抱き合わせの二人

内野あきたけ

抱き合わせの二人

 
 少年は幼かった。そして、布団の中にいた。
 温かい春の日差しがカーテン越しに差し込んでいる。


 その光が小さな無数の埃に反射していた。
 その埃は空中をフワフワと舞って、まるで少年を歓迎するかのような佇まいをしていた。


 その時、押し入れの天袋から手のひらサイズの色つきのボールが自然ところがり落ちてきた。
 ボールは、ころーんと転がって少年のすぐ近くまでやって来たのだ。


 彼が拾うか拾わないかのうちに、また二つ目の今度はちがう色のボールが「ころーん」と転がった。
「……………そのボールはプレゼントだよ」


 少年の耳元でふと誰かが囁いた。
 見ると可愛らしい少女が少年の布団の横にちょんと座っていた。
 彼は胸が高鳴るのを感じた。
「お友達かな?」
「うん。私はあなたのお友達よ」


 少年は微笑んだ。うれしかったのだ。一度も会った事がないのに、名前も知らないのに、こんなに可愛い子が自分とお友達であると主張してくれた事実は永遠の喜びであるとも感じ取れた。


 部屋の外では何だかうるさい掃除機の轟音が鳴り響いていたが、少年は特に気にしなかった。


 それよりも初対面であるはずの彼女が何やら自分の布団に今にも潜り込みそうな雰囲気をかもしだしているではないか。
 その突き抜ける情熱。その満ち溢れる喜び。


 数分もしないうちに彼女は少年の布団にもぞもぞと潜り込んだ。
「どうしたんだい?」
 彼は少女に問いかけた。


「ええ、別にいいでしょう」
 刹那に顔を赤らめて微笑みかける彼女のあどけなさは、少年の心に深刻な熱を与えた。
「ねえ。惑星が見たい」
 少女が少年に語り掛けた。


「夜にならないと、星は見えないよ」
「ううん。違うの、お空に浮かんでいるのはお星さまよ。ただの光の点よ」
「なら、宇宙飛行士にでもなって、青い地球や太陽系の惑星をじっくり眺めればいい」
「そんな遠い話しないでよ。私、宇宙飛行士になれるほど頭良くないもん」
「じゃあじゃあ、今から望遠鏡を持ってくるよ」


 少年が飛び出して押し入れから望遠鏡を取り出そうと言うと、少女はそれを静止した。
「待って、ここにいて!」
 少女が力強く少年の袖を引っ張って「ぎゅうっ」と抱きしめてくるからして、少年は布団の中から出ることができなくなってしまった訳である。


「どうしたんだい?」
 少女に問いかけた。
惑星ほしって、いったい何なんだろう?」
 その声を聴いた瞬間に外で鳴り響いていた掃除機の轟音が即座に止んだ。


 あたりは静まりかえり、いささかの耳鳴りがしている。
「ええっ。惑星は惑星でしょう、それ以外に何があるってんだい?」
「違うの!」


 少女の今にも泣きだしそうなけなげな声が少年の胸を打つ。
 全身の臓器が痺れるような感覚に突如として襲われたのだった。
 心臓の脈拍は上昇、胃はプカプカ言い出し、
 腎臓、膵臓、肝臓、脾臓、副腎、小腸と大腸は、ただ少女の存在に喜びを感じビリビリと痺れ始めるその感覚。


 嗚呼、彼女の腹の内側にも自分と同じく、この神秘的で猟奇的な臓器が密集しているのかと思うと、なんだか生命のスバラシサを感じないわけにはいかなくなってしまうではないか。と。


「臓器と臓器って、何でつながっているんだろう?」
 ふいに少女が問いかけた。
「臓器?」
 少年は聞き間違えたかと思い、尋ねた。
「内臓と、内臓ってどんなつながりがあるんだろう?」
 少女が内臓と言ったから、聞き間違えではないなと確信した。


 今まさに、自分が考えた事を少女は口走ったので、少々驚きを隠せずにいたが
「それは、生物の教科書にでも書いてあるんじゃないかな。例えば血管とかで栄養分の橋渡しをしているとか」


「そういう問題じゃないのよ。例えば、肝臓と腎臓っておんなじなの?」
「えっ。それは別のものじゃない?」
「でも、人間は一人なのよね。一人の中に、別のものがたくさん詰まっているの?」
「そういう事なんじゃないの?」
「でも、臓器のうちのどの一つが欠けても、人間は生きることが困難だよ」
「うん。そりゃそうだよ」


 ふと少女は少年の腹部のあたりを見た。そして白魚五本並べたような美しい指先が少年の腹を撫でた。
「きれいよ」
「えっ?」
「私、人間の臓器こそが惑星だと思うの」


 少年は、いよいよこの少女は危ない思想を持った人材かと思い、警戒した。
 だが、次の瞬間この考えは吹き飛んだ。どちらにせよ人間の臓器がナマメカシくて神秘的な事には変わりない。惑星ほしにロマンを感じようが臓器にロマンを感じようがそれはその人の自由意志なのだ。


「臓器が、惑星?」
 それでも少年は問いかけた。
「ええ」
「どうして?」
「人間の内面の最も内側にある部分と、人間の生活範囲から最も離れた外側の惑星。どちらも間近では見られないじゃない?」
「そうだけど……」


 少年はその言葉を聞いて、ふとあることを思いついた。
惑星ほしを…………見たいのかい?」
 彼は少女に向かってそう問いかけた。
 彼女の顔がぱあっと明るくなった。その表情は例えるなら猟奇的。


「……見たい」
 興奮ぎみの彼女の顔を拝見して、少年の胸は非常に高鳴った。脈拍が上昇した。
「いいよ、見なよ」
 震える声で惑星ほしを覗いてごらんと語り掛けたのである。


「いいの?」
 と、少女は改めて確認してくるからして、少年の胸の鼓動は限界に達した。
 目の前の少女を興奮の眼差しで見つめて、果ててしまいそうな感覚に陥った。


「覗きなよ、惑星ほしを」
「ええ」
 その瞬間、少年の腹部に激痛が迸った。呼吸が一瞬乱れたがやがてその痛みは快楽と変わり果てていた。腹部を虚ろな目で眺めるとそこには血に染まった三角定規が、少女の手に握られていた。


 三角定規は腹に食い込み、すでに臓器に達していると思われた。だが少女は徐にグリグリとねじ込んで行く。
 その目は輝いていた。
 その目は幸せそうだった。


 だが、少年の苦痛は限界だったのだ。
「ううっ!もう、いいかな?」
 少年は苦し紛れに声を発した。
「待って、もう少し我慢して。まだ傷口が大きくないもの」
 そう言って少女は少年の腰に手をまわして、再度ぎゅうっと抱き寄せたのである。


 すると定規はグッと少年の腹にめり込んだ。
「うわあ!」
 その時、少年の腹から溢れ出る血液が少女の美しい白い手に流れて行った。この滴り落ちる血と少女の可憐な手のコントラストが少年の目に映った時、彼は人生の中で最も美しい光景を目にしたのだ。


 布団の中で繰り広げられる男女の芸術は後に惑星の出現となるのだ。
「ううッうう」
 少年は喘いだ。惑星を……いや、真の星を一目見るための前段階の苦しさと快楽の為である。


「つかんだよ、星を」
「ああ、わかるよ。これだろう?」
 まるで手応えの無い柔らかな感触が少女の手に伝わった。
 血液でヌメヌメした心地のよい感触が少女にはたまらなく快感だった。


 と、それと同時にとてつもない異臭が二人の鼻に届いた。
 しかしその残酷な臭いに対して、男女は微塵も不快感を感じなかった。


 むしろ逆。その臓器から発せられた異臭を吸い込んで少女はもちろんの事、少年までも興奮と快楽にうちひしがれていたのだ。
「ああっ!良い匂い」


 少女は叫んだ。
「そうさ、これが星の匂いなのさ」 
 星は、もう少年の腹の外へ進出していた。少女の手につかまれたその芸術を窓から流れ込む光子が反射して神々しくも艶やかに輝いていたのだ。


 ペチャッっという艶かしい音がした。
 上目遣いをする少女の手に目をやると、まるで玩具を取り扱うかのようにペチャッ、ペチャッっと弄んでいる。
 その星の名前は…………肝臓。


 それが今、布団に輝いた。
 二度目に少女の美しい手が入り込んだとき、少年は喘いだ。
「苦しいの?」
「俺は大丈夫だよ。星が布団に出現するのなら。痛みなんてどうでも良いくらい素晴らしい事なんだ」
「ありがとう」
 少女は少年の腹の中で、2度目の星を掴んだ。
 瞬間、少年は悲鳴をあげた。


「うわぁあああ!」
「痛いの?苦しいの?もう止めようか?」
 少女は少年を気遣って出現の中止を提案する。
「ばか言うなよ。俺は、君に星を出現させてもらいたいんだ。構わないで続けてくれ」
「綺麗よ。あなたの……………それ」
 再び、ペチャッっという音と共に血が散乱した。
 その星の名前は……………腎臓。


「見えたかい?その、俺の、グロテスクで神秘的な星が……」
 少年は意識を失いかけていた。だがそれでも良かった。この残酷さを見ずして、死んで行く事など考えられるはずがなかったからだ。


「死んじゃうの?」
 少女は問いかけた。
「いや、俺は死なないよ」
「本当に?本当に死なないの?」
「ああ、俺の体は壊れても、意識は宇宙へ飛び出して君と永遠に生き続けるからね」


「じゃあ、私もあなたと一緒がいい。一つに…………なろうよ」
「構わないよ。君の中で肉体も生き続けるなら」


 その時、少年は身震いした。何故か、それは少女が星を口に入れていたからである。その艶めかしい光沢を這うように……少女の舌が星と密接にくっついていた。


 少年は直後に鳴り響くグチャァっという音に震撼した。少女は星を噛んだのである。再び強烈な異臭が辺りを包み込み、二人をまるで別次元に誘うかの様にその匂いは振舞っていたのだ。


 少女の口から血が滴り落ちた。もちろん少年の血液である。その白い肌に赤い筋が這う様は、少年にとって永遠の芸術となった。
 アア、この光景を額縁に飾っておきたい。この絶世の美女が口にしている臓器は自分の星だという事を皆に知らしめたい。否、それ以前にこの瞬間を思い出すだけで、少年は今後どんな快楽にも勝る永遠の喜びを手にしたのである。


 だが、その時だった。思いもしないところで刹那に星が飛び散った。その艶かしさに、男女は愕然とした。一種の恍惚状態に陥った。


 不意に表れた余りにも美しすぎる星。布団に出現した超新星…………それは………………小腸。


「ああっ!でも、星と一緒にこんなに血が布団に着いちゃって」
「それは……薔薇の花だよ……薔薇の花が、布団一面に咲き誇っているんだ」


「でもでも、あなたはもうすぐ意識がなくなっちゃいそう」
「なんで、君は……泣いているんだい?あんなに美しい星を見れたじゃないか」


「星は見れたけど、その星は、ここで途絶えちゃう」
「星は……意識は……僕たちは……永遠だよ。脳の量子が宇宙へ飛び出すんだ。意識が弾けとぶんだ。そして次の星へと扇情的せんじょうてきな神秘性はシフトしていくんだ。それってすっごく気持ちがいいんだ」


「分かるよ。その気持ちよさ、私も。ありがとう」
「ありがとう」
 少年は目を閉じた。
「おやすみなさい」
 少女は少年の上に覆いかぶさった。






 そうして二人の周りには、布団一面に出現した星が、見事に輝いているばかりであった。





コメント

コメントを書く

「現代ドラマ」の人気作品

書籍化作品