気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 祐樹は穏やかで安らかな表情で笑ってくれた。
 祐樹のこんな表情をーー間違ってもクラブラウンジで見せた、凄惨な事故現場を見ているような昏くて苦い表情を浮かべて欲しくなかったーー見ているとこちらまでが笑みを浮かべてしまう。
 井藤という精神疾患持ちの研修医がこのホテルに居たことはいささか記憶力の自信のある自分でも全く覚えていない。祐樹に「ビデオカメラのような暗記力ですね」と心の底から褒められてとても嬉しかった覚えがある。
 当然、拉致された時に井藤を見てはいた。しかし、その時は(誰だろう)としか思っていなかったが、その後記憶の上書きがされたのでクラブラウンジのーー少なくとも視線の届く場所にはーー居なかったのも確かだ。
 それに自分より先に井藤を見知っていた祐樹も目敏い上に限られた人しか入って来られない場所ではあったので第二の愛の巣として定着したのも確かな場所であっても、チェックイン・アウトの時にはホテル側は承知の上とはいえ「男性二人」というのは不自然には違いない。だから祐樹もさり気なく周りに知った人間がいないか常にチェックする習慣がついたとか言っていた。
 そのダブルチェックをかいくぐったのだから、本当に目立たない場所に逼塞ひっそくしたというか、息を殺して隠れていたのだろう。
 祐樹が夏の事件でどれほど自分を責めているのかは分かってしまっている。そして今なおその心の傷をさり気なく隠していることも。
 祐樹がこんな思いをするのだったら、他の誰かにその「傷」を移植出来れば良いのにと詮無いことを考えてしまう。誰かが祐樹の身代わりになってその苦悩を背負ってしまえば良いのにと。
 ただ、この喫煙スペースーーといっても灰皿が置いてあるだけだがーー兼空中庭園も祐樹にとっては隠れ家だろう。
 救急救命室での祐樹のように本当に一人になりたいと思っていたら、多分そう言ってーー言葉は選んでくれるだろうがーー断るハズだ。
 同行を許してくれたことに活路を見出すしかない。
 それに、精神の傷をかたくなに隠している祐樹を尊重したいと思うが、救いの手というか(いつでもその手が差し伸べられるのを待っているから)というさり気ない気遣いはし続けようと思う。
「カルアミルクは『アルコールの苦さとかがダメなんです』という女性など向けだと聞いたことがあります。ただ、アルコール度数が高いので、その点を悪用する大学生とかの若者も多いとか聞きましたが。女の子を酔いつぶしてどうこう……っていう」
 祐樹の意外な言葉に目を見開いて聞き入ってしまった。
 すると。

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