気分は下剋上 chocolate&cigarette

こうやまみか

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 やはりクラブラウンジで――いや、あの場所が悪いわけではなくてただ、あの元研修医が座っていたという祐樹にとっては生々しく忌まわしいというだけでスペースに罪はないのは分かってはいた、ただ祐樹の心の奥底の傷が気になる――食事をしなくて良かったなと思った。
 鉄板焼きのお店というか、和食の店は肉を食べる人独特の喧噪に満ちている。
 これが他の料理、例えばフレンチなどだと静かに食事とお酒を嗜む場所という感じで、自分がお気に入りの中華レストランでもこれほどの客のざわめきはない。
 人間の精神はその場の空気に支配される傾向にある。お葬式だと、故人にさしたる思い入れがなかった場合でも、ご家族やご親族の身も世もない嘆きとか鳴き声や行動でしめやかな気分になるのが普通の反応だ。
 外人が多いこともあって店の陽気さのせいで祐樹の笑みもかなり晴れやかな輝きに満ちてきたのも内心でホッとしていた。
 肉を先に食べに来ることに決めたのは本当に良かったと思いつつ、薄く切った肉が運ばれて来て、しゃぶしゃぶの用意がテーブルに手際よく設えていくのを祐樹と笑みを交わしながら見ていた。
「やはり『医師おススメの』というのは胡散臭いですよね……。
 ほら、皮膚科ではなく――で合っているか知りませんが――大学病院勤務の内科医が『薄毛がこんなにフサフサに』とか言っている記事を患者さんのベッドで見たことは有りますが『田中先生、呼吸器内科のお医者様が毛のことまで本当に分かるんですか?』と真顔で聞いて来ましたよ」
 祐樹がしゃぶしゃぶの薄くスライスした肉をお湯の中にくぐらせながら心の底から可笑しそうにしている。
「そんなの分かるわけがないだろう……。いくら医学を学んだからといって、人体の全てのメカニズムを――いや、頭髪だけでも物凄い経済効果が生まれるな、それに本当に毛がフサフサになる薬を開発したならノーベル賞は無理でもその他権威のある賞に選ばれる可能性は極めて高いだろうが――分かっているわけでもないし、特にその医師が大学病院所属だったら、我々と同じく高度に細分化されているハズだし……。だから絶対に分かりっこなんてない……な」
 祐樹も自分も今のところ毛髪問題に悩んでいないのは幸いなことだった。だから他人事として笑って話せる。まあ、自分の場合祐樹の外見だけに惹かれているわけではないので万が一そうなったとしても何の障害にもならないだろうが。
 すると。

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