田舎娘、マヤ・パラディール! 深淵を覗きこむ!
第三章:その五 タルタロス:レイとダイアナ
「水は飲むなよ。腹壊すぜ」
少年はそういうと、ざぶざぶと腰までの汚水の中を進んでいく。マヤはジャンに抱きかかえられたままで頷いた。
数分前、格子の下から顔を出したのは、くしゃくしゃの髪の少年だった。口に長い楊枝を咥え、しっしっと短く息を吸うと、こちらに来いと手招きした。ジャンは素早くマヤを抱えると、格子の下に体を躍らせたのだ。
「ここは見ての通り、下水だ。汚いだろ?
ま、トイレのやつは流れてこないから安心しなよ。ちょっとべたべたするだけさ」
少年はそう言って笑った。
下水はコンクリートで作られた方形で、仄かに悪臭が漂っていた。
どこかの食堂や厨房に繋がっているらしく、所々に食材の欠片が溜まり、それに小さな魚や虫、貝が群がっていた。
先ほどの機械室から遠のくにつれ、辺りは段々と暗くなり、進む先は完全なる闇だった。マヤは眼鏡を押し上げると、先を進む少年に声をかけた。
「ねえ君! 助けてくれて、ありがとう! それで君は誰? どうして助けてくれたの?」
「俺はレイだ! ロングデイさんに世話になってる。あんたらを探して来いって言われて、方々駆けまわったら、あんたらが下に逃げたって情報を掴んで、見回ってた。
あそこで接触できたのは運が良かったねえ……うん? あれは……おおい、ダイアナ!」
少年は下水の先に向かって叫んだ。ぼんやりとした光が現れると、ふらふらとそれが近づいてくる。マヤは夢に見たあの青白い光を思い出し、体を強張らせた。
懐中電灯を持った少女が闇から現れた。
ほっそりとした黒髪で、ずっと俯いたまま視線を上げようとしない。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ、モンキーレイ」
「へえ、そうかい。お前、時々ぼーっとしてて、話聞いてないだろ? だから聞こえるように大きい声を出してやったんだが……な!」
レイの大声に、ダイアナは馬鹿めが、と小さく呟くと二人に頭を下げた。
「……どうも、ダイアナと申します。皆さんをご案内いたします。グスターヴさんとロングデイさんも待っています」
ジャンがあっと叫んだ。
「ヨハンの奥さんか! どっかで聞いたと思ったら……ってことは君たちは――」
ダイアナは顔を上げずにぽそぽそと喋った。
「我々はあの人達にお世話になっている者です。残念ながら実子ではありません」
ダイアナはそれだけ言うと、もと来た方へ戻り始めた。
レイが肩を竦める。
「あいつの態度を許してくれよ。あれは親にいじめられまくって、ひねくれちゃってね。ちなみに俺はなんと捨て子だ。品がないだろ?」
ジャンがにやりと笑う。
「俺もなんと捨て子さ」
マヤも微笑んだ。
「あたしはなんと残酷大公の娘だ」
レイは笑った。
「こりゃ、すげえ! 色んな連中大集合で、今夜は宴会だな!
まったくなあ、生まれたからにゃ生きなきゃならないんだから、人生大変だぜ!」
「レイ、俺達はオーゼイユって店を探してる。知ってるか?」
「ああ、知ってる知ってる。なんだ、そこで酒を奢ってくれるのかい?」
マヤがこら、とレイを叱った。
「お酒は十六になってからでしょ!」
レイはけらけら笑いながら、ダイアナを追いかけた。懐中電灯の光に二人のシルエットが重なる。レイが何か囁くと、ダイアナはレイを小突き、再び歩き始めた。
しばらく暗闇を進むと、懐中電灯が振られた。ジャンが追いつくと、ダイアナが壁に開いた割れ目を指差している。
ジャンはマヤを抱えたまま、ざぶざぶと水から上がった。
その先は狭い通路だった。レイがおどけた調子で通路に滑り込んだ。
「さあ、お二人さん、ついてきてくれ。そっちの手品師は通れるか微妙だが、なーに、ぐいぐい押しこめばいけるいける!」
四人は進み始めた。先頭はレイ。続いてジャンとマヤ。しんがりにダイアナと続く。先頭のレイはけらけら笑いながら、壁を叩き、喋り続けた。
「ここは忘れられちまった連絡用の通路なんだと。この船って増築やら改築が多いんでこういう通路が一杯あるわけだ。ワニが住んでるって噂の通路もあるぞ!
気をつけなきゃなあ!」
マヤがふむふむと頷きながら、時折ジャンの背中を押した。ジャンは通り抜けること自体は容易だったのだが、素早くは進めない。擦れた腹が、壁の汚れをこそぎ取って行った。レイは後ろ向きで起用に進みながら、手を叩いて囃し立てた。
「うひゃひゃ! 手品師、あんたがいれば掃除いらずだな! さて、このちょっと先には、忘れられた倉庫があるんだぜ。すげえお宝が一杯さ!」
「モンキーレイ!」
ダイアナの鋭い声にレイは舌を出すと、突き当りのドアを開けた。
マヤは部屋に一歩踏み込んで、息を飲んだ。
薄暗い部屋の四方の壁には、大きな額が大量に飾られていた。マヤはその一つに近づくと、手で埃を拭って、驚きの声を上げた。
「ちょっと、これ!? モナリザでしょ!」
隣の絵も拭ってみる。ジャンが近づいてきて呑気な声を出した。
「こりゃ、ゴーギャンの……何とかの女だったかな?
……まあ、よくできた贋作だな」
「あ……そうなんだ。いやあ、吃驚したなあ」
二人の会話にレイが不思議そうに声をあげた。
「『がんさく』ってなんだ?」
ダイアナが静かに答える。
「偽物ってことよ」
「えぇっ!? なんだよ、ガッカリするなあ……売って金に換えようと思ってたのに」
ダイアナは溜息をつくと、今度は先頭で進みだした。
少年はそういうと、ざぶざぶと腰までの汚水の中を進んでいく。マヤはジャンに抱きかかえられたままで頷いた。
数分前、格子の下から顔を出したのは、くしゃくしゃの髪の少年だった。口に長い楊枝を咥え、しっしっと短く息を吸うと、こちらに来いと手招きした。ジャンは素早くマヤを抱えると、格子の下に体を躍らせたのだ。
「ここは見ての通り、下水だ。汚いだろ?
ま、トイレのやつは流れてこないから安心しなよ。ちょっとべたべたするだけさ」
少年はそう言って笑った。
下水はコンクリートで作られた方形で、仄かに悪臭が漂っていた。
どこかの食堂や厨房に繋がっているらしく、所々に食材の欠片が溜まり、それに小さな魚や虫、貝が群がっていた。
先ほどの機械室から遠のくにつれ、辺りは段々と暗くなり、進む先は完全なる闇だった。マヤは眼鏡を押し上げると、先を進む少年に声をかけた。
「ねえ君! 助けてくれて、ありがとう! それで君は誰? どうして助けてくれたの?」
「俺はレイだ! ロングデイさんに世話になってる。あんたらを探して来いって言われて、方々駆けまわったら、あんたらが下に逃げたって情報を掴んで、見回ってた。
あそこで接触できたのは運が良かったねえ……うん? あれは……おおい、ダイアナ!」
少年は下水の先に向かって叫んだ。ぼんやりとした光が現れると、ふらふらとそれが近づいてくる。マヤは夢に見たあの青白い光を思い出し、体を強張らせた。
懐中電灯を持った少女が闇から現れた。
ほっそりとした黒髪で、ずっと俯いたまま視線を上げようとしない。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえるわよ、モンキーレイ」
「へえ、そうかい。お前、時々ぼーっとしてて、話聞いてないだろ? だから聞こえるように大きい声を出してやったんだが……な!」
レイの大声に、ダイアナは馬鹿めが、と小さく呟くと二人に頭を下げた。
「……どうも、ダイアナと申します。皆さんをご案内いたします。グスターヴさんとロングデイさんも待っています」
ジャンがあっと叫んだ。
「ヨハンの奥さんか! どっかで聞いたと思ったら……ってことは君たちは――」
ダイアナは顔を上げずにぽそぽそと喋った。
「我々はあの人達にお世話になっている者です。残念ながら実子ではありません」
ダイアナはそれだけ言うと、もと来た方へ戻り始めた。
レイが肩を竦める。
「あいつの態度を許してくれよ。あれは親にいじめられまくって、ひねくれちゃってね。ちなみに俺はなんと捨て子だ。品がないだろ?」
ジャンがにやりと笑う。
「俺もなんと捨て子さ」
マヤも微笑んだ。
「あたしはなんと残酷大公の娘だ」
レイは笑った。
「こりゃ、すげえ! 色んな連中大集合で、今夜は宴会だな!
まったくなあ、生まれたからにゃ生きなきゃならないんだから、人生大変だぜ!」
「レイ、俺達はオーゼイユって店を探してる。知ってるか?」
「ああ、知ってる知ってる。なんだ、そこで酒を奢ってくれるのかい?」
マヤがこら、とレイを叱った。
「お酒は十六になってからでしょ!」
レイはけらけら笑いながら、ダイアナを追いかけた。懐中電灯の光に二人のシルエットが重なる。レイが何か囁くと、ダイアナはレイを小突き、再び歩き始めた。
しばらく暗闇を進むと、懐中電灯が振られた。ジャンが追いつくと、ダイアナが壁に開いた割れ目を指差している。
ジャンはマヤを抱えたまま、ざぶざぶと水から上がった。
その先は狭い通路だった。レイがおどけた調子で通路に滑り込んだ。
「さあ、お二人さん、ついてきてくれ。そっちの手品師は通れるか微妙だが、なーに、ぐいぐい押しこめばいけるいける!」
四人は進み始めた。先頭はレイ。続いてジャンとマヤ。しんがりにダイアナと続く。先頭のレイはけらけら笑いながら、壁を叩き、喋り続けた。
「ここは忘れられちまった連絡用の通路なんだと。この船って増築やら改築が多いんでこういう通路が一杯あるわけだ。ワニが住んでるって噂の通路もあるぞ!
気をつけなきゃなあ!」
マヤがふむふむと頷きながら、時折ジャンの背中を押した。ジャンは通り抜けること自体は容易だったのだが、素早くは進めない。擦れた腹が、壁の汚れをこそぎ取って行った。レイは後ろ向きで起用に進みながら、手を叩いて囃し立てた。
「うひゃひゃ! 手品師、あんたがいれば掃除いらずだな! さて、このちょっと先には、忘れられた倉庫があるんだぜ。すげえお宝が一杯さ!」
「モンキーレイ!」
ダイアナの鋭い声にレイは舌を出すと、突き当りのドアを開けた。
マヤは部屋に一歩踏み込んで、息を飲んだ。
薄暗い部屋の四方の壁には、大きな額が大量に飾られていた。マヤはその一つに近づくと、手で埃を拭って、驚きの声を上げた。
「ちょっと、これ!? モナリザでしょ!」
隣の絵も拭ってみる。ジャンが近づいてきて呑気な声を出した。
「こりゃ、ゴーギャンの……何とかの女だったかな?
……まあ、よくできた贋作だな」
「あ……そうなんだ。いやあ、吃驚したなあ」
二人の会話にレイが不思議そうに声をあげた。
「『がんさく』ってなんだ?」
ダイアナが静かに答える。
「偽物ってことよ」
「えぇっ!? なんだよ、ガッカリするなあ……売って金に換えようと思ってたのに」
ダイアナは溜息をつくと、今度は先頭で進みだした。
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