあとは同時出現は十体までに抑えられるが、行動を脅かすお邪魔キャラとして確かにいた。だというのにさっきから一匹も見かけていない。
 だったら、のか?
 ここまでいっぱいいっぱいで、都合の良いことはそのままにして考えもしなかった。




「アレンたちが危ない! 豆太郎お願い!」


『いいの?』




 悪寒を覚えて最も信頼している子に思いを託す。
 その純真無垢な双眸は真っ直ぐに私を捉えて離さない。




「信じて!」




 土蜘蛛姫を倒すのに何の根拠も無い言葉。
 なのに、




『わかった!』




 私の相棒は一段と元気な返事をした。してくれた。


 何があっても信じてくれる相棒が走り抜けていってくれる。どうやら景保さんもタマちゃんを救援に派遣したみたいで狐の尻尾も遠くに見えた。これで雑魚蜘蛛であれば百匹いようとも大丈夫だ。
 豆太郎からの無条件の揺るがない信頼に鼻の頭がつんとして涙ぐみそうになった。私はなんて果報者なんだろう。


 だけどこっちは豆太郎のその信頼を裏切らないようにしなければならない。
 針の穴を通すような任務クエストだ。吐いた唾は飲めない。でも決意に胸が熱くなる。


 可愛い後ろ姿を見ながらウィンドウからおにぎりにタグ表示されているボタンを押すと一瞬で消え、代わりに私のお腹の満腹度が上がり、HPバーは全回復し痛みが完全に収まった。


 それから息を大きく吸い肺に空気を取り込み胸を膨らませる。それをゆっくりと吐き、また吸い込む。何度も深呼吸をしてから手で頬を張り、そうやって気合を入れた。
 ついでに入れ替える暇が無かった【装備】から耳飾を変更し、『牛鬼の口巾』というマスクに付け替える。
 『牛鬼』という毒を吐く妖怪の素材から作られていて、これで毒耐性が増すはずだ。


 ――さぁ、復帰しよう。




『―【風遁】―切り裂き燕きりさきつばめ、パターンB、行けっ!』




 羽で対象物を斬撃する薄い緑色の風の鳥を召喚し、土蜘蛛姫に向かわせる。
 近接職業の中では中距離が強い部類の忍者も、ボス相手には斬撃ほど威力は期待できない。それでもやれることはある。
 ちなみに何も言わなければ自動追尾する忍術なのだが、設定で軌道などをいじることができた。対人戦ではそういう小細工が必要で、パターンBとはカスタマイズしたものだ。


 それと同時に猛然と地を蹴り、追走した。
 風の鳥を盾にしながらの接近を敢行する。




『哀レナ、マダ歯向カウ気カ?』




 それを機敏に察知した土蜘蛛姫は、尾から糸を射出してきた。巻き取られた風の鳥は失速しながらも邪魔をする汚い糸を切り裂きなんとか墜落せず飛行する。
 そのまま突進し、潰そうとしてくる爪を寸でのところで躱しながら、その軌道は土蜘蛛姫の鼻面のすぐ前を通り過ぎ右に急旋回して散っていく。
 これがパターンBだ。ダメージは与えられないが、なんで当てなかった? と僅かな間の思考をさせ隙を生むためのもの。


 私は縫い止めようと飛んでくる糸を身を低くしながら回避し、スピードをぐんと上げ勢いを付けてすでに跳んでいた。




『通リ過ギタダケ!?』




 命中せずにふっと霞みたいに消えた燕に少々面食らったらしく、仰ぎ見る姿勢で土蜘蛛姫は間抜けを晒し一瞬だけ動きが止まった。
 そこに空から二刀の紅孔雀を構えて私が垂直落下する。
 交差する視線に恐怖がぶり返すが、そのすべてを今は飲み込み叫ぶっ!




「ぉぉぉぉあああああああ!! ―【双刀術】―川蝉落かわせみおとし!!」 


『ギャアアアアアアッ!!』




 水面に映る魚を狙う川蝉のように落下する技だ。
 雄たけびを上げ深々と土蜘蛛姫の両肩に食い込ませると、反動そのままにV字を描くように緊急離脱する。
 炎柱が傷口から生まれ、なかなかの痛手だったのか仰け反る悲鳴が上がった。


 その間に玄武と景保さんの間の位置まで後退する。
 さすがに二人だけで切り盛りするのは大変だったのか、疲労の色は濃い。




「すみません、戻りました」


「大丈夫だった? 少し気絶していたみたいだったけど」


「なんとか。傷も回復させました。ただ新しい攻撃パターンにやられました」


「みたいだね。嫌な予感だけはよく当たる。提案だけど戦いながら逃げる手段をそろそろ模索した方がいいかもしれない。ゲームでは試す意味も無かったからやらなかったけど最大火力でなら周囲に張られた結界に綻びを産める可能性もゼロじゃないはずだ。今は無理でもここを逃げて仲間をあと三人、いや二人見つけられれば倒せるんだから」




 ここまで戦闘が始まって十分ほどしか経ってない。
 だというのにやはり人数が足りないためか、一時的に上手くいっているように見えても、キッカケ一つで崩壊する薄氷の上に立たされていることを酷烈に思い知らされた。
 しかもこれからその綱渡りを数時間続けないといけない。私たちが強いられているのはそういう戦いだ。
 卒倒して今すぐ倒れ込みたくなるのをぐっと抑え込む。


 そして今の台詞と焦燥が垣間見える横顔からも、景保さんも同じ感想を持っているのが分かった。
 逃げるという案は実に現実味のある申し出だと思う。
 でもその仲間を探している間に誰かが蹂躙される。無数の命が奪われる。それは許せなかった。


 だからこそ私はこう言う、




「二人だけで楽勝ですよ? いや玄武も入れて三人かな」




 あくまで不敵に大胆に、不安なんておくびにも出さずに。
 「え?」ときょとんとした顔で景保さんは見返してくる。




「そうだ。これ終わったらパァっと打ち上げしません?」


「え? う、打ち上げ?」


「そうです。だってこれから大変なことをするんですからそれぐらいやってもバチは当たらないでしょ?」


『それは拙も参加していいのかな?』




 玄武が油断無く槍を構え、わずかに顔を背けながら訊いてくる。
 彼女も折れかけた心を回復させるのが重要だと思ってくれたらしい。
 何を言ってるんだと目を白黒させる景保さんは戸惑うばかり。




「え、玄武も飲み食いしたいの?」


『主よ、拙だって味覚はある。供給される力だけでも生きてはいけるが楽しみが欲しくなって当然だろう? まぁ拙はよく食べるし、特に酒を嗜みザルだ。だから主の財布が心配だがな? きっと負けておけば良かったと思うからもしれないぞ?』


「負けておけばって……」




 堅物そうな彼女が大真面目に冗談を言うものだから「ぷっ」と景保さんが噴き出し、堪えきれず大笑いした。
 萎えそうになっていた戦意が戻ったみたいでその笑顔は歳よりも若く見えた。




「あはははははは!! そうか、そういうことか。君らはそうなんだね。ずっと勘違いしていた。玄武はまだやるんだね?」


『もちろんだ、主よ。まだ拙は――拙らは全てを出し切ってはいない。逃げるのはいつでもできる。そうだろう?』


「あぁそうさ。馬鹿みたいな縛りプレイを強要されて戸惑っていた。だけどまだ本気は出してないね」




 景保さんの中で何が変わったのかは分からない。でも何かが変わった。
 瞳に強い生きる意志が宿り希望が灯ったように見えた。




「あ、私そんなにお金無いんで高いところは厳しいかも」


「あぁいいよいいよ、こっち来てけっこう稼いでるから全員に奢るよ。魚はここらじゃ川魚ぐらいしか見かけないけど肉系統は美味しいお店もあるしさ」


「羨ましいなぁ。私はカツカツで贅沢できてないです」


「最初は戸惑うことも多いけどすぐに稼げるようになるさ」


「じゃあとっとと倒して打ち上げですね?」


「あぁ、そうだね。こんなのなんでもないよね。低人数クリアで動画撮ってアップしてやろう」


「あは、お肉のためにとっと片付けてやりましょうか」


『主らは一命に代えてもお守りします。信じて頂けますか?』


「当然!」


「もちろんだ。とことんやってやろうじゃないか!」




 士気は上がった。
 さぁ、第二ラウンドの始まりだ。


 

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