気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 今はそういう「忌まわしい」場所を避けて部屋に行った方が良いだろう。
 祐樹のようなプライドの高い人はーーといっても無駄に高くはなくて実力とか努力に裏打ちされているーー特に注意が必要なことも知っている。
 精神の傷を知っていると悟られないようにしつつ、細心の注意を払って手を差し伸べるという、ほとんど手品のようなものが必要とされる。
 これがプライドの低い人だったら「すでに気が付いている。大変だっただろう?しかしいつでも手を差し伸べるので、素直に辛いと言って欲しい」と自分でも、そして専門家でもあり、祐樹だって信頼している呉先生でも良いのでアドバイスというか直接言うという方法が最も手っ取り早い。
 しかし、良い意味でプライドの高い祐樹には逆効果になりかねない。
 本人自身もある程度自覚しているフシはあるものの、メンタルヘルス系の「こじれ」も――正確には病気ではないーー周りの人間の言動次第では本当に「疾患」の域に入ってしまいかねない。
 今、自分に出来ることはとりあえずクラブフロアラウンジに寄らないで部屋で二人きりになることだろう。
 祐樹は自分が井藤がラウンジに来ていたことを知っているとは思っていないだろうか、そういう点も時間が解決してくれるだろう。その時にそっと告げようと思う。そんな日が早く来れば良いなと思いながら、永久に言えないかもしれないなとも思う。
 頭の中では言葉はたくさん浮かぶものの、全てを言うことは出来ないのがもどかしい。祐樹のように豊富な語彙力とか雄弁さを心の底から羨ましく思ってしまう。
「そうですか?それではそうしましょう・・・・・・」
 焼肉屋ではないものの、鉄板焼きのお店のプラスの喧騒とか金木犀の香りのしっとりとした空間を二人で共有出来たことも良かったと思う。
 祐樹の心の傷も少しは癒えたような気がする。
 あくまで一時的なものだとは思うが。頓服薬とんぷくやくのような効き目でもないよりはマシだろう。
 ただ黙って重厚かつシックな廊下を歩いているとこのホテル独特の良い香りが漂ってくる。
 ペルシャ絨毯じゅうたんの厚みのせいかもしれないが、各室に宿泊者も居るのに音が全くしないのも、何だか世界に居るのは二人だけのような気がした。
 個人的にはこの世界に祐樹と二人だけで生きて行きたいと切実に願ってしまう。
 ただ、暖かい気持ちを持ってくれる友達とか良き理解者を得た今となってはそういう「極論」を持てなくなってしまったが。
 ドアの前に着いた。祐樹がキーを開けてくれる隙を見計らって大きく深呼吸をしてしまった。
 すると。

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